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雲仙・普賢岳災害と防災対策について

建設省長崎工事事務所長
中 野 正 則

1 はじめに
昨年11月に約200年ぶりの噴火により火山活動を再開した雲仙普賢岳は,今年に入って活動が活発化し,5月から6月にかけて土石流の発生,熔岩ドームの出現・成長,火砕流の発生と予期せぬ事態が続発し,多くの人的,物的被害が生じた。また,警戒区域等の設定や交通機関の通行規制により地域住民の生活に深刻な影響が出ており,さらに降灰により社会生活や観光産業,農作物等への被害も甚大であり,島原市,深江町のみならず島原半島全体ひいては,長崎県全体へ重大な打撃を与えている。
当初は,比較的短期間に終息するかとも考えられた火山活動は暫くの間小康状態を保った後,8月中旬から9月にかけて新たな熔岩ドームの出現および大規模な火砕流による被害が発生し,依然として活動は活発であり,長期化の様相を呈してきている。
この報文では,普賢岳の活動の経過と建設省関係機関(九州地建,長崎県等)の対応状況,特に道路交通の対応を中心に述べることとする。なお報告内容は,3年10月末日までの状況とする。

2 雲仙岳の火山活動の歴史
雲仙岳は,最高峰の普賢岳(標高1,359m),九千部くせんぶ山,絹笠山からなる複合火山で,島原半島を東西に横切る幅約9kmの雲仙地溝帯の中に位置している。有史後の噴火で過去2回熔岩が流出している(図ー1)。

(1)寛文年間の噴火
1回目は,1663(寛文3)年の噴火で,同年4月に普賢岳山頂部の九十九つくも島池で噴火し,12月に再噴火し,飯洞岩峰から北側山腹に幅100m,長さ1kmの古焼ふるやけ熔岩を流出している。翌年春,九十九島池が決壊し,水無川沿いに土石流が発生し安徳河原へ氾濫したため,家屋が流失し,死者は30余人に達した。
(2)島原大変
2回目が,1792(寛政4)年の活動で「島原大変」として有名である。前年11月から嗚動を伴った有感地震が続き,家屋倒壊,落石等が見られたが,一旦沈静化後,翌1792年2月普賢岳が噴火し,千本木付近に達する新焼熔岩を流出している。4月中旬以降,大地震が頻発し,各地で地割れや地すべり,山崩れ等の地変が生じた。眉山(前山)でも東側山腹で幅300m以上にわたり,約300mの地すべりが生じた。その後,5月21日に激震が発生し,眉山南峰の天狗山が突然大音響とともに大崩壊し(崩壊量は天狗山の6分の1の0.34km3),島原城下を破壊するとともに,東山麓の入江を埋没させたため大津波を誘発し,対岸の肥後など有明海沿岸に大被害をもたらした。死者は島原側の9千数百人を最高に総計約15,000人にも達し,「島原大変,肥後迷惑」といわれている。
この他,1922(大正11)年12月の島原地震(M6.9)では死者27人,1957(昭和32)年7月の豪雨による眉山の土石流で死者,行方不明者13人を出 している。

3 今回の火山活動等の状況
200年ぶりの噴火となった今回の火山活動等の状況について活動時期毎にまとめる(表ー1)。

(1)前兆~被害発生前(元年11月~3年4月)
平成元年11月に西側の千々石ちぢわ湾で発生した群発地震は,2年7月から10月にかけて普賢岳付近に移動し,火山性微動も認められた。11月17日には,九十九島,地獄跡両火口から噴火し,約200年ぶりに火山活動が再開した。その後,暫く小康状態が続いたが,3年2月12日に全く新しい屏風岩火口から2回目の噴火が生じた。3月29日には,3火口から同時に噴火し,4月9日には,噴石を伴う噴火が発生,噴火活動はその後激化し,降灰が見られるようになった。4月26日には,7年ぶりに震度4の地震が発生した。
(2)土石流,火砕流の発生(3年5月~6月)
5月15日には,累計雨量16.5㎜で水無川に約7万m3の土石流が発生し,本格的な活動が始まった。5月19日にも水無川で約3万m3の土石流が発生し,橋梁2橋が流失した。5月20日には,地獄跡火口に熔岩ドームが出現し,マグマの供給とともに成長を続けた。5月24日には,地獄跡火口東側斜面に初めて火砕流が発生し,新しい火山現象として注目された。火砕流は,5月26日にも水無川沿いに流出し,初の人的被害(負傷者1名)が生じた。その間,5月15日には,島原市,深江町は,水無川周辺住民に災害対策基本法第60条第1項に基づき,初めて避難勧告を出した。以降,避難勧告が逐次出されるとともに,周辺住民の自主避難が行われた。
しかし,6月3日15時50分頃に,大規模な火砕流が発生し,水無川沿いを火口から約4km落下し報道関係者,消防団員,警察官等に死者・行方不明者43名,負傷者7名という大惨事が生じた。一方,建物は約180棟が焼失した。これを機に島原市と深江町は,災害対策基本法第63条第1項に基づく警戒区域をそれぞれ6月6日と7日に初めて設定した。(警戒区域の設定にあたっては,㈶砂防・地すべり技術センター作成の土石流災害予想区域図が参考にされた。)これ以降,警戒区域は順次追加設定された。6月8日には,再び最大規模の火砕流が発生し,水無川沿いに火口より約6 km落下し,国道57号の直上流まで到達した。幸い警戒区域が設定されていたため人的被害はなかったが,建物や農作物に大被害が生じた(写真ー1)。6月11日には,噴石および大量の灰を伴う噴火が生じ,建物や車両に被害が生じた(図ー3)。

6月30日夜間には,集中豪雨(7月1日16時までの雨量が島原で263㎜)により,水無川をはじめ湯江川(有明町),土黒ひじくろ川(国見町)で土石流が発生した。水無川の土石流は,国道57号付近から,水無川をはずれ北側を流れ,海岸に到達する大規模(70万m3)なものであり,建物約190棟に被害が生じた(写真ー2)。

これ以降は,7月から8月上旬にかけて火山活動は活発ながら比較的安定した状態を保ちつづけた。なお,6月27日には,島原市,深江町では,警戒区域の継続措置が初めてとられ期間を15日間延長された。(以降,警戒区域の継続が逐次行われている。)
(3)新しい熔岩ドームの出現(3年8月~現在)
暫く小康状態を続けたが,8月中旬以降山頂付近で群発地震が発生するとともに,新たな火砕流が北東側斜面のおしが谷方面へ流下し,谷を埋めながら垂木台地に達したため,島原市は,台地の下方の南千本木,北千本木地区を9月10日から警戒区域に設定した。
一方,従前の東側斜面の熔岩ドームは比較的安定していたため,島原市,深江町は9月15日から国道251号以東など海上を含む警戒区域の一部を解除し,避難勧告区域とした。ところが,9月15日に,最大規模の火砕流が発生し,おしが谷を流下し,方向を変え,水無川流域に流出し熱風が深江町大野木場地区にも到達し,小学校を含め建物等に大きな被害が発生した(図ー2)。

その後も火山活動は活発であり,現在に至っている。なお,9月25日,10月15日には,一部の警戒区域の緩和等が行われたが,残る警戒区域については,現在も継続して設定されている(図ー4)。

4 建設省関係機関の対応等
今回の普賢岳災害への対応を九州地建(長崎工事事務所を含む),長崎県土木部(島原振興局を含む)等を中心に述べる。
(1)対策特別本部等の設置
大火砕流発生直後の6月4日に,九州地建では地建局長を本部長とする「雲仙岳火山活動対策特別本部」を,また同時に長崎工事事務所においても「同支部」を設置し,諸対策に着手するとともに,24時間体制で火砕流,土石流の監視,情報の把握,提供を実施した。(火山活動が安定した梅雨明け後の7月下旬に24時間体制は解除)長崎県においても,5月24日に県災害対策本部を設置し,対策にあたるとともに,7月22日には,雲仙岳災害復興室を新設した。
(2)情報の把握、提供等
九州地建では,6月4日に衛星通信移動局,災害対策車等を現地に設置した監視所に派遣し(写真ー3),監視カメラ,赤外線カメラ等(一部はその後,県が岩床山に設置)により,火砕流や土石流の発生を24時間監視するとともに,関係機関と情報の把握,提供を行っている。特に,6月8日の大火砕流発生時には高感度カメラで噴火を伴った火砕流発生を鮮明に把えており,火山現象を解明する上での貴重な映像として火山噴火予知連絡会およびNHK等報道機関に提供した。また,緊急事態の発生に備え,資機材の確保および応急出動体制を整えた。
また,建設省専用ヘリコプター「あおぞら号」により逐次上空から現地調査と情報提供を行った。
県においても,島原振興局の災害対策本部に入ってくる自衛隊,県警や島原市,深江町の災害対策本部等の情報を関係機関(長崎工事事務所を含む)に提供している。

(3)道路交通対策等
1)降灰除去等
普賢岳の噴火や火砕流に伴う降灰は,島原市,深江町とその近隣の小浜町,布津町,有明町を中心に広く島原半島全域にも及んでいる。路面の降灰は,視界不良やスリップにより道路交通に支障を与えるほか,日常生活や災害対策活動にも大きな影響を及ほす。このため,建設省、県等では懸命の降灰除去作業に努めている。九州地建では,火山活動の活発化により降灰が著しくなった6月9日に県からの要請に基づき,鹿児島国道工事事務所の火山灰専用の路面清掃車を現地に派遣するとともに,長崎工事事務所の撒水車等を重点配置し国道57号のみならず,接続する国道251号等の幹線道路の降灰除去の支援を実施しているところである(写真ー4)。
なお,普賢岳の灰は粒子が極めて小さく,九州技術事務所の調査試験では数㎜の堆積で,降雨によるスリップを生じやすいことが明らかとなった。
一方,噴火に伴い噴石もみられることから,防護ネット付の道路パトロール車1台を宮崎工事事務所より派遣し,現地の道路管理にあたっている。

2)通行規制
6月3日の大火砕流発生後,直ちに国道57号では,島原市東登山口~深江町町道鳥居松上牧内線交差点間3.1kmを通行止とした。翌6月4日には,安全確保の観点から深江町側の通行止区間を延長し,大型車両の迂回を考慮し,県道雲仙有家線と交差する俵石展望台までの11.2kmとした。一方,国道251号については,6月8日の大火砕流直後に島原市東登山口~深江町役場前5.4 kmを通行止とした。こうした通行止に際しては,県警と協議を行い実施をしている。この間,6月6日に島原市,6月7日に深江町が初めて警戒区域を設定し,その後順次追加設定されていった。なお,6月30日の海岸まで達する土石流により,国道57号,251号には土石が堆積し,物理的にも分断された(写真ー5)。但し,国道251号は,災害対策用の緊急路確保のため,7月上旬から自衛隊による土石撤去,その後,県による路面修復が行われ,路線は確保された。
警戒区域の設定が一段落した7月2日には,国道57号の通行止区間を警戒区域に合わせ,島原市東登山口~深江町大野木場交差点間4.2 km縮小した。

通行止期間中は,道路管理者(建設省,長崎県)としては,県警の協力の下に,通行止箇所の立会や周辺道路のパトロールおよび降灰除去を重点的に実施した。
なお,国道57号と251号の中間を並行する広域農道も6月3日より水無川前後の区間が通行止となっている。
一方,島原鉄道も6月5日に南島原~布津間11.6kmの運行を取りやめたため,島原・深江間の陸上交通は完全に分断された(現在も,島原外港~深江町間6.4 km通行止である)。
こうした通行止に対する代替手段としては,迂回路と海上交通とが挙げられる。
迂回路については,図ー5に示すように,島原・深江間の交通は,県道愛野島原線,県道雲仙神代線,主要地方道国見雲仙線を利用し,普賢岳を迂回し,国道57号経由で,県道雲仙有家線(6/4~7/1の間および大型車両,Aコース)或いは,県道雲仙深江線(Bコース)を利用することとなった。Bコースの場合でも,従来(Cコース)に比ベ,距離で約33km,所要時間で約50分増加し,特に通勤通学の交通に多大の負担をかけることとなった。迂回交通のため主要地方道国見雲仙線の小浜町吹越では,交通量が630台/12hから3,350台/12hと5倍以上増加した。また,迂回路は総じて道路の幅員も狭くカーブが多く,整備状況も不十分である上に,降灰によるスリップ等により交通事故が多発した。

海上交通については,6月10日より西有家町須川港~島原外港間に700tフェリー1隻(1日4往復,60分)が就航したが,6月13日からは水無川河口から半径2.5 kmの警戒水域が設定され,航路の吃水不足のため,一時運行中止となった。警戒区域が半径2.0kmに変更されたため,6月28日から就航が再開された(10月15日の路線バスの運行再開により,10月25日に就航は終了した。この間の利用客は延べ58,774人,車両6,780台であり,日最高は,6月11日の1,091人,335台であった)。また,これとは別に,6月20日より布津漁港~島原外港間に2隻の高速船(1日12往復,30分)が就航した。
3)通行規制の緩和
7月に入り火山活動が小康状態を保っていたため,規制中の道路,特に国道251号の通行再開を求める声が強くなってきた。これに対し,梅雨明けの7月27日(実際は7月28日)から,国道251号において表ー2に示す許可車両に限り,昼間の10~16時の時間帯に片側交互通行が開始された(写真ー6)。その後,通行の安全性が確証されたことと地域住民の強い要望から,順次通行時間帯が拡大されていった(表ー1,2参照)。

さらに,東側斜面の火山活動が比較的安定し,一般車両の通行を求める声が高まったことから,9月15日に国道251号以東の警戒区域を避難勧告区域に変更したことを機に,昼間(7~18時)に限り,国道251号での一般車両も含めた対面通行が決定された。県島原振興局による国道251号の応急工事終了後の9月22日より通行が再開され,約3カ月半ぶりに自由走行が可能となり,通勤・通学,日常生活の足が確保された(図ー6)。

表ー3に国道251号の交通量の変化を示す。これによると,通行車両を限定した期間は,交通量は少ないが,通行時間帯の拡大に伴って,交通量も増大している。一般車両の昼間の通行が確保された9月25日には,ほぼ従前の交通量に戻っていることがわかる。

許可車のみの通行期間中(7月28日~9月21日)の道路管理者としての対応は,図ー7に示すように,通行規制については,県警,島原市,深江町と協議をしながら通行許可を行った。この他,道路管理者は,路面の適正な維持管理を自衛隊や県警の監視の応援の下で行った。なお,車両通行中大火砕流等の火山現象が生じた場合には,無線連絡により,検問所で市町職員がサイレン,赤色回転灯を作動させた。

9月22日の昼間の一般車両の通行再開の後は,通行時間帯の拡大や国道57号との接続道路の確保等を求める声が強まった。通行時間帯の拡大については,特に朝の時間帯の拡大が,高校での補習授業のための通学や生鮮食料品の運搬から強く求められたため,10月15日以降,1時間繰り上げ6時からとなった。なお,10月15日からは,6月3日以来運休していた島原鉄道の島原~口之津間の路線バスが運行を再開した。
国道251号と国道57号との深江町側の接続道路については,9月22日時点では,町道立馬場池平線を設定していたが,一部区間で大型車両の通行が困難であることから,10月15日の警戒区域の避難勧告区域への緩和に伴い,町道バラバラ松石札線~広域農道~町道鳥居松上牧内線に変更され,2車線分の接続道路が確保された。図ー8に10月15日時点の通行規制および迂回路の状況を示す。なお,10月15日現在の国道57号の通行止は島原市第五小前交差点~深江町大野木場交差点間3.0kmである。

(4)その他の対応
道路交通関係以外の建設省関係機関(主に県土木部)の主な対応としては,河川関係では,水無川堆積土砂の除去として,5月20日までの土石流による約10万m3を5月末までに除去するとともに6月3日以降の火砕流や土石流により再度埋め尽くされた水無川について,9月15日に警戒区域が一部緩和されたのを機に除去作業を開始し,国道251号より下流の10万m3の土砂排除と掘削工事を完了した(写真ー7)。

砂防関係では,災害関係緊急砂防事業として,監視体制の整備を図るべく,土石流監視カメラ,火砕流監視カメラ,土石流検知センサー,ワイヤセンサー等の設置を行った。また,既設砂防ダムの土石の除去を実施した。なお,砂防の専門家による現地調査を逐次行っている。
住宅対策としては,島原市,深江町の避難住民(最大時2,990世帯,11,012人)のための応急仮設住宅1,455戸の建設をはじめ,既存の公営住宅の空き家の仮入居斡旋や公営住宅の建設等を行っている。
なお,火山活動開始以降,建設省関係者の現地調査,視察が逐次行われ,特に,7月8日には,大塚建設大臣(河川,道路,住宅局長他随行)が現地視察,被災者見舞を行われるとともに,地建職員に激励いただいた(写真ー8)。

6 あとがき
既に200年前の噴火を超えるマグマの供給が見られるが,新しい熔岩ドームの出現,成長等から依然として,火山活動は活発で終息の兆しは見えず,今後も厳重な警戒が必要であり,長期化の様相を呈しているのが現状である。一方,避難生活の長期化で市民生活や経済活動へ影響も大きいが災害に負けずにがんばり,復興しようという気運も高まりつつある。
建設省関係各機関においても,ここで述べた対応をとりつつ,一方で,終息後の復旧や復興を念頭において様々な検討を行っているところであるが,いずれにしても一日でも早い火山活動の終息を願ってやまない。
最後に,今回の普賢岳災害に際し,各機関より暖かい励ましや支援をいただいたことに対し,誌上をお借りして御礼申し上げるとともに,この報文の作成に際し,貴重な御意見や資料を提供いただいた方々に対し感謝申し上げる次第である。

参考文献
1) 鳴動普賢岳(雲仙岳噴火写真,記録集),長崎新聞社,平成3年8月
2) ’91雲仙岳噴火報道写真集,西日本新聞社,平成3年6月

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