宮崎県は、昔から台風や梅雨期の豪雨による被害が多数発生しています。平成に入ってからも、平成2年、平成5年、平成9年、平成16年と大きな被害となりました。
特に平成5年は、梅雨前線豪雨に始まり、超大型の台風7号、戦後最大級の台風13号の来襲により、被害総額1,577億円、死者7名という過去例を見ない大水害でした。
また、平成9年も県北を中心に大きな被害が発生しました。今回紹介する平成9年台風19号では、五ヶ瀬川水系北川の沿川が、観測史上最高の水位となり、未曾有の浸水被害となりました。9月13日から降り出した雨は、15日までは時間雨量10mm程度の小降雨でした。ところが、16日早朝から時間雨量50mmを越える豪雨となり、夕方までに累計雨量700mm以上となりました。その結果、北川の水位は急激に上昇し、洪水は多くの区間で堤防を越え、2箇所で堤防決壊が生じたうえ、霞堤開口部からも流入し、878ha、1,894戸の家屋浸水、被害総額46億1千万円以上(北川町資料による)となり、大きな爪痕を残すこととなりました。
そして、昨年も台風16号、18号及び23号によって、多くの被害が発生しています。
このような水害に備え、宮崎県では県内各地において、治水対策を進めるとともに、防災情報の提供や収集などソフト対策にも力を入れています。今後も市町村や関係機関等と連携し、県民が安全で安心して暮らせる社会づくりを目指します。
■北川大洪水の経験
北川町 柳田 健児さん
あの日も、いつもの時間に「道の駅」へ出社していた。朝の状態はよく覚えていないが、数時間後にあの様なことになるとは思いもしなかった。
午前10時を過ぎたころ、道路が通れなくなるという情報があった為、10時30分で全員帰宅することになった。私も11時には自宅へ戻った。台風情報をテレビで見ながら少し早い昼食をとっていた。窓から川の水量をうかがっていたが、その時はまだ余裕があった。家の前を、うさぎが逃げ場を失ったのか、行ったり来たりしている。15分もしないうちに、川の水は歩道を越え道路一面に流れ込んできた。道路から低い畑へ流れていくため、水位は一気に上がっていなかった。この時点で家から脱出することを決めた。電源を切り、ガスの元栓を締めた。なぜかその2点は考えついた。当時四歳の長男を右手に抱き上げ、当時小一の長女を左手につなぎ、妻は着替え等を詰めたビニール袋を担いで、右手を長女とつないで家を出た。足首の高さだった水位は50メートルも歩いた頃には、膝を越えすぐに腰まできた。更に流れが前方から勢いよく押し寄せ、前に進むのが大変だった。川坂橋は工事中だった為少し下った所から国道へ登る階段が有り、そこにバス停があったが、上の丸い板が少し見えていた。どのくらい時間がたったのか、非常に長かった気がする。裏山へ登って見た川坂方面の風景は、想像以上であった。一面の海と化していた。夕方には雨も治まり、濁流だけが音を立てていた。あたりは静寂だった。その夜は、満月のきれいな静かな夜となった。翌日早朝から復旧作業の日々が始まった。将来子供たちが大人になった時、洪水の様子や家族で避難したことなどを伝えたいと思っている。この大洪水は、白昼だったことが幸いしたのは確かだと思う。もし夜間だったらと何度か考えてみたが、どうなったか予測がつかない。
そして毎日朝から晩まで復旧作業に携わってくださった親戚、友人や、大勢のボランティアの方々には、心から感謝しています。