一般社団法人

九州地方計画協会

  • 文字サイズ
  • 背景色

一般社団法人

九州地方計画協会

  •                                        
諫早大水害から50年 新たな本明川への第一歩
九州地方整備局 牧野浩志
九州地方整備局 太田信也
九州地方整備局 光武久修
1.はじめに

昭和32年7月25日、数日前から降り続いた異常な豪雨が小康状態となり、各家庭が夕飯を終えた夜半、時間雨量100mm近くのどしゃ降りの雨が3時間にわたり諫早地方を襲いました。その間、河川延長が短く急勾配である本明川は10分間で約2mも増水し決壊、濁流や山(土砂)津 波は多くの市民をのみ込んでいきました。死者・行方不明併せて630名、重軽傷者1,547名、河川・橋梁・道路・農地・家屋・家財・学校などの損害は98億円余り(当時の価値)、近代日本水害史の中でも最も大きな惨事として記録に刻まれた諫早大水害です。


四面橋付近の被災の様子
[川沿いの旅館街一帯を押し流した]


眼鏡橋付近の被災の様子
[流木が橋の径間に架かり、堰き止め、河川氾濫を助長させた。
現在は諫早公園に移築保存されている]

災害直後から旧建設省による災害復旧対策が行われ、その後、国の直轄事業として抜本的河川改修が行わるようになりました。また、破壊された市街地も長崎県や諫早市による都市計画事業による復興が進められ長崎県中央エリアの中心都市として大きく成長し、現在に至っています。


長崎県内の日雨量分布
[全県的に被害を受けた長崎県は、本明川の災害復旧まで手が回らず、
諫早市長は総理大臣に直訴し、国直轄で抜本的な改修を行うことが決まった]

大水害から50年余り、新しい住民も増え、あの惨事や経験・教訓さえ地域の記憶から薄れつつあります。しかし、暴れ川である本明川は、未だ大水害時の降雨に対応する改修まで至っていないのが現実です。
そのような中、長崎河川国道事務所は、諫早市と連携して一昨年50年目の節目を迎えた諫早大水害の記念日を次の半世紀につなげる第一歩としてとらえ、防災・減災に資するいろいろな取組をスタートさせましたので紹介します。


“水害犠牲者の冥福を祈る”「諫早・万灯川まつり」
(諫早大水害の翌年から始まり、当時の世帯数と同じローソク23,000本が河原に灯される)

2.本明川改修の歩み

国による河川改修は水害直後の8月から始まりました。九州各地の工事事務所より職員を招集し、洪水痕跡調査や測量、洪水解析を行い、河川改修計画を策定し、昭和32年10月より工事に着工しました。

2-1 第一期改修[昭和30 年代の改修]
壊滅的な被害を受けた市街地を復興するため、都市計画と一体となった河川改修を行いました。特に流下能力の低かった中心市街地では川幅を40mから60mに拡げ、昭和35年迄の僅か数年で市街地改修を概成させました。この時の改修が、今の川の形を作っています。


水害前と現在の川幅との比較
[市街地を中心に20~30mの河道拡幅が行われた]

第一期改修の河川の様子

2-2 第二期改修[昭和40年代~平成初期の改修]
諫早は江戸時代からの干拓による低平地が多く、堤防の整備が進むにつれて内水被害が発生するようになりました。特に昭和57年(長崎大水害)、平成11年洪水では、市街地~本明川下流域を中心に大きな内水被害が発生し、このため諫早排水機場整備などの内水対策に着手しました。また、本明川の中でも特に安全度の低い支川半造川の堤防引堤工事に着手しました。

平成11年7月洪水
[時間雨量は100mmを超え、水位は1時間に2m余り上昇し、諫早市全域に避難勧告が出された]

2-3 第三期改修[平成10年代~現在]
平成9年4月の農林水産省の諫早湾締切により、潮汐により運ばれていた潟土堆積が無くなったことから、本格的な河道掘削工事に着手することができるようになりました。現在までに約80万m3の土砂を掘削し、洪水時の水位低下を図っています。

河道掘削が進む本明川下流域

本明川下流域の河道掘削
[低水路幅が約2倍に広がった]

3.諫早大水害から50年の節目を迎えて

諫早大水害から50年が経過し、本明川の治水安全度は着実に向上しているものの、諫早大水害規模の洪水を安全に流す迄には至っていません。このため、根本的対策として本明川ダムの建設事業を進めており、環境アセスメントの手続きに着手しました。
また、本明川は上流で降った雨が下流に届くまでに30分しかなく、急激な水位上昇がある危険な河川です。治水対策だけでなく、本当に危ないときにはすぐ逃げてもらう対策が重要です。諫早大水害規模の洪水が起こっても、被害を最小化させる防災・減災に資するいろいろな取組をスタートさせています。

3-1 諫早大水害を知る(情報の発掘・蓄積)
50 年の時の流れとともに街は新しくなり、新しく諫早に住む方も増え、当時の様子を知る人も大変少なくなってきました。このため地元諫早市や地域住民と協力し、当時の体験の聞きとりや洪水痕跡調査を行い、過去の情報(避難情報の収集、高台等の避難先など)を記録に残してきました。
洪水痕跡調査を行った結果をもとに、地域と協力し洪水痕跡標として情報を保存し、水害の記憶を風化させないシンボルとしています。今後も、当時の記憶を根気強く探り歩き、いろいろな方法を使って記録に残していきます。
その成果の一部を活用して、長崎新聞社が「”暴れ川” 本明川」(平成21年3月)という記録誌を出版しました。分かりやすく本明川の大水害の歴史や現況が整理されていますので、一読をお勧めします。


岩肌に刻まれた洪水痕跡(慶巌寺)


当時の様子を記録する洪水痕跡標
[諫早市内の3箇所に設置され、併設されたパネルにより大水害のことを知ることが出来る]

諫早大水害での水難をテーマにした地元劇団
「きんしゃい」の本明川物語

諫早大水害の体験・教訓を風化させないため、
長崎新聞社が企画・発行した“暴れ川”本明川

3-2 諫早大水害を伝える(危険性の周知・伝承)
「諫早大水害」や「本明川の洪水の特徴」、「河川整備の現状」などに理解を深め、いざという時の避難行動に繋げるため、マスコミや沿川自治会、水防団や地域住民の皆様との意見交換会を開催しました。意見交換の中では、「洪水は来なくなった、川は安心になった」との発言が多く、地域の方々への危険性の周知不足を痛感させられました。
そのため、新しい住民や高齢者を対象に、水害発生時のイメージを知ってもらい、避難先を確認してもらうため、地元のマイ防災マップ作りや地区防災会議の応援なども行っています。
また、子どもたちと洪水痕跡を探し歩き伝える「まち歩き」などにより、次世代に水害の知識を伝える活動も行っています。


防災・減災フォーラム2007
[諫早大水害からちょうど50年目の7月25日に開催され、
水害の恐ろしさと、日頃からの備えについて改めて考えた]

4.これからの河川整備

諫早大水害は100年に一度(確率規模100年)の洪水でしたが、戦後復興期の日本の経済情勢や引堤によって失われる家屋の多さなどを考慮し、確率規模80年に安全度を下げて河川改修を行ったのが過去の事実です。
その後、数度の洪水被害を受けたことや、高度成長を経て諫早市都市部へ人口や資産が集積したことによる想定洪水被害額の大きさから、平成3年にダム建設を前提として諫早大水害規模の洪水にも対処する河川整備計画に変更されました。現在、河道整備とダム整備の両輪で、地域住民の安全安心を守り、諫早市民の母なる川である本明川の原風景を守っていくという努力を続けています。


水害の恐ろしさを伝える「チビッコまち歩き」
(水害体験を風化させたくないとの自治会長の熱い想いから実現した)

マイ防災マップ
[防災・減災・本明川について考えるきっかけづくり]

図書館ロビーなどを使った巡回パネル展
[諫早市と共同で、市内4図書館で開催]

地域との意見交換会
[本明川への想いやこれまでの水害の話など、
私たちの知らないことを沢山話して頂きました]


諫早中心地(これ以上川幅を拡げることは難しい)

4-1 現在の河道整備
現在でも安全度が低い支川半造川の河川改修を集中的に進めるとともに、本明川の下流域では流下能力のアップの目的で河道の掘削を行っています。河道の掘削に際しては、昔からの本明川下流風景であり環境にも優しいヨシ原復元を目指して、掘削形状を工夫した掘削を行っています。川の持つ多様な機能をよく理解し、諫早市民の誇りとなる多自然性を持つ川づくりに努力しています。


ヨシ復元を考えた河道掘削
[水面高± 0.7mの面積が広くなるよう掘削形状を工夫]

4-2 本明川ダム整備に向けて
河道で不足する安全度をカバーするため、上流で洪水調節を行う本明川ダムの建設を進めています。治水機能に加えて、自然環境や生態系を守る河川維持流量の確保や水道用水や農業用水の確保も併せて行っていく計画です。
特に、平成20年6月より環境影響評価の手続きに着手し、平成21年4月には環境影響評価準備書の公告縦覧を開始しました。環境影響評価の手続きを丁寧に進めていくことで、ダム建設と環境との共存に努めているところです。長崎河川国道事務所は、こういったダム建設に向けた手続きを確実に着実に進めて行くことで、地域住民のみなさまの安全と安心を守っていきたいと思っています。

支川半造川の堤防引堤

本明川ダム建設予定地
[セメントと砂れきで作る台形CSG形式で建設予定]

5.最後に

50年一昔といいますが、諫早で大水害を経験された方々と話すと50年というのはまだ昔の話ではないことに驚かされます。しかし、時は確実に記憶を風化させ、新しい住民は意識もなく危険性の高いところに住み始めています。
一方、”暴れ川”本明川はあの水害以降も幾度となく洪水を起こし、平成11 年の洪水では諫早市全域に避難勧告が発令されるなど、まだまだ安全な河川とはいえない状態です。
大水害から51年目を迎えた平成20年4月には農林水産省の国営諫早湾干拓事業が完了し、調整池が本明川に編入され一部国直轄となるなど、新たな河川管理も始まりました。更には、平成26年には長崎国体、平成30年には九州新幹線西九州ルートが開通するなど、今後も長崎県央の中核都市として諫早市の発展が期待されます。
都市が発展するための一番の基礎は、住民生活の安全・安心です。諫早市民にとって、安全・安心で四季折々の自然豊かな故郷の川“本明川”を、地域の人々と協働で築いていくのが私達の使命だと思っています。
土木とは日本の国土と上手く付き合っていく人間の叡智の結晶です。九州地方整備局の技術者集団の総力を出し切り、地域との協働による防災・減災の仕組みづくり、多自然川づくり、川まちづくり、ICTを活用した効率的な河川管理、水環境問題への取り組みを進めていきます。


新しい本明川
[平成20年4月に本明川に編入した諫早湾干拓調整池(いさはや新池)]


地元ボランティアが管理するコスモス


母なる川“ 本明川”
[いつまでも穏やかな本明川でありますように]

上の記事には似た記事があります

すべて表示

カテゴリ一覧