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球磨川下流域における八の字堰の形状復元と
瀬の再生に向けた取り組みについて
濱邉竜一
村岡薫

キーワード:アユ、瀬の再生、八の字堰の形状の復元

1.球磨川の概要
球磨川は、その源を熊本県球磨郡銚子笠(標高1,489m)に発し、免田川、こさで川、川辺川、山田川、万江川等を合わせつつ人吉・球磨盆地をほぼ西に向かって貫流し、さらに流向を北に転じながら山間の狭窄部を流下し、八代平野に出て、前川、南川を分派して不知火海( 八代海)に注ぐ、幹川流路延長115㎞、流域面積1,880㎞2の一級河川である。
球磨川は、熊本県、宮崎県、鹿児島県の九州南部3県にまたがる大河川である。古くから、人吉盆地や八代平野などに度々洪水被害をもたらした暴れ川である一方で、沿川の肥沃な穀倉地帯を潤すなど人々の生活を支えてきた恵みの川である。
また、日本三大急流で名高い舟下りや、尺アユと呼ばれる大型のアユが特に有名であり、全国各地から釣り客や観光客が訪れる観光資源の川である。 

2.球磨川下流域の自然環境 
球磨川下流域は図-1のとおり、河口域、汽水域、湛水域、流水区間の大きく4つの区間に分けられ、それぞれの区間で特徴的な自然環境が存在する。
河口域及び汽水域は、八代海の干満の影響を受ける感潮域であり、干潮時には広大な河口干潟が出現する。水際にはヨシやアイアシ等塩沼植物が分布しており、干潟にはシギ・チドリ類やカモメ類等の渡り鳥の中継地・越冬地となっている。また、ハクセンシオマネキ等の甲殻類をはじめとする干潟特有の動物が多く存在している。
球磨川堰、新前川堰の湛水域には、カワムツ、カマツカ、イトモロコ等の緩流性の魚類が生息しており、河岸や中州にはヨシ群落、ヤナギ林が分布している。また、広大な高水敷は公園として利用されるとともに鳥類、小動物の生息の場となっている。
遙拝堰直下は球磨川下流域唯一の流水区間となっており、瀬を重要な生息場とするオイカワ、ウグイ、アユ、トウヨシノボリ等流水性の魚類が生息しており、特に球磨川を代表するアユの餌場、産卵場にも重要な箇所となっている。

3.球磨川下流域の現状と環境面の課題
球磨川下流部では、1965(昭和40)年7月の大洪水を契機として、球磨川堰(6k付近)から遙拝堰下流(9k付近)までの左岸堤防の築堤と、本川河口部及び豊原地区、並びに派川南川の河道の拡幅が実施された。
昭和30年代の終わりから平成の初め頃までは、球磨川と南川が分派する地点(4k付近)から遙拝堰(9k付近)にかけて砂利採取が行われ、河口から遙拝堰直下にて、河川改修及び砂利採取によって持ち出された土砂の総量は約400万m2に及んだ。
その結果、球磨川下流域の河道内では多くの瀬が減少し、特に、河口から9㎞上流に位置する遙拝堰直下の瀬は、図-2のとおり昭和50年代に比べると瀬が消失しつつある状況である。遙拝堰直下の瀬は、河口に最も近いアユの一大産卵場となっており、この瀬が完全に消失すると、アユ等生態系が減少するのみならず観光面でも打撃を被ることになる。

また、球磨川のアユの遡上量(すくい上げ尾数)は図-3で示すとおり、昭和50年代後半から60年代にかけては、4 百万尾~ 6 百万尾の稚アユが遡上していたが、近年は1百万尾~ 3百万尾と遡上量が減少傾向にある。球磨川のアユは、全国各地から釣り客や観光客が訪れる観光資源であることから、球磨川産の天然アユを増やして欲しいという地元住民の声が大きい。

一方で、球磨川の中流部では洪水被害の軽減を目的とし、河道にたまった土砂約80万m2を掘削する事業を実施している。当事務所では,その掘削土砂の一部を有効活用し、遙拝堰下流の瀬の再生に着手することとした。

4.遙拝堰下流の瀬の重要性
卵から生まれてすぐの仔アユは、5 日程度で海へ到達しないと生存率が下がるといわれており、河口に近い場所に産卵場となる瀬が存在することが重要である。河口から9㎞付近に存在する遙拝堰下流の瀬は、球磨川において河口に最も近い瀬で有ることから、非常に重要な瀬となっている。
次に球磨川下流域で実施したアユの調査結果を示す。
図-4は、過去の仔アユの流下量と稚アユのすくい上げ量の経年変化を整理したものであるが、仔アユが多く流下した翌年は稚アユが多く遡上する傾向であることがわかった。

また、図-5は、平成23年度の遙拝堰下流における仔アユの降下量を調査した結果を整理したものであるが、遙拝堰直下において、約2.4億個体の仔アユが産卵され降下していることが判明した。これは、球磨川河口に降下している全仔アユ量の約6割を占める。

これらのことから、課題となっているアユの減少を止めるためには、遙拝堰直下において、消失しつつある瀬を再生し、アユの産卵・生息に適した環境を取り戻すことが重要で有り、急務であると考える。

5.球磨川下流域デザイン検討委員会
遙拝堰下流の瀬の再生計画にあたっては、河川工学、魚類、景観に関する学識者や地域の歴史に関する有識者及び行政機関で構成する「球磨川下流域環境デザイン検討委員会」を平成25年1月に設置し、平成27年3月まで計8回にわたり、議論を重ねた。
本委員会では、遙拝堰下流の瀬の再生の目標値の設定や、再生するための整備方法、景観に配慮したデザイン等を詳細に検討した。次項からその内容を示す。

6.遙拝堰下流の瀬の再生に向けた目標
昭和40年代に始まった本格的な河川改修や、砂利採取、出水等の影響により河床が低下し、球磨川堰におけるアユのすくい上げ尾数は、図-6に示すとおり平成の年代に入ると大幅に落ち込んだ。
このことから、アユの漁獲量が大幅に減少する以前の昭和50年代の瀬の再生に努めることとし、昭和50年代の瀬の面積の再現値約20,000㎡程度を目指すこととした。

7.加藤清正由来の「八の字堰」と瀬の再生
現在の遙拝堰は昭和43年に可動堰に改築しており、以前の旧遙拝堰は写真-1のとおり漢字の八の字の形状をした斜め堰であった。旧遙拝堰(八の字堰)は慶長13年(1608年)に加藤清正によって築造されたものである。
球磨川は急流河川であり、山間部を一気に流れ、遙拝堰地点で急激に平野部に入り、海に注いでいる。従って、遙拝堰地点での洪水流の制御および灌漑用水の取水が八代城下町と平野部の発展のかぎであった。そこで清正は、球磨川の力を斜めの堰で減殺し,長い堰体で流れを南北に分け,流れの先に設けた樋口で水を取り込む仕組みとなる八の字状の堰を造ったとされる(図-7参照)。

また写真-1から、旧遙拝堰(八の字堰)下流は白波が立つ状況が確認でき、多様な水の流れを形成していることから、当時は遙拝の瀬(黒瀬)とも呼ばれていた。
かつては、この八の字の形状により良好な瀬が存在していたと思料され、遙拝堰下流の瀬の再生の具体的手法として、八の字の河床整正による瀬の再生について、検討を進めることとした。

8.流速シミュレーションによる確認
遙拝堰下流で瀬の再生を行うにあたり、河床整正の形状を検討することとした。検討にあたっては、ケース①床固めのように流向に対して直角に河床整正した場合と、ケース②八の字の形状で河床整正をした場合の2ケースで、平水流量流下時の流速シミュレーションを実施した。その結果を図-8 に示す。アユの生息に適した瀬の条件は、流速0.5m/s 以上、水深は0.3m以上であるが、それが確保できる面積が、現況では約4,000㎡ケース①は約7,000㎡、ケース②は20,000㎡以上となり、八の字の形状を採用すると瀬の再生目標に達し、現況の5倍以上の瀬が再生できると確認できた。

9.水理模型実験による検証
次に、八の字の河床整正の高さや位置、洪水時に下流にあたえる影響を確認するために水理模型実験を実施した。
水理模型は、河床材料や実現象の再現性から1/100 スケールで制作し、洪水後の河床の移動の状況を把握するために移動床模型とした(写真-2参照)。

実験ケースはケース1として八の字の天端高をT.P.3.7m とT.P.4.0m にした場合、及び八の字の位置を遙拝堰直下(以下、原位置)と原位置から30m下流に配置した場合で、平水流量を流下させ、流速を確認することで最適な構造を確認した。
その後、最適案でケース2として小規模出水となる2,000m3 /s と平均年最大流量となる5,000m3 /s を流下させ、河床変動の状況と下流に存在する護岸や橋脚への影響を確認した(図-9参照)。

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9.1.実験ケース1
八の字の天端をT.P.3.7m とT.P.4.0m の実験結果を以下に示す(図-10、図-11 参照)。
T.P.3.7m、T.P.4.0 mともに瀬の条件となる流速0.5m/s 以上を満足したが、T.P.4.0m は、八の字中央の開口部からの流れが強くなる傾向となり、流心の流速は、T.P.4.0 mがT.P.3.7m の約1.5 倍の流速となった。この結果から、中央部と越流部の流れの変化が多様となるT.P.4.0m を採用することとした。
次に、八の字の位置を原位置にした場合と原位置から30m下流に配置した場合の実験結果を以下に示す(図-11、図-12 参照)。

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原位置より30m 下流に移動した場合、八の字の上流側に湛水域が広がり、遙拝堰からの流れが一度滞留するため、瀬の条件となる流速0.5m/s以上を満足しない結果となった。
この結果から、原位置を採用することとした。

9.1.実験ケース2
実験ケース2では、実験ケース1から八の字の天端高をT.P.4.0m、位置を原位置として設定し、洪水流下後の河床変動の状況及び下流に位置する橋脚、河岸等への影響確認を行った。
洪水量5,000m3/sを流下させた後の河床状況を図-13 に示す。

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現状(八の字無し)のケースでは、主に遙拝堰直下と橋脚周り、左岸側の護岸付近が洗掘される傾向となり、八の字を設置したケースでは、八の字下流側の両岸に土砂の堆積が顕著な箇所があらわれた。
この結果から、橋脚周りの洗掘に対しては、八の字を設置することで、現状に比べて大きな変化は無く、左岸側の護岸の洗掘に対しては、八の字を設置することで、現状で洗掘傾向にあったものが逆に堆積傾向となり河岸への影響が緩和される結果となった。

10.加藤清正由来の旧遙拝堰(八の字堰)の形状の復元
八の字の河床デザインの復元にあたっては、「良好な環境再生」と「歴史的遺構再現」の観点で検討することとし、八の字堰の構造について、古文書、研究書等を元に、考え方、構造、施工方法、材料等について抽出し、できるだけ旧遙拝堰(八の字堰)の形状の復元に努めることとした。
しかしながら、当時の絵図、昭和8年の測量図はあったものの、詳細な構造が示されたものがほとんど残ってなかったことから、加藤清正が同年代に築造した斜め堰の構造を参考に復元することとし、菊池川の白石堰、緑川の鵜ノ瀬堰の文献等を参考にすることとした。

10.1.白石堰と鵜ノ瀬堰
図-14に安政2年(1855年)の白石堰の図を示す。白石堰は、旧遙拝堰同様八の字型で、石の種類は堰体の表面が花崗岩または凝灰岩の切石を使用されており、凝固法として、二和土(砂と粘土を混合したもの)か三和土(砂と粘土と石灰を混合したもの)で固められていることが分かった。
また、堰幅20 ~ 25m程度で下流に向かって概ね1:5 ~ 1:7の勾配で造られており、石の大きさは1.0m程度のものが使用されていた。
図-15 に鵜ノ瀬堰の図を示す(制作年不明)。鵜ノ瀬堰は斜め堰で、石の種類は凝灰岩が中心に使用されており、凝固法として白石堰同様、二和土か三和土で固められていることが分かった。
堤体には幅1間の巨石が使用され、堰体を強化するための敷石があり、0.4m ~ 1.0m の割石が使用されていた。
また、深掘れ対策として、1間以上の巨石を敷き込み、敷石間には手頃な石や和土を使用されていた。

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11.旧遙拝堰(八の字堰)の形状復元の構造
旧遙拝堰(八の字堰)の形状復元の構造は、上述の検討結果を踏まえ、以下のとおりとした。
・基本形状: 加藤清正由来の八の字を復元する。施工位置は、収集した文献で最も古い球磨川絵図(天保7年)に近似している球磨川測量図(昭和8年)を踏襲する(図-16、17参照)。
・構  造:白石堰、鵜ノ瀬堰の構造を参考に巨石による石組みとし、また、堤体の強化及び深掘れ対策として、上下流に敷石(根固めブロック)を配置する。
・水通し部:流頭部と左岸にかつてあった水通し部を再現する。

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12.遙拝堰下流の河床デザイン
これまでに記載した各種検討結果を踏まえ、遙拝堰下流における八の字堰の形状の復元による瀬の再生イメージを図-18 のとおりとした。
八の字本体には、直径1m ~ 2m 程度の巨石を石組み構造で配置し、本体の崩壊を守るようにその上下流に根固めブロックを配置することとした。
根固めブロックは、球磨川中流部において、治水目的で掘削する玉石を有効活用し、それを表面に植石することとすることで、アユの餌場環境を作り出すこととしている。
八の字下流側の流心付近は、流速が早くなるため、早瀬、平瀬、淵が連続して形成され、アユの産卵環境に適した河床が形成されるものと思われる。
平成27年度から、本格的に工事に着手しており、約3年をかけて加藤清正由来の「八の字堰」の形状を復元する予定である。

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13.最後に
遙拝堰下流の瀬の再生にあたっては、多様な流れを再生し、かつてのようにアユ等の魚類が豊富な環境となるべく、河床デザインの検討を行った。
検討を進めるにあたって、加藤清正が築造したとされる旧遙拝堰(八の字堰)の形状を復元し、当時使用されていたと思われる巨石の石組みによる構造を採用することで、瀬の再生と共に地域の歴史を再現することにも取り組むこととした。
また、八の字は地元八代市の八でもある。
この「八」の形態を採用することで、多様な河川環境と共に、かつてそこに在った風景と地域の歴史を蘇らせ、新たな八代の財産となる試みであると考えている。

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