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日本列島の揺籃の地吉野ヶ里遺跡から
~「古代の森」が平成25年3月20日(祝)オープン~
南嶋佳典

キーワード:吉野ヶ里遺跡、遺跡の保存と整備、古代の森、運営維持管理

1.はじめに

国営吉野ヶ里歴史公園は、最後の開園ゾーンとなる「古代の森ゾーン」の整備が概成するため、「古代の森ゾーン」を平成25 年3月20 日(水)に開園する。吉野ヶ里歴史公園の整備は、「入り口ゾーン」、「環壕集落ゾーン」、「古代の原ゾーン」と整備を進めてきたが、この度、「古代の森ゾーン」(国営部のみ)を開園します。
福岡県と佐賀県の県境に跨り吉野ヶ里遺跡の背後に控える背振山脈から佐賀平野に向かって細長く伸びた段丘上に位置する吉野ヶ里歴史公園は、わが国固有の優れた文化的遺産である吉野ヶ里遺跡の保存及び活用を図るため平成4年10 月の閣議決定により、設置された計画面積約54 ヘクタールの国営公園である。
本稿では、吉野ヶ里遺跡の重要性、これまでの公園整備の経緯、今回開園する「古代の森ゾーン」の概要を紹介し、併せて、運営維持管理の現状や「吉野ヶ里遺跡の保存と利用者の快適性」というトレードオフの課題等を紹介する。

2.吉野ヶ里遺跡の概要
1)吉野ヶ里遺跡の重要性
吉野ヶ里遺跡は、昭和61 年からの工業団地に伴う埋蔵文化財発掘調査の成果などから、弥生時代(紀元前5世紀から紀元3世紀ごろ)の約700 年という長い期間を通して小さなムラが大陸の文化を取り入れ、やがてクニの中心集落へと発展する過程を教えてくれる極めて学術的な価値の高い遺跡であることがわかった。なかでも弥生時代後期の環壕集落跡は我が国でも最大規模のものであり、中国の史書「魏志倭人伝」に記された邪馬台国の様子を彷彿とさせるものとして、全国的に注目を集め、平成3年5月には国の特別史跡に指定されている。
佐賀県教育委員会は、吉野ヶ里遺跡の年代をⅠ~Ⅶ期の七期に分類している。
吉野ヶ里遺跡の復元整備に当たっては、大規模環壕集落が最も栄えた時期と考えられる紀元3世紀頃(吉野ヶ里Ⅶ期)を整備対象としており、発掘調査をもとに復元整備されている。

2)遺跡の保存方法
遺跡の保存にあたっては、遺構面が損傷しないように発掘調査で確認された遺構面より30㎝以上の保存盛土を行い、竪穴住居などの復元を行っている。

3.吉野ヶ里歴史公園の概要
1)吉野ヶ里歴史公園の概要
吉野ヶ里歴史公園は、国の特別史跡指定区域と佐賀県史跡指定区域を含む約54ha の国営公園区域と、それを補完し、遺跡の環境保全や周辺の自然景観と一体となった整備を行い、歴史公園としての機能充実をはかるために県立公園区域の約63ha(うち約35ha 開園済み)から構成されている、総計画面積約117ha の歴史公園である。
「吉野ヶ里遺跡の保存を通じての本物へのこだわりと、適切な施設の復元をわかりやすい手触りの展示等の遺跡の活用を通じて、弥生時代を体感できる場を創出することとする。」などを吉野ヶ里歴史公園の基本理念としている。
また、「弥生人の声が聞こえる」を基本テーマとし、基本方針は、「遺跡の保存と活用」、「魅力ある風景・環境づくり」、「新しい歴史文化の創造」、「地域振興の一翼を担う」など7項目を掲げ、佐賀県と国土交通省が一体となって公園整備を行っている。

2)整備の経緯
吉野ヶ里遺跡は、昭和56 年、工業団地計画が持ち上がり、平成5年3月に都市計画決定、同年5月に基本計画を策定、その後整備が進められ、平成13 年4月に約16ha を開園した。その後も順次部分開園し、平成25 年3月20 日現在、国営公園で約50ha、県立公園と合わせて約85haが開園している(※国営部分は平成25 年6月末1.6ha の追加開園を行う予定)。

3)施設の紹介
復元対象時期である弥生時代後期の環壕集落内の空間は大きく、3つの地域「南内郭の地域」、「北墳丘墓と北内郭の地域」、「南のムラの地域」に分かれていたと推定されている。
① 南内郭
南内郭の地域は、突出部をもつ環壕を有し、竪穴建物によって構成されている。また、土器、鉄器など日常の生活道具である遺物が豊富に出土していることから、日常の生活空間としての生活を併せ持っていた施設と考えられている。
こうした空間構成および出土遺物の特徴から、南内郭は支配者層の生活する世俗的権威の場と考えられ、吉野ヶ里の集落を始め周りのムラムラを治めていた王やリーダー層たちが住んでいたと考えられている。
南内郭は、竪穴式建物11 棟、物見櫓4棟など20 棟の建物を復元している。

② 倉と市
大型の高床倉庫と考えられる掘立柱建物群が存在する倉と市は、海外との交易品や日本各地の国々の特産品などが集まり、盛大な市が開かれたり、市で取引される品々が保管されていたと考えられる重要な場所とし考えられており、竪穴式建物、高床式倉庫や櫓など31 棟の建物を復元している。

③ 南のムラ
南のムラは、ムラの区域を区画する内壕などの特別な施設を有していない。このような集落形態は環壕集落内でも最も一般的な性格を持つムラであったことから、一般の人々が住んでいた所と考えられており、高床式建物8棟、竪穴式建物15棟など27 棟の建物を復元している。また、体験工房や公開作業室、展示ギャラリー、映像室、休憩室などを備えた「弥生くらし館」も設置している。その他に、畑も整備しており、弥生時代からあったであろうと思われる、キビ、葉、大豆、ソバなどを栽培している。

④ 北内郭
北内郭は、象徴的な大型建物の存在や、区画の閉鎖性、祭祀関係の遺物の出土から、祭祀的な空間、祭祀の中枢施設と考えられている。このように、「北内郭の地域」には、祭祀的な性格を強くもつ大型の施設が配置されており、また、規則正しい二重の環壕に囲まれた空間であり、弥生時代の後期に当時の支配者層が祭祀儀礼や政事を行う場であったと考えられており、主祭殿・物見櫓・高床住居など20 棟の建物を復元している。

⑤ 北墳丘墓
北墳丘墓は、弥生時代の吉野ヶ里集落の王達が埋葬されている特別なお墓と考えられており、外観は往時の墳丘墓のまま復元し、内部は発掘時の本物の遺構と14 基の大型甕棺を見ることができる。

⑥ 古代の森
古代の森ゾーンは、「吉野ヶ里の遺跡を通して弥生時代の森と人との関わりを紹介することを目的としたエリアである。弥生時代の森を再現した「古代植物の森」、弥生時代の森と人々の関わりをテーマとした体験学習施設「古代植物館」、延長300m にわたり約430 基からなる墓列を、再現している「甕棺墓列」で構成されている。
・古代植物の森
森の再現に当たっては、花粉種子分析を基に広葉樹林のシイ、クスノキ、イチガシ等を中心とした植生を図った。植生に当たり、成木を植栽する通常の緑化工法だけではなく、自然性の高い森の早期復元をはかるため佐賀市北部に位置する嘉瀬川ダムの水没地より、往時の姿に近いと考えられる樹林を草木、土壌動植物等と合わせて表土ごと移植する「生態移植工法」による整備も行った。

・古代植物館
 「古代植物館」は、弥生時代の森と人々の関わりをテーマとした体験学習を用意し、当時を学ぶ「パネル展示」や吉野ヶ里から出土した遺物の展示を行っている。常設展示室では、弥生時代の生活、文化と森との関わりについて分かり易いパネルを展示して説明するほか、吉野ヶ里から出土した「はしご」や「おの」などの木製品の実物展示を行う。

・甕棺墓列
 吉野ヶ里全体では、総数3,000 基を超える甕棺が確認されており、この丘陵地においては1,000 基以上に及ぶ。この場所の特徴として、中央に墓道を設けるように二列に甕棺が埋葬されている。墓は列状を基本としながら、血縁関係のある一族ごとにひとかたまりの集団になるように埋葬されている。整備に当たっては甕棺墓列のスケール感を出すため、南北約300m の区間に約430 個の土饅頭、その一部区間に一族の埋葬方法がわかるよう38 基の甕棺の整備を行っている。

4.運営維持管理の状況と効果
1)プログラムの紹介
吉野ヶ里で行っている体験プログラムは、毎日開催している、勾玉づくり、火おこし体験、土笛づくり、土日祝日限定の鏡製作体験、「親魏倭王」印などの製作体験を行っている。
また、新規に開園する「古代の森」では、弥生時代の調理や裁縫を体験したり、どんぐりなどの木の実を使った工作体験を実施する予定である。

2)地域との連携
周辺の施設とも連携し、佐賀県全体の観光振興に寄与していきたいと考えている。地域連携の取り組みの一環として、平成22 年3月から地元の吉野ヶ里町商工会が、毎月第一日曜の午前、吉野ヶ里公園駅から公園東口まで(約900m)の間に地域の物産を販売する「吉野ヶ里夢ロマン軽トラ市」を開催してきた。平成24 年4月からは公園東口エリアに場所を移し、平成25 年3月に3周年を迎えた。
3)景観に配慮
歴史公園として、可能な限り当時の様子を再現し、復元空間を損なわないために施設等についても様々な工夫を行っている。写真- 10 は、園内放送用のスピーカーを後ろの木柵と馴染ませたり、自動販売機の色を周辺の建物と同系色とし、目立たない景観に配慮した工夫を行っている。

4)利用状況
ここ数年の入園者数は、概ね年間約60 万人で推移しており、平成23 年4月21 日には開園10周年を迎えた。平成24 年度末現在で開園以来の累計入園者数は約700 万人である。

・利用者満足度
 公園利用実態調査のアンケート結果から公園の満足度、①総合的な満足度、②歴史施設としてのわかりやすさいずれも満足とやや満足で約97%の方に満足頂いている結果となっている。

5)課題や問題点
図-7は、過去のアンケート調査から統計処理したグラフである。X軸に重要度、Y軸に満足度を示している。歴史施設としての分かり易さは重要度も高く満足度も高い。一方、標識等のわかりやすさは重要度は高いが満足度は低く標識等のわかり易さに課題があることが伺える。

・歴史公園としての使命、特に国営エリアは当時の知見を元になるべく史実に基づき忠実に再現する必要がある。しかし、忠実に再現すればバリアー(地形、勾配、段差等)が生じ、利用者から見れば必ずしも快適に利用できる公園とはいえない。このようなトレードオフの関係をいかに解決しながら、入園者増につなげる方策や取り組みを行っていくかが必要である。

5.終わりに
古代の森の開園に向け受注者と発注者でH25.5.16 から開園に向け毎月2回の調整会議の場を持ってきた。また、佐賀県を始め関係機関等のご協力を得、3月20 日の開園を迎えることができた。
国営吉野ヶ里歴史公園として今後は全面開園に向け古代の森ゾーンの国営と県立の境界部を残すのみである。公園行政は他の行政とは違い、とりわけ公園の運営維持管理は公園利用者と直接接するため、公園利用者の視点に立った運営維持管理が特に求められる。古代の森の開園を契機に更なる利用者増につながることを期待したい。

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