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九州地方計画協会

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熊本市黒髪
(写真提供:熊本日日新聞社)

白川べりの地蔵堂
6.26水害の犠牲者を慰めるために祭られた地蔵。

熊本県は、県土のほとんどを山地や丘陵が占める急峻な地理的特性を持ち、同時に梅雨前線や台風などによる降水量が多いという気象特性から、全国的に見ても災害の発生しやすい所です。

特に、昭和28年6月26日の大水害は、県内では一般に「6.26水害」と呼ばれ、半世紀の間ずっと語り継がれてきました。

昭和28年6月の九州一帯を襲った梅雨前線による豪雨は、西日本一帯に大きな被害をもたらしました。熊本県においても、阿蘇地方に6月上旬に降り続いた雨で、地盤が緩んでいたところに、6月26日の豪雨により、白川は瞬く間に増水して大洪水となって沿川一帯に氾濫しました。また、この豪雨により阿蘇地方各所で山崩れが起き、「ヨナ」と呼ばれる火山灰が洪水で流されて氾濫し、堆積したため、熊本市内は一夜のうちに泥海と化しました。この豪雨による死者行方不明者は563人、被害総額831億円と甚大な被害をもたらしました。(熊本県河川課資料より)

この水害から、50年以上がたち現在では、 「6.26水害」の面影はまったくありません。また、人々の記憶から年々薄れつつありますが、私たちは過去の経験や教訓を次世代へ引き継ぎ、安心して暮らすことのできる川づくりを推進していきます。

昭和28年6月27日 熊本市子飼橋上流から流れてきた橋桁や家屋の残骸が次々と引っかかり、濁流が逆流して左岸側に流れを変え、川沿いの約200戸が流失しました。
(写真提供:熊本日日新聞社)

現在の子飼橋

八戸 澄江(やえすみえ)さん

あの水害の日、私は三男を産んだばかりで、一緒にまだ寝ておりました。ちょうどそのころ、どっと水かさが増してきたわけです。

対岸の家が傾き始め、これは大変だと思って起き上がり、どこかに避難しなければと思いました。その時、道を挟んだ反対側に4尺ほどの石垣を積んだ吉岡さんという大きな家があり、「私の家に逃げてらっしゃい」と言ってくださいました。身支度を整え赤ん坊をおんぶして意を決し、避難することにしました。その間にも、水かさがどんどん増し、夕方には周りの家の電気が消えていき、日は暮れて真っ暗になっていきました。吉岡さんの家に着いた時はものすごい水量でした。もう夜12時近くになると馬が流れてくる、牛が逆さになって流れてくる、そして家もどんどん流れてくるのです。

吉岡さんの家には、たくさんの人が避難していました。そしたら、下から泥水が畳の上に上がってきて、みんな柱によじ登ったり、座敷の上でおぼれそうになって、天井はすぐそこで逃げることもできません。周りの人から「赤ちゃんのへその緒から泥水が入るとばい菌が入ってすぐに死んでしまうよ」と言われ、首に赤ん坊をくくりつけ、水につからないように梁にぶら下がりました。「お母さん、助けて!」という声が聞こえてきますが、助けようにも手ものばされないのです。

夜10時から朝8時くらいまで、必死にぶら下がっていました。朝になり、水が引き始め、やっと降りることができました。しかし、首にくくりつけていた赤ん坊を見るとお化けのように真っ赤にただれていました。暑さで蒸されたのでした。私は、たった一晩で生え際が真っ白になっていました。

今でも、多くの人の「助けて!!」と言うたくさんの声がまだ耳に残っています。命が助かっただけで、本当にありがたいと思っています。

(資料提供:白川わくわくランド)

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