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九州地方計画協会

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取材・文  円山 砂和
撮  影  諸岡 敬民

塩田町、鹿島市を経て母なる干潟の海・有明海へと注ぐ鹿島川。

本流の長さは10.7km、流域面積は42.5km2。決して大きな河川ではないけど、その流れは、長い間、人々の暮らしと親密に関わり合ってきた。豊潤な自然を育みながら河口付近の平野へと向かい、周辺の田畑を潤し住民の生活をしっかりと支え、下流では干潟の生物たちに心地よい住みかを提供する。

江戸時代の壮大な取水計画や、いくつもの水害…。

穏やかな流れからは、その受難の歴史など、到底うかがい知ることはできない。新緑に彩られた鹿島川は今、あたたかく平凡な日々を重ねている。

夕暮れ時、潮が引いた鹿島川の神秘的な姿が

干潟の海ならではのムツゴロウ捕り

有明海の新鮮な海の幸が並ぶ

潮が引いてしまった鹿島川は、本来の川とはまったく別の姿を私たちの前に晒していた。露わになった干潟の景色は、アンデスの山々を飛行機の窓から眺めているようにも見える。風が波の模様をつくる広大な砂漠のようにも見える。そう、どこかちがう星の地形のようにも。有明海へと注ぐ鹿島川の河口付近は、とても宇宙的で、力強い生命感を秘めた静寂に包まれていた。

何かが動いた跡だろうか。干潟の表面にはまるで毛細血管のような曲線の模様が続き、貝や虫が潜んでいそうな無数の穴がぽつぽつとある。頼りなく細い足をしのばせて、一点を見つめながら獲物に近づいていくサギ。

陽が暮れかけていた。ようやく川として残った川幅のまん中あたりの細い流れに、春の夕日が映りこむ。空の上と川の中、ふたつの太陽は少しずつ近づいてゆき、やがてひとつに重なって消えた。オレンジ色の余韻が闇に支配されはじめ、最後のエネルギーをふりしぼる時。だから夕日は、沈んだ後が美しい。夜、誰も知らないもうひとつの世界が、この川にもはじまる。

鹿島川は、決して大きな川ではない。鹿島市と、隣接する塩田町の境界にある唐泉山に源を発する10.7kmの二級河川で、中川、黒川というふたつの支流を抱えている。河口付近には数カ所の船溜まりがあり、小さな漁船がゆらゆらと波に揺れていた。船を固定させる無数の竹の竿が茶色い水面から細い木の幹のように伸び、干潟ならではの風景を醸しだす。

ムツゴロウにグチ、白エビ、ワラスボ、ボラ、エツ‥‥。潮が満ちているあいだに、豊富な漁場である有明海へと思い思いに船を出す地元の漁師たち。穏やかな流れは、どこまでも平穏な暮らしへと彼らを導く。

麦の穂がさわやかな風に揺れ、鳥たちが競い合って歌う。畑では玉ねぎやいちごの収穫がさかんで、海からはじまったばかりの鹿島川はそんな様子を眺めながら、ゆったりと満ち引きを繰り返していた。沈んでは昇る太陽と同じように。

町並みの風景に溶け込む中川下流域

中川の中流域付近に作られた遊水場

平谷渓谷の付近にある研修宿泊施設、中川上流域

本流と支流。ひとつの川をそんな関係で見てみると、鹿島川の場合、その長さも観光のポイントとなる場所の数も、支流である中川に完敗している。これも鹿島川のひとつの特長としてユニークではあるのだが、地図を見ていると、縦に長い鹿島市を貫流する中川こそ、「鹿島川」と呼ぶべきではないのかと思いたくなる。一方の鹿島川は、塩田町を経て、鹿島市の中心部あたりを遠慮がちに通過し、中川と合流して有明海へと注ぐ。

河口付近に広がる平野は大部分が標高5m以下の低平地であるため、そこを流れる鹿島川は、有明海の潮の影響で「ガタ」が堆積し、冒頭のような幻想的な情景を描き出している。このような河口付近の干潟は、付近の農業や漁業に悪影響を及ぼすこともあるらしいが、鹿島川の素晴らしい個性のひとつとして捉えられているのもまた事実だ。

そういうわけで、中川には、市民の憩いの場ともいうべきいくつかのスポットが点在していた。上流は多良岳県立自然公園に指定。四季を通じて自然美を満喫できる平谷温泉や奥平谷キャンプ場などがあり、カジカやヤマメの生息する清流や、耳に心地よいせせらぎ、そして澄んだ空気がたっぷりと用意されている。奇岩を見下ろすダイナミックな風景も、人の手が加わっていない上流域ならではの景観だ。このあたりから車で川沿いを下流へと走るルートは、とても気持ちのいいドライブコース。藁葺き屋根の民家や田畑、農作業をする地元の人たちの素朴な姿‥‥車窓のスクリーンには、飾り気のない景色にゆるゆるとした時間が重なった、平和な山里が映し出されてゆく。

このように、中川の上流域に広がる自然には、地元の人々の力も大きく貢献している。鹿島市では、6年前から「海の森植林事業」を実施。落葉樹を伐採し続けたために緑が減り、それが結果的に海の汚染や生き物の危機にもつながるというわけで、定期的に広葉樹の植林を始めたのだ。保水力の高い森林を造成することで、美しい海を守り、そこに棲む生き物たちを守る。植林には、漁協の関係者も多数参加しているという。

周辺の田畑にも欠かせない存在の鹿城川

中川のほとりに建つ昔ながらの醸造元

そんな中川の中流域あたりに、鹿城川という小川を見つけた。中川のほとりにある数軒の民家の前を、ちょろちょろと流れている幅1.5m程度の川だ。両側にある民家は、鹿城川にかかる1本の小さな石橋で結ばれていた。助走をつければぽんと飛び越えられてしまいそうな、それくらいの川幅にもかかわらず、かわいらしい橋がちょこんと架けられてあるのだ。この川の存在感を示すように。そばにある立て看板には、「二級河川」という文字が誇らしげに並んでいた。ともすればミゾと間違えてしまいそうな、こんなミニチュアな川が二級河川…?

実は、鹿城川には地元の苦悩に満ちた歴史が刻まれている。江戸時代、付近一帯は高津原台地という高台で、河川はなく、雨はすぐに平野へと流れてしまうため、人々は水不足による貧しい生活を強いられていた。当時の課題といえば、高津原を農地に開拓するために、どんな方法で水を引くかということ。鍋島直朝公からこのことを命じられた藩士・平尾水月は、平野部を流れる中川から取水する方法を考案。けれども、一口に取水と言っても、測量技術などほとんど発達していない時代に、水路を設計するための測量はどのようにして行えばよいのだろう。それは豊かな暮らしを確保するための、村人の苦労のはじまりだった。山の傾きを測るために、夜、中腹に沿ってたくさんの人々に松明を持って立たせたり、実際に何度も何度も山を歩いてみたりと、その測量は並大抵の努力ではなかったという。想像を絶する苦労の末に設計された水路は、幅1.5m、全長約3.5km。当時としては壮大な水路計画だった。

勾配がゆるやかだったこと、足場の悪い山の斜面を利用しなければならなかったことなどで、設計と同じように困難を極めた工事もなんとか終了し、水路はようやく完成にいたった。

鹿城川は現在も、高津原や西牟田といった周辺の田畑にとってなくてはならない存在である。取水後、余った水はふたたび中川に戻るという素晴らしい設計だ。

「これでも私たちにとっては、立派な川なんです」。

玉ねぎ畑で農作業をしていたお年寄りが、小さなせせらぎを眺めながら目を細めてつぶやいた。鹿城川は、そんな偉大なる歴史を誇ろうともせず、ただ控えめに流れるばかりである。

鹿島川河口の情緒あふれる船だまりの風景

八天神社のこぢんまりとした鳥居

眼鏡橋の下、以前はここが鹿島川であった

次の日、鹿島川を河口から上流へと溯ってみた。河口付近は干潮で、よく見ると干潟の上ではおびただしい数のカニや貝がもそもそと動いている。すぐ上の鉄橋では、列車が時おりゴウゴウと音をたてて通過していくが、そんなことはまるで気にも留めていない様子。自分たちの楽園で、つかの間の日光浴を楽しむだけだ。

とはいえ、河口から車で5分も上流へ行けば“ガタの川”は消えてしまい、ごくごく普通の田園を流れる河川となる。レンゲ畑や麦畑、古い民家が軒を連ねるのどかな景色の中を、のんびり流れ続ける鹿島川。

台風や集中豪雨による決壊で、川は幾度となく氾濫し、そのたびに付近の住民たちに大きな被害をもたらしたというが、今となっては、それも遠い過去の話だ。

川沿いをしばらく走ると、塩田町で「八天神社」という古い神社に出会った。火の神を祀っていると聞けば、激しく男性的な印象を受けるけれど、実際はそんなことはない。境内は深い緑に囲まれており、そのせいだろうか、しばらく佇んでいるととても落ち着いた気分になる。火の神様だって、普段はきっとやさしい性格に違いない。

鳥居の手前には、古びた眼鏡橋が架けられていた。苔むした石橋には独特の風情が漂い、それが社殿をも趣深いものにしている。眼鏡橋はもともと、中国の僧が長崎に伝えたのがはじまりといわれるが、この橋も隣県の中国文化の影響を色濃く受けているのだろう。江戸時代のもので、これほど完璧な姿で残されている眼鏡橋は、県内ではここだけだという。

眼鏡橋の下には、水面に白い雲や新緑を映すひんやり透き通った川があった。今でこそ本流からはずれて、ひっそりとその身を隠すように存在しているけれど、以前はこの小川も鹿島川として親しまれ、住民の暮らしを確かに支えていた。

人々の生活を潤し、たくさんの自然を育み、豊かな環境をつくる。長い間の営みがこうして今、淀みのない蕩々とした流れを生み出してゆく。

そこにはさりげなく素敵な、川の人生が横たわっていた。

時代に惑うことなく静かに生きてきた、この小さな鹿島川と、その姿を見つめ続けた眼鏡橋。川べりの草むらでは、蝶々やカエルが、春の陽射しに夢中になっていた。彼らもまた時に流されることなく、この川で生きていくのだろう。美しい水の流れやそこに棲む魚たちと同じように。

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