九州に残る戦前のコンクリート橋
~昭和モダンの大衆デザインと、日常の生活景の継承~
~昭和モダンの大衆デザインと、日常の生活景の継承~
九州大学
キャンパスライフ・健康支援センター
特任准教授
キャンパスライフ・健康支援センター
特任准教授
羽 野 暁
キーワード:昭和モダン、高欄、親柱、生活景、記憶の継承、居場所
1.はじめに
大正~昭和初期は、近代化橋梁の建設が全国各地で進められた時代である。洪水の度に流され「仮橋」と表現された木橋に代わり、耐用年数100年を見据え「永久橋」と呼ばれたコンクリート橋が誇りを持って建設された。これら地域の近代化橋梁は設計者や施工者の記録が残っていないいわゆる無名橋が多いが、中央都市圏の著名橋に倣い構造的にも意匠的にも大変丁寧に造られている。著者は、福岡県を中心に九州に現存する大正~昭和初期のコンクリート橋約180橋の現地調査を実施した。本稿では特に人の目にふれやすい高欄、親柱など橋上の構造物に着目し、同時代の貴重な意匠造形をいくつか紹介したい。
アール・デコ調のモダンな造形を有する同時代の橋梁は、長期の供用に伴うエイジングから趣深い風合いを醸し、今も威風堂々とした存在感を放つものが多い。職人の手仕事による細やかな造形の集合は時を経ても陳腐化せず、周囲の風景とともに地域の生活景の一部となっている。本稿では、鹿児島県に残る同時代のコンクリート橋である山田橋を対象に、架け替えを機に実施された保存・利活用プロジェクトについても紹介したい。昭和モダンの造形が残る歴史的な土木構造物の保存に加え、地域の日常の生活景を継承し、居心地の良い場所の創出に取り組んだ事例である。
2.現存橋梁の悉皆調査
表- 1に、福岡県における主な調査橋梁の写真年表を示す。現存する橋梁の現地悉皆調査と、改修済み橋梁に関する文献調査をもとに整理したものである。土木学会選奨土木遺産である佐井川橋(大正9年竣工、平成28年度認定)、名島橋(昭和8年竣工、平成16年度認定)、山国橋(昭和9年竣工、令和4年度認定)を含み、大正期から昭和初期にかけて、高欄や親柱に多様な意匠が施されたことが確認できる。高欄は大きくはプレキャスト柱と現場打ちの笠木・台座で構成するパタンと、現場打ちの壁高欄に開口部を設けるパタンの2種類がある。開口部や柱の形状に意匠の濃淡があるが、いずれも同一形状の幾何学模様の繰り返しや規則的な寸法変化など、アール・デコ調の造形が見て取れる。
特徴的な橋梁として、例えば、毛来橋、三橋、立角橋、柳野橋が挙げられる。毛来橋(昭和3年竣工、図- 1 上)は、親柱、中柱、高欄に統一して直線的な意匠が施されたもので、高欄はY字型のプレキャスト柱が連続している。三橋(昭和1年竣工、図- 1 下)は、同じく親柱、中柱、高欄に直線的な意匠が施されており、高欄は壁高欄パタンで五角形の開口部が設けられている。この地域は路線を通して直線的な意匠が現存しており、柳川市内の国道443号にかかる上船場橋、宮ノ前橋には、毛来橋、三橋と同様の直線的な意匠が施されている。対照的に、糸島市に現存する立角橋(昭和9年竣工、図- 2 上)は、曲線的な意匠が強調されており、伸びやかな大小のアーチが連続する印象的な意匠で、高欄はプレキャストピースで構成されている。うきは市に現存した柳野橋(昭和3年竣工、図- 2 下)は、同じく曲線的な意匠を基調とし、高欄は壁高欄パタンで角の丸い四角形の開口部が設けられていた。これらの橋梁は、地域の日常の生活景を構成する大きな要素のひとつと言える。










3.地域活用
鹿児島県姶良市の中山間地域である山田地域に、昭和4年竣工のコンクリート橋の山田橋が現存した(写真- 1、図- 3)。昭和モダンの意匠が施された橋長60m の存在感のある歴史的な橋梁であったが、老朽化と治水の要求を受け架け替えられた。解体による風景の喪失は大きく、地域では生活景の継承に向けた取組みが進められた。
山田橋の約90年に渡る歴史を共有するため、地域の古老から聴き取った歴史情報をもとに橋の一生を描いた歴史紙芝居が制作された(図- 4)。山田橋に隣接する山田小学校にて紙芝居の実演会が開催され、全校生徒約60名と地域の高齢者が参加し往時に想いを馳せた。
その後、山田橋の橋上を灯す灯篭づくりのワークショップが開催され、山田小学校の全校生徒と地域の高齢者らが参加し多くの灯篭が制作された。灯篭は後日、山田橋の橋上に並べられ、日没に合わせて点灯された(写真- 2)。橋上は、地域の子どもや保護者、高齢者等で溢れ、皆が地域の思い出を語り合う井戸端会議の場となった。高齢者は橋と共にあった往時のにぎわいを懐かしみ、若者や子供は縁日のような高揚感を共有した。
事業者は、架け替え後に生じた両岸3 箇所の残地に、旧橋の親柱と高欄を利活用した緑地のポケットパーク「やまだばし思い出テラス」を整備した(平成31年竣工、写真- 3)。山田橋の親柱は原位置に残され、コンクリート高欄は移築して新たな転落防止用柵として転用された。重厚な親柱と高欄で囲まれた両岸のポケットパークは架け替え前の橋上空間の印象を強く残すものであり、生活景の記憶の継承が期待できる。





4.おわりに
地域の土木構造物が近代化した大正~昭和初期は、大衆文化が花開いた時代であった。当時の時代気分を受けて建設されたコンクリート橋は、今もなお地域の風景に強い存在感を放っている。山田橋の紙芝居に参加した当時の小学生は、大人になった現在もやまだばし思い出テラスを自分の場所だと言う。今も地域の記憶に残り続ける昭和モダン橋梁の価値はとても大きい。
参考文献
1) 羽野暁, 福岡県における大正~昭和初期地域橋梁の親柱・高欄意匠特性, 第一工業大学研究報告
2) 羽野暁, 地域遺産を活用した少子高齢化社会の地域活動と地域教育, 第一工業大学研究報告
3) 羽野暁, 記憶をつなぐ残地のデザイン「やまだばし思い出テラス」,日本デザイン学会,デザイン学研究作品集
4) 土木学会:土木学会デザイン賞ホームページ
https://design-prize.sakura.ne.jp/archives/result/1978
https://design-prize.sakura.ne.jp/archives/result/1978
5) 土木学会:2024年度会長プロジェクト 土木学会の風景を描くプロジェクトホームページ
https://committees.jsce.or.jp/2024_Presidential_Project/node/54
https://committees.jsce.or.jp/2024_Presidential_Project/node/54