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夢を抱いて土木に挑戦

(社)日本道路建設業協会 九州支部支部長
藤 居 光 夫

昨年の4月、業者の立場で九州にご縁をいただいて1年が経過した。生まれてから15歳までの少年時代を過ごした九州であり、自分の歴史を振り返る素晴らしい1年であったが、同時に建設業者としては資材の高騰、新しい入札制度への戸惑い、道路財源問題等に振り回され近年にない何とも憂鬱な1年でもあった。
昭和40年頃「これからは国土基盤整備の時代だ、土木にしなさい」と、進路を決めかねていた私に一喝し、就職先にあれこれ悩んでいた時「道路の時代だ、道路にしなさい」と再度進言してくれた父は7年前に他界した。国語の教師だった父が自分の息子に「土木だ、土木だ」と勧めた訳が父の他界後いろいろな話からようやく判ったような気がする。
母親から話を聞いたところ、戦前から戦中にかけて朝鮮半島で教員をしていた父は、3年間旧制京城公立工業学校土木科のクラス担任をしていた。その生徒達との交流が原点ではなかったかと思われる。国土建設に夢を抱いて土木科に入学し、真剣に学問に取り組んでいた当時16~17歳の少年達との交流をいろいろな記録に残していた。クラスには大多数の日本人に混じって数人の朝鮮人が在籍していた。級長は日本人を指名するのが慣例であったが、父は成績・人格ともに秀でていた金範竜という少年を指名し、クラス全員がその事に納得したそうである。その事が原因してか、父は数ヶ月後現在の北朝鮮に位置している興南工業学校に異動(左遷)させられたそうだ。その学校での悲しいエピソードもある。実家の仏壇に若い特攻隊員の写真を置き生前父が手を合わせていたのだが、興南工業学校で担任した朝鮮人で特攻隊に志願したらしい。遺品のノートに父を慕っているという記述があったとのこと。知覧ではしっかり写真を確認して、父に代わり手を合わせることができた。
京城工業や興南工業の生徒達との交流は、生前は勿論、亡くなった現在も続き、韓国の建設業界で活躍していた教え子がいまだに時々父の墓参に来られる。当時級長に指名した金氏は行方不明であったが韓国同窓生の懸命の調査で、朝鮮戦争で北朝鮮軍に捕らわれ戦死していた。消息判明の後、父は訪韓し遺族を弔問したとのことである。日本の教え子達も多くの方々が建設業界で活躍し、父の自慢であったらしい。結局、自分の息子を大好きな土木屋にしたかったのだろう。
道路の仕事に携わって40年。「国土基盤整備、道路の時代だ」と言った父の言葉は絶対に間違いではなかったと信じているし、今でも大いに感謝している。この九州ではまだまだ我々の出番があるはずだ。しかし最近土木を目指す若者が少なくなり、また建設業界に就職したくないという土木系学生も多いと聞く。何かと批判にさらされている業界ではあるが、多くの課題を克服して魅力ある産業として脱皮しなければならない。そして、夢を抱いて土木に挑戦をする若者が増えてくれることを期待したい。

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