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島原鉄道廃線跡をサイクリングロードとして活用する
田中徹政
1 はじめに

長崎県島原半島の沿線に3分の2の区間(諌早~加津佐間78.5㎞)を結ぶ唯一の鉄道交通機関である島原鉄道は、沿線住民の交通手段として地域の発展に貢献してきた。しかし、平成2年に起きた雲仙普賢岳災害により多大な被害を受ける。
その後、平成9年の災害復旧工事完成にともない地域の活気を取り戻そうと、島原鉄道は新たな観光資源としてトロッコ列車の運行を始めるも、利用者の増加には繋がらず、さらには、少子高齢化、自動車の普及も進み輸送人員の減少によって厳しい経営環境下におかれ、2008年3月31日、長崎県の島原半島を走っていた島原鉄道南線 (図-1参照) は約80年の歴史に幕を閉じた。
それから、半年以上が経過しているが現在でも廃線は放置されたままであり、跡地利用は決まっていない。このままでは、日本の端とも言えるこの島原半島で地域の荒廃化に対する懸念は増すばかりである。それによって地域の格差は拡大することも必然的と思われる。そこで、現状を踏まえたこれからの地域づくりの活性化へ向けて島原鉄道廃線跡を「サイクリングロード」として活用すべき可能性について述べる。

2 島原鉄道廃線跡の機能性とその考察
1)島原鉄道南線の観光に適した立地
島原鉄道南線は図-1に示しているように観光するにおいて最も適した路線を走っていたことが伺える。島原市街地を通りぬけたあと水田や人家を見ながら普賢岳の山麓に沿って島原半島を大きく海沿いに走り島原復興アリーナを始まりとして南端のイルカウォッチングができる加津佐町まで有明海の美しい眺望や山並みの景観を楽しみながら旅ができ、観光施設も多く、温泉や宿泊施設も建ち並んでいる。
一方で、平成20年10月20日には、日本のジオパーク審査機関である日本ジオパーク委員会より、島原半島は、日本ジオパーク国内第1号に認定されるとともに、世界ジオパークネットワークへ申請されることになった。「ジオ」とは地球、大地という意味をもち、山や川などの様子をよく見て、生態系や人間生活・文化との関わりを考える公園(パーク)、これが「ジオパーク」である。それは、ユネスコが推進する世界的な自然公園の制度によるもので、ヨーロッパや中国を中心に世界中に広まりつつある。その世界ジオパーク認定国内第1号へ向けての審査が始まっている。このように、自然や風景は島原半島の最大の魅力である。

2) 鉄道路線のしくみ
島原鉄道は起伏がほとんどない海岸線の平坦な地形を利用して、線路を結んでいる。つまり、鉄道路線の場合、急なカーブはなく、上り下りの勾配もほとんどない。例えば、平坦な線路を20km/hで走行した場合の走行抵抗は1~2kgf/tと、ゴムタイヤを使用した自動車の10kgf/t(舗装道路)に比べるとおよそ10分の1程度である。この鉄軌道の走行抵抗が少ないという理由により、自動車ほど急勾配を上り下りすることができない(始動時には勾配33‰程度が限界である)しくみで線路は造られていることから、歩行者や自転車に対しても起伏の小さい最適な環境にあるといえる。

3)廃線跡を道(移動経路)とした場合の利便的可能性
図-1からわかるように、その廃線跡の線路沿いには数多くの学校が存在している。特に廃線跡の駅舎付近に高等学校が多く建てられており、高校生の多くは島原鉄道を頻繁に利用していたことが考えられる。すなわち、学校への行き帰りの移動にあたっては利便性に優れた道(移動経路)であると考えられる。しかしながら、今となっては、道路による交通手段しか残されていないことも確かである。

4)廃線跡に設けられた駅舎の利便的可能性
図-1に廃止路線にそれぞれ設けられていた駅舎を示している。この駅舎は島原外港駅から南端の加津佐駅まで合計20ヶ所設けられており、ある一定の間隔で線路沿いに存在している。つまり、それぞれの町や地区ごとに駅舎は分布していることになる。また、南島原市の町や地区にはそれぞれの文化や郷土料理並びに地産品が多種多様にあり、そのどれもがこの地域でしか味わえないものが多い。例えば、全国的にも有名な「島原手延べそうめん」もその一つであり、農産物や魚介類も豊富である。そして、これらのお土産品売場やお食事処は駅舎の付近にも多く存在している。
よって、以上のことを前項で述べてきたように、これほどの有効利用価値のある観光資源をそのままにしておくのには勿体無いと考える。
また、一方では、図-1に示しているように現在、唯一の交通機関である道路(国道251号線)は海岸線に接するように伸びてはいるものの、線路とはある程度の間隔があり異なる道を経由していることが伺える。また、片側一車線の狭い道が大半の距離を占めており、歩道は大人一人分の幅しかない。その道を学校や遊びの行き帰りの際に高校生や小学生などが自転車に乗っているところをよく見かける。それと同時に車からの目線では自転車に対して危険を察することも多く、また、車椅子を扱う高齢者や障害者においては利用するとなると大変、危険であるということがいえる。すなわち、歩行者や自転車そして障害者は通行が困難(不便利)な状況にある。
そこで、現状の廃線並びに駅舎を再利用して人々が安全で安心して交流できる環境を築くことで地域の活性化の促進を図るために一つの構想を提案する。

3 島原サイクリングロードの構想とその結果

本稿で提案する構想は、「島原サイクリングロード」である。現状の放置されたままの廃線並びに駅舎を再整備して、島原サイクリングロード(歩行者・自転車専用道路)をつくることで人々(特に交通弱者である子供やお年寄りそして障害者)の交流の促進による地域活性化を目的とし、かつ、原動機付きの乗り物(法律上歩行者同様と定められている電動カートなどは除く)の一切を遮断することにより安全で安心な交通環境を整備することが必要と考える。
① 並木を設けることで日陰ができ、並木の間隔を広くとることで眺望ならびに景観に優れた開放感ある空間をつくる。
② 道路舗装は足に負担の少ないもので施工する。
③ 駅舎は20ヶ所あり、ある一定の距離間隔に設置されていることから休憩所やお土産売場にし、駐輪所の機能を活かして自転車を貸出・返却できるシステムにする。
以上から、島原鉄道南線の路線に隣接するように観光施設や宿泊施設も多く存在していた。また、日本ジオパーク国内第1号に認定されており、事実上、日本で最大規模の公園と認定された。すなわち、国内のどこよりも町並みや自然の風景を楽しむことができる環境にあった。線路低勾配の制限による鉄道機能上の短所が歩行者や自転車に対して最大の長所となることも判明した。
よって、これらの要素を有した環境整備が実現すれば、町の入口が開き、快適な空間をつくることにより人と人とが接する機会を多く生み出すことができる。観光客に対しても本来の島原半島の景色を楽しみながらサイクリングやハイキングによる旅や観光が楽しめる。また、原動機付きの乗り物を規制することでCO2の発生緩和にも貢献することが期待される。

4 まとめ

私の故郷である長崎県島原の島原鉄道廃線跡を事例として、現状を踏まえたこれからの地域づくりの活性化へ向けた一つの構想を述べた。地域で暮らす地元の 「市民」 「企業」 「自治体」 が三位一体となって協力関係を構築し、取り組むことができれば構想実現は決して不可能ではない。つまり、近年、他地域で町おこしや農村整備で取り行われている住民参加型直営施工やボランティアによる協力活動がいい例である。今回、あくまでも一つの事例において視野を向けて述べてはいるがこれからの地域の発展を考えた場合、地域が主体となり既存再利用価値のある資源(公共ストックなど)を用いた利用促進策を立てることが急務である。
「がまだす」1)をモットーに地域住民とのコンセンサスを図りながら地域の活性化を視野に入れた構想・計画そして実行していくことが島原の経済、および地域の発展を促進し、ひとづくり、まちづくりへとつながっていくと信じている。そうした、さまざまな地域関係者との支援の輪を拡げていくことが何よりも重要であろう。
最後に、私が構想した島原サイクリングロードを「さるく」2)ことができる日を夢みている。


【脚 注】
1)「がまだす」;島原の方言で「頑張る」の意味
2)「さるく」;島原の方言で「散歩」の意味

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