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九州における建設技術50年のあゆみと今後の展望

建設省 九州技術事務所
 所長
村 松 正 明

1 はじめに
我が国は,昭和20年の戦争後の混乱と荒廃した国土,食料難な時代の克服や頻発する自然災害の暮らしのなかにあった。昭和23年,まだ国土復興の槌音が響く最中,国民の切実な要望を担って,建設省は内務省,建設院と組織の変遷を経て発足し,九州における国土づくりとして九州地方建設局も活動を開始し,50年が経過した。
この50年のなかで,自然災害の復旧・保全や新しい国土建設へとその役割を担ってきたが,その間,時代も大きな変化を見せ,経済復興時代から高度成長時代へ,そして安定時代後のバブル発生と崩壊により,現在は厳しい社会・経済環境下にある。
このようにして,50年の歴史を建設技術開発に立脚すると,社会基盤整備として九州における国土形成,地域経済の発展に重要な役割を果たしており,九州で初めて経験し成功した技術が全国へと展開し,その中では世界に冠たる技術も誕生している。
ここでは,全国的な動向と九州地区の直轄技術の50年の変遷を時代別,分野別に顧みるとともに,来るべき21世紀に向けての技術開発の展望を記述してみたい。

2 国内の建設技術50年のあゆみ
(1)我が国の近代建設技術への道
近代日本となった明治から戦前の建設技術は,河川の大洪水を契機に洪水対策として,治水事業による主要河川の流量調査結果の作成,雨量から最大洪水量の推定,分合流点における河川の水理特性の把握,堰・水門・横越流堤等の流量と洗掘状況の把握,河川特性と縦断勾配・粗度の関係の究明等,我が国の国土地形状況により,着実な技術研究を歩み続けた。
また,戦前のダムはコンクリートダムが中心で,地震の影響を考慮した設計法の開発などの進展はあったものの,革新的な技術開発や設計手法を産み出すまでには至らなかった。
一方,我が国の自動車交通は,大正中期以降ようやく発展を開始したものの,現在に比べると微々たるものであったが,自動車走行の経済性,道路構造のあり方,線形計画手法,走行速度と幅員の関係,夜間照明と路面輝度,路面のすべり摩擦特性等の研究開発が進められ成果をみている。
道路の近代舗装は,街路を中心に大正末期に始められた。舗装の工種は,木塊,シートアスファルト,アスファルトコンクリート,ワーレンナイトビチューリシックなどであった。アスファルト乳剤による簡易舗装も広く実施され,舗装および舗装材料の特性試験法も開発された。
橋梁建設技術については,明治以前の木橋に替わり,外国人技師のもとで輸入された鉄により,鉄道を中心に鉄橋が架設されていたが,関東大震災後の復興事業を契機として飛躍的な発展をとげ,橋梁基礎についてもケーソン基礎工法の発達も目覚ましかった。橋梁用鋼材も十分な性能を有するものが生産され,昭和10年代には溶接鋼道路橋が製作されている。また,鉄筋コンクリート橋の発展も著しく,昭和初期にその標準設計が出されているのも注目に値する。

(2)この50年の建設技術
荒廃した国土の復興から現在までの50年間の建設技術は,それまでの経済社会が経験したことのない激動の時代であり,多くの技術開発や研究により今日の社会基盤が整備されている。
① 戦後復興期の建設技術
戦災復興の即効性のある建設として,アメリカをはじめ先進諸国の新技術を吸収消化しながら,戦時中の立ち後れを取り戻し,次に来るべき発展期の基礎を固めた技術の大変革であった。
この中で,新技術の開発に関しては,構造物の大型化,長大化を図る技術として,ブルドーザーをはじめとする土工機械,プレストレストコンクリート等の技術が外国から導入された。また,構造物の耐久化,永久化を図る技術として,基礎杭等の調査研究・実用化が行われ,これらの新しい技術は,道路工事等の建設事業に直ちに吸収,消化され定着していった。
一方,この時期には,技術計画立案として河川改修計画立案の基礎的理念の確立,道路構造令の制定,砂防全体計画等により,計画や設計の基本となる重要な事項が策定されている。また,マニュアルの整備も行われており,土質力学やコンクリート工学の発展を吸収した各種試験法のJIS化が図られ,実際の工事の施工経験と研究機関における実験結果を集大成して作成されたコンクリートおよびアスファルト舗装要綱,道路土工指針等の要綱類が整備されたことにより,次の事業展開の設計施工指針として大きな役割を果たした。
② 高度成長期の建設技術
経済の高度成長は,社会資本の不足が顕在化した時期であり,このため大量の社会資本が本格的に整備され,量・質とも戦前とは比較にならないほどの整備水準を達成した。
大量の建設事業を実施するため,建設機械の大型化や多様化が国産技術によって実行され,測量技術の改良や開発,解析技術の進歩をはじめ,建設構造物の標準設計,仕様書等の諸基準の制定により設計,施工両面にわたる標準化・基準化がされた。建設技術の高度化に伴い,高速道路の建設による長大橋梁,長大トンネルの掘削等をはじめとして,巨大なダムや高層ビルの建設を可能とするため,岩盤力学,地震学・振動学等の研究,コンピュータの活用,大型模型実験の実施,高分子材料をはじめとする各種の新材料の利用,新工法を可能とする建設機械の開発等,個々の分野の技術革新が大きな基盤となっている。これらの技術に対して,効率的な事業執行に要する各種の技術基準の一層の高度化,要綱等の見直し改訂が行われた。
また,公共投資をより合理的・効率的に行うため,事業の計画および管理面でも技術的な改良も行われた。道路交通においては,一般交通量調査からOD調査,パーソントリップ調査へと面的な交通需要の把握へ変化し,他交通機関との総合化を図る必要性も生じている。河川では,都市化の影響による流出機構の変化を考慮した降雨量中心の治水計画論,砂防のメカニズムの解明により,砂防ダムの経済的配置および設計論が策定された。
これらの多様化する技術には,携わる技術者の技術力向上が必要であり,研修機関による養成では重要構造物の設計技術,施工監督・管理等の研修が重視されるとともに,情報化時代に対処するためコンピュータのプログラミングの研修も実施された。
③ 安定成長期の建設技術
この時代の最大の特徴は,国民意識の高度化・多様化に伴い,生活環境と安全の改善のための技術が追究されたことである。
建設事業の実施に先立ち,事業が環境に与える影響を事前に評価するために,環境アセスメントの技術指針の試案が作成されたのをはじめ,生活環境の改善という課題が事業目的の一つとして認識された。また,建設工事に伴う工事公害の防止についても,より公害の少ない施工法の採用とともに,低公害型建設機械の開発,改良が行われた。それらと同時に,環境調査の実施や公害測定機器等の関連技術を導入し,現地でも使用された。
社会基盤整備として,整備が遅れていた下水道事業が本格化し,地下埋設への管敷設技術の開発や,急増する交通事故の防止対策として安全施設に関する設計法の研究。また,防災関係では崖崩れ防止法の研究,水害危険度評価手法などが研究されている。
④ 変革期の建設技術
昭和の60年代から平成の今日までは,好景気により経済活動が活発化し,投機的な開発や設備投資による建設工事量の増大,また,その後の急落により建設事業を取り巻く環境としては,厳しい社会,経済情勢のなかにある。
この時期は,大都市への一極集中が顕著に現れ,それにともない住宅問題,交通問題,ゴミ問題等の生活環境,社会環境問題が深刻化しており,第四次全国総合開発計画では多極分散型国土の形成を目指し,機能の分散や地域間の交流ネットワーク化が推進された。
一方,建設技術の進展は,工事範囲が地下や高層化,長大化する橋梁,構造物等へ拡大し,また熟練作業員の不足等の課題を受け,省力化,安全性の向上,苦渋作業からの開放等を目的とした技術開発がされた。建設ロボットの開発,測量分野におけるトータルステーションシステムや,人工衛星を利用したGPSの活用をはじめとした技術が開発され,これらによって,シールド機械による大深度,大断面,長距離トンネルである東京湾岸道路の建設や長大橋である明石海峡大橋など,世界的に見ても先駆的な建設事業が行われた。
また,近年では,地球規模での環境問題が顕在化し,環境や生態系に配慮した技術研究の整備や省資源化によるリサイクル技術に対する研究開発が各分野で取り組まれている。

3 九州における建設技術50年のあゆみ
全国的な建設技術の動向のなかで,九州におけるこの50年を振り返ってみると,九州は日本の南に位置するアジアモンスーン型気候の梅雨長雨と台風常襲地帯であり,山地の地形は急峻である。
地質は,南部は火山活動による独特な火山灰シラス,北部は変成岩類の深層風化地帯が広がり,また,有明海周辺部の低平地は軟弱地盤であり,河川氾濫と高潮による浸水被害も発生している。このような特殊な自然条件下で,数多くの建設技術が現在の基盤整備の礎となっている。
主な技術の特徴を各分野でみると,
① 土工関連
九州内の主要幹線道路は,地盤工学の研究により,道路構造が形成されている。交通需要に合わせて,早期の交通開放を目的としたソイルセメントを基層に使用した施工法の採用や,ボタを利用した道路盛土工法,阿蘇の黒ボク,赤ボクや南九州地方のシラス地帯の施工技術を確立させた。また,地盤補強工法の採用等により幹線道路としてのネットワーク網が整備されてきた。
一方,河川技術は,相次ぐ洪水災害の復旧工事や河道改修,築堤工事等で,輸入された掘削機や機関車等の建設機械による大型施工化が可能となり,建設現場の主力としての機能が発揮された。
これらにより,九州でも機械の保守整備として,九州技術事務所の前身である久留米機械整備事務所が昭和25年に開設されている。最盛期の昭和32年から35年にかけては,ブルドーザやショベルその他の機種を年間約100台~125台の整備を行っており,同時に建設機械の国産化が活発化した。その後機種,数量の増大,大型化を経て雲仙復興工事の現場での無人化による機械施工までに進展している。
② 橋梁関連
現在の我が固の橋梁技術は,九州での架設経験がその後の飛躍的な技術へと発展している。
九州地建発足後の昭和25年には,長崎県の伊ノ浦橋(現在の西海橋),鹿児島県の太平橋など5橋の架設に着手し,西海橋は当時東洋一のアーチ橋として昭和30年に完成している。また,この年には,北九州市洞海湾の若松と戸畑を結ぶ夢の架け橋といわれた若戸大橋の架設工事に着手しており,この吊り橋も当時東洋一といわれた。
このほか,昭和41年には,天草5橋の完成により島々が連絡され,人・物の交流や交通の利便性の向上,観光ルートの開発等により経済波及効果が図られた。その後も黒の瀬戸大橋や関門橋など九州で架橋されたこれらの橋梁技術が,国内の長大橋梁化へと繋がっていった。
一方,基礎技術についてもこれらと同様に,海中でのニューマチックケーソン,プレパックトコンクリートおよび鋼管矢板基礎など,主要な基礎構造に関しての採用も九州が先駆的であった。
③ 材料・施工関連
北九州は,鉄鋼の街として明治時代から昭和の高度経済成長期や安定成長期に至るまで繁栄したが,製鉄所での製鉄工程で大量に発生するスラグを有効利用する技術として,九州ではセメント種類に高炉セメントがJIS化されたことに伴い,いち早くコンクリート構造物の一部に活用している。また,舗装の路盤材としても利用しており,これらは現在でいう副産物を有効に利用したものといえる。
九州におけるプレストレストコンクリート技術の発展は,昭和29年に福岡周辺の骨材を使用して,当時としては高強度の500kg/cm2を達成させたことによる。その後の技術競争により,九州各地にPC橋梁が施工され,今日の先導的役割となっている。
施工技術の進展は,省人化,省力化を図るため,大型機械による効率性の向上や機械化施工による苦渋作業の改善,労働力の確保に繋がっている。近年では,雲仙普賢岳における土石流災害の復旧工事において,国内で初めて大型機械の無人化施工が実施された。その後も全国で頻発している災害危険個所の復旧作業では,遠隔操縦による機械施工が安全確保の点からも重要となっている。

4 これからの建設技術
社会が成熟した現在,価値観が多様化し高度化,複雑化が進行するなかで,社会資本整備がまだ十分でない現状下では,防災に関する技術が望まれている。いままでにレーダー雨量計による雨量や河川水位のリアルタイムな情報収集,災害時における通信技術は災害対策に大きな力を発揮している。今後,急速な光ファイバー網の整備により,危険箇所予知や感知システムの高度化で防災情報の収集,提供がネットワーク化され,地域住民に対して安全で安心できる地域づくりに貢献する技術が必要である。
次世代は,環境保全や資源の有効利用が深刻な課題となり,リサイクル技術の開発や資材の確保,新しい素材としての新機能材料や高性能材料の研究,技術開発が必要である。これらを利用した施工技術が,土木分野においても大いにその活用が求められている。
建設技術の発展は,行政と学問の分野さらに,現場の施工とが一体となった密接な関係の中において,お互いの役割と立場を尊重し合う原則で進んできた。国民の意識や活動・生活様式にも新しい方向が見られる中で,産官学がそれぞれの特性を活かした技術創造は,新しい社会資本の整備の方法について競いあうとともに,利用者である国民との間のコミュニケーションを加えなくてはならない。成熟した都市型社会を迎え,地域住民の創造性,文化を尊重する新しい方向への転換が求められている。
新しい課題の解決に対しては,技術開発と取り組み,再び,九州から新しい建設技術を発信できるよう,皆様とともに未知の分野を切り開く積極的な取り組みを進めたいと考えている。

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