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お祭りは,深い~!
鹿児島県 土木部長 河瀬芳邦
「祟りじゃ~!」
突然ですが,随分古い映画のキャッチコピーですが,覚えておられるでしょうか?このフレーズ,信仰上の禁忌を犯した報いと思われる事象が発生した時に発せられるものですが,この「祟り」の発想に,「祟り神」という日本的な信仰の特質の一つが現れているそうです。一方,「祟り」が負の効果なら「極楽往生」「五穀豊穣」は正の効果であり,これらの飴と鞭により信仰上の規範が成り立っている訳です。
さて,今更,宗教や信仰の重要性を説こうと言うのでも,まして特定の宗教への入信を勧めようと言うわけではありません。我が国において,仏教の布教の中で高度な土木事業が進められた歴史があり,中国から帰国した僧侶が当時の先端土木技術者であった経緯から土木と宗教に関連した事例が各地に散見され,またそれと類似した手法が,その後の為政者の施策に見られます。
実は,10年ほど前,「河川伝統技術」について勉強する機会を得ました。私がまとめたわけではありませんが,その成果などは国土交通省の河川審議会のHP で参照されておりますので,一度はご覧頂きたいのですが,調査した事例の中には,現代においても通じる「深い~!」があるので紹介させていただきます。しかし,かなり主観的考察の上の文章なのを御理解の上,時間的に十分余裕のある方(暇な方)だけお読み下さい。


さて,神事,祭事等の社会的な効用として考えられるのは,以下の4点があげられます。
①精神的な抑圧の解放,不安解消
②コミュニティの形成,強化
③行為規制
④行為誘導


上記の①②は,宗教の本来的な役割であり,内在している役割ですが,宗教的な意味合いを分離してみても,祭事・神事等にも多分にその役割があるように思います。理由?私の素人分析よりも,祭好きの祭り話を聞けば,直ぐ分かりますよ。(但し,直ぐには帰れないことを覚悟して下さい。)
①の例としては,徳島の阿波踊りや京都の祇園祭が代表格です。
「踊る阿呆に,見る阿呆。同じ阿呆なら,踊らにゃ,損,損。」いかにも精神的な解放状況が見て取れます。祇園祭は,福岡(博多)等全国的にありますが,その起源は,疫病(伝染病)の発生防止,早期治癒を祈ったお祭りです。
②の例ですが,お祭りは一般的にコミュニティ形成やその強化に大きな役割を果たしていますが,特には盆踊り及び所謂喧嘩祭り等の競争的なお祭りにおいて,高い効果が見て取れます。その代表的なのは岸和田の「だんじり祭り」等が有りますが,その発生由来において最初から競争性があったものばかりではなく,通常の夏祭り等と同じで,神社への御輿の奉納であったものが,徐々に地区間の競争に転じていったものの方がむしろ多いようです。
ごく現代まで,自然災害,疫病,飢饉等で殆どの日本人において,死は日常的なものであったわけで,その上,社会的な制約も多く,ストレスの解放が重要な社会的課題であったと思われます。また,行政的課題である治安確保の観点からも,コミュニティの熟成は重要であり,また,一方住民側にとっても,少しでも安定した生活を送るためには,コミュニティの整備と強化は不可欠な要素であったわけで,双方の利害が一致したわけです。
地域住民を巻き込んだソフトを構築するときに重要なことの一つに,そのソフトが長期的に安定して継続するかと言うことがあります。色々な観点からの課題がありますが,取りも直さず住民の皆さんが続けたいという気持ちを持って頂くことが必要です。ですから,そのソフトの中に如何に住民の皆さんが楽しむことが出来る仕掛けを盛り込めるか,そのための行政的支出がどれくらいリーズナブルか?
お祭りって如何に良い仕掛けであるか,お分かりいただけますね。


③の行為規制等は,現代においても,不法投棄の規制等,その徹底に難しいものがありますが,近世までは,樹木の伐採や治水や利水上の理由からの土地形状変更が規制対象となります。
代表例として水神様があります。その効用としては,神様の安置場所周辺の清掃奉仕,汚濁防止,樹木の伐採や耕作等による改変の禁止等があり,治水上重要な河岸,堤防先端又は水源地等に見られます。水神様の聖域を侵すことにより,その報復としての自然災害。往々にして現代より江戸時代の方が流域の森林が豊かであったと思われがちですが,実は樹木が,燃料材として利用されていたために,必ずしもそうとは言えない場合があったようで,水神様等の神様の報復に当たる可能性も高かったわけで,結果信仰を高めることにもなっているわけです。
もう一つ紹介します。近畿地方で代表的な河川に淀川があります。その上流河川で,京都を貫流する宇治川は,滋賀県に入って瀬田川と名を変え,その源は琵琶湖となります。琵琶湖周辺と下流の京都は,治水上典型的な利害の反する上下流関係にあります。この瀬田川のほとり,小山の上に小さな祠があり,その中には大日如来の頭部だけが納められています。つまり祠が乗る小山そのものが,大日如来のお身体だと言うことなのです。従って,小山のすそ野を削って瀬田川の川幅を広げることは,大日如来のお身体を削ることになるのです。極楽に導いて下さる大日如来を傷つけることなんか出来ますか?これにより,御所を有する京都を守ろうとしたのではないかと言われています。


④です。さて,特定の行為を規制するだけでなく,更に望ましい行為を誘導した仕掛けが過去には存在します。それも住民の皆さんは喜んで奉仕をして下さるのです。このことが極めて重要なんです。本当なら使役として苦痛を感じても当然のことを喜々として奉仕して下さるのです。
時は江戸時代,徳川幕府八代目将軍徳川吉宗が,暴れん坊将軍で有ったかどうかは分かりませんが,なかなか優れた行政マンであったことを示す一つの事例です。
今も昔も都市部の堤防は治水の要の施設ですが,長モノだけにその管理には大きな手間や人員を要します。それを住民の方に出水期前に行っていただく仕掛けです。
それは「花見」。将軍吉宗は,隅田川の堤防に桜並木を作ったのです。三月から四月,花見に人々はこぞって,堤防に繰り出します。梅雨前に堤防の締め堅めを行っていただき,点検までしていただけます。堤防に桜の取り合わせが多いのはこのせいでしょうか?


更に,堤防と祭りと言えば,堤防の完成を祝って長年にわたり,祭りが催されている事例も富士市の富士川,福知山市の由良川,福井県春江町の九頭竜川にあります。


この内,由良川の例をご紹介しましょう。時代は比較的新しい昭和初期からの話です。
ここには「福知山堤防愛護会」なる組織が昭和28年(1953年)から存在し,「堤防祭り」を主催しています。祭り自体は,昭和6年から開催されていたようですが,何れにしても地元自治会が 各戸から経費を集め,行政からの援助を受けず,全くの住民手作りでお祭りを行っておられます。しかも寄付を募って昭和30 年には御輿を購入し,昭和59年には,とうとう地元の神社境内に,堤防をご本尊とする「堤防神社」まで建立してしまいました。これはひとえに,体験した水害への恐怖,長年の悲願の末に完成し,水害を防いでくれた堤防への感謝,そしてそれでもなおかつ抱かざるを得ない水害への不安から,それらを後世に伝えずにはいられないという思いの発露であるようです。つまり,祭りを通じ,その由来自体を伝承していく事になると言う仕掛けのようです。併せて,花見と同じようにちゃんと締め堅めも行われるようです。
さて,この事例はそれまでのものとは違い,住民の思いの発露から出来上がったものですが,歴史資料館や社会教育などと言った堅いものではなく,祭りに神社を選択したところが味噌なのです。(ちなみに治水資料館もあるようです。)


もう一つ。我が郷里岐阜県の木曽三川下流部堤防に,治水神社があります。これは,江戸時代の宝暦年間に川普請を行い亡くなられた薩摩藩士をお祀りした神社です。薩摩藩士の偉業とご苦労をたたえ,後世にまで伝えるために建立されたものです。
治水神社は,地元小学校の遠足の定番となっており,岐阜県美濃地方の人間にとって,薩摩義士による宝暦治水は一般教養となっております。


さて,現在,地域協働により多くの住民の方々に道路や河川の維持活動に参加していただいていますが,更に量的質的な拡大が求められています。そこで参考になるのが,縷々説明してきました神事祭事が持つ発想です。とは言え今更,特定の宗教を持ち出したり,誰かを教祖様に祭り上げるなんて事は論外で,そうではなく,如何に楽しんでいただく仕掛けを仕組むのか,なのです。
仏教には「極楽往生」,神事には「家内安全・商売繁盛」という必殺技があります。祭りは,掛け値なしの楽しさがあります。
地域協働の中で,参加していただいた住民の方々に,どのように楽しみや喜びを感じて頂けるようにするのかが,大きな課題なのです。重ねて申し上げますが,『地域皆の財産を地域で守ることは良い事です。』とか,『地域の環境改善は地域の手で。』と言うのは,正論ではありますが楽しめないですよね。私も宿舎の草刈りが,二ヶ月に一度,土曜の早朝にありますが,前日の夜は一寸ブルーになります。どのようにしたら奉仕の日ではなく,待ちこがれていただける楽しい一日に出来るのか?
例えば,河川清掃と東北の山形の一大娯楽となっている芋煮会のようなものを一緒に組み合わせられないか?道路の清掃とマラソンや駅伝大会と組み合わせたらどうなるのか?
何とか,奉仕の日ではなく,祭りの日に出来ないのかが,知恵の絞り処ではないでしょうか。


祭りのすごさを知ってから,素直にお祭りを楽しめない私でありますが,貴方も,もう一度,故郷の祭りを見直してみませんか。

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