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平成6年渇水をかえりみて

建設省九州地方建設局
 河川調整課課長補佐
吉 田 広 実

平成6年7月の空梅雨から始まった北部九州の渇水は,平成7年7月はじめの大雨で一応終息した。(ここでは,これを「H6渇水」と呼ぶ)
約1年間,筑後川水系渇水調整連絡会事務局の一人として渇水を担当したので,その状況の一端を報告する。

1 H6渇水の始まり
渇水体制に入る前の筑後川水系の降雨状況は,平成6年4月は平年並み。5月は平年の35.8%と少なかったが,6月は平年の55.0%ながら220.3mmの降雨があった。また,前年の平成5年は例年になく大雨で各ダムは,ほぼ満杯状態でかんがい期を迎えた。まさか渇水になるとは思いもしなかった。
しかし,今思うと,その年の6月筑後川水系渇水調整連絡会の定例総会で熊本県の委員から「上流の山の田は水が無く田植えが出来ない所も有り心配だ」との発言が印象に残っている。そう言われても山の田は補給する水も無いし,どうにもならないと思っていた。その罰かどうかは知らぬがほんとに大渇水が来てしまった。
渇水と云えば昭和53年の渇水(S53渇水)が有名で私も体験した。その時は渇水担当では無かったが,水洗トイレのことや,冷却水の乏しさに事務室冷房が制限され,家庭では時間給水中の水汲みがたいへんで,そのために休暇を取られていた事を思い出す。
一方,全国的には,平成6年5月末から6月末ごろにかけて,中部地方や四国地方の一部が渇水状態に入ったことが頭の隅に残っており,たいヘんだろうなとの思いが一瞬よぎった程度で気にも止めなかった。
普通の年は,6月の下旬から降る大雨が,平成6年はほとんど無く,7月になると梅雨明けを思わせるような夏空になった。気象台は,のちの7月7日に7月1日にさかのぼって梅雨明け宣言をした。そのころ,筑後川の主な利水ダムである江川ダムと寺内ダムの合計貯水量は,降雨が極端に少く6月中旬から始った代かき期の放流と都市用水の補給により,減少の一途をたどっていた。この様な状態の中,あらかじめ内部で検討していた貯水率60%を割ったら渇水体制に入るという項を目安に,関係機関に働きかけ渇水調整に入る事になった。
最初は,ダムの貯水率が低下したので市民の水使いに対する警告をこめて,関係機関は渇水対策本部を設置し,筑後川水系渇水調整連絡会は,第1次渇水調整を7月7日に出した。

2 降雨状況
筑後川の基準地点である瀬ノ下の上流域平均平成6年降雨量は1,055.0mmで平年の2,167.5mmに比べ半分以下であった。この渇水が長期に亘ったのは,平成6年の空梅雨とその後の少雨で,この傾向が平成7年3月まで続いたことによる(図ー2参照)。
平成6年6月から平成7年3月までの月降雨状況を見ると12月を除いて平年の半分から7分の1だった。特に7月から9月は農業用水と都市用水が競合するのに,降雨は平年に比べ4分の1と異常に少雨で,渇水調整も1週間毎に行われたこともある。
なお,水源には寺内ダムの底水まで融通されるなど危機的な状態であった。

また,過去の記録と比較しても平成6年は異常な少雨で観測開始以来45年間で最も少なく,2位の昭和53年を抜き第1位であった(表ー1参照)。

3 河川流況
瀬ノ下地点の河川流況は,平成6年5月の少雨の影響で6月の始めの6日間基準流量の40m3/sを割ったが,その後の降雨で一時的に保ち直していた。しかし,6月下旬から少雨傾向となり,ダムから代掻き用農業用水の放流や都市用水の補給がなされ,中下流域の田植えが終わったものの7月初めから再び40m3/sを割り始めた。その後流況は回復せず,8月7日この年最少の14.4m3/sを記録した。平成6年7月から平成7年4月までの流況は10月初めに40m3/s近くになり,概ね20~30m3/sと長期間40m3/sを下回った。結果的にはH6渇水で40m3/sを下回った日は239日もあり過去の年平均13日の約18倍にもなった。また,S53渇水は137日で平年の約11倍である(表ー2・3,図ー3参照)。

4 ダム貯水
平成5年の長雨でほぼ満杯となっていた江川寺内ダムは平成6年5月の少雨により放流を開始し6月中旬には貯水率88%に減少し,6月下旬からの異常な少雨と代掻き期の農業用水や都市用水の補給により1日当たり約53万m3の放流が続き,7月5日には60%を切った。その後,7月7日に第1次渇水調整で10%の取水制限が行われ1日当たり約47万m3ずつの減少となり,順次,取水制限の強化がなされたが7月26日には,とうとう貯水率30%を切った。8月は約19万m3/Dずつの減少で,9月は約5万m3/Dの使用となり9月末はついに約6%の貯水率となった。最低貯水率は平成6年12月8日の2%である。その後,貯水率が10%に回復したのは平成7年4月下旬。4月末と5月の降雨でいっきに60%まで回復し,6月1日午前9時に取水制限が解除された。
なお,再び平成7年6月中旬から例年のようにかんがい期となり農業用水の補給が始まり60%を切り50%に近づいたが梅雨は明けた様子は無く週間天気予報も雨の予報が出され,見守っていた所6月末から7月初めの豪雨があり7月9日ほぼ1年2ヶ月ぶりに満杯となった(図ー4参照)。

5 渇水被害
H6渇水における上水道被害は,全国で1,583万人(時間給水822万人,減圧給水761万人)42都道府県522市区町村で,S53年の1,071万人を,上回り過去最大の被害となった。九州でも全ての県で影響を受け416万人(時間給水360万人,減圧給水56万人)118市町村に被害があった。被害の内容は,生活用水の他,学校のプール,夜間営業の飲食業,豆腐等の製造業,クリーニング,駅の水洗トイレなど,長期間にわたって大きな影響があった。
工業への被害は,全国で工業用水道226事業者の約3分の1が,取水制限等により影響を受けた。九州でも,清涼飲料水の生産ラインの停止や鉄鋼会社の使用水質悪化による製品の錆発生および生産設備の腐食等の影響が見られた。
農業への被害は,用水不足による水稲の枯死減収,果樹の肥大不良,野菜の枯れ等の被害が発生した。九州でも各地で同様の被害が見られ特に筑後川下流の大詫間,大野島地区の水稲収穫は,ほぼ皆無であった。

6 渇水調整
渇水調整内容は表ー4の通りである。
そのポイントは,①常設の筑後川水系渇水調整連絡会,②第1次渇水調整の早期実施,③9月末までのかんがい期は,ダムなどから補給し取水するという水利秩序の維持,④筑後大堰を利用したアオ地域への緊急放流,⑤ノリ期の瀬ノ下への補給の保留,⑥総合運用により貯水効率の良い施設の先使い,⑦支川ダムヘの特別貯留等であり,これらは関係機関および下流の利水者の方々の協力を得て成ったものである。次に渇水調整のポイントの内容を述べる。

① 筑後川水系渇水調整連絡会
筑後川水系では,S53渇水の後,昭和56年に常設の渇水調整連絡会が設置された。メンバーは関係流域の福岡,佐賀,熊本,大分の4県および国の出先機関の九州通産局,九州農政局,九州地方建設局および水資源開発公団筑後川開発局の8機関による構成である。各県は,利水者代表および地域代表の立場,国の出先は調整のアドバイザーおよび立会人的立場並びに施設管理者としての立場で参加している。事務局は九州地方建設局河川部にある。なお,九州農政局は,当初,オブザーバーとしての参加であったが,平成7年4月より正式メンバーとなった。年度始めに総会があり,前年度の総括と当年度の活動について確認がある。
この常設機関が有ったので遅滞無く渇水調整に入る事が出来た。
② 第1次渇水調整の早期実施
7月7日時点の福岡都市圏のダム貯水率は75%と高かったが,7月初めからの晴天および気象台の週間天気予報並びに過去の例などから,筑後川最大の利水容量を持つ江川寺内ダム貯水率60%割れを目安に関係機関に働きかけ,渇水への注意と節水意識の高揚を促すとの意味を込め,今回初めて他の地方建設局の例に習い全利水者一律に10%の取水制限をかけた。実施は,各利水者の準備が出来しだい早急にとした。これにより、その後の渇水調整が順調に対応されることとなった。
③ かんがい期間の水利秩序の維持
ダム開発により水利権を得た利水者は,瀬ノ下地点における流量が40m3/sを下回った時は,各利水者が取水する量はダムから放流したものを取水している。このルールを崩さないよう,特にかんがい期は,ダム水源の枯渇に注意した。幸にも今回は,寺内ダム底水の一部に手を付けたままで,かんがい期は終わった。
ダム水源の使い方は,貯水全部が無くならないように,水使用者の自主的節水,給水制限など関係者が最大限の努力をした。不幸にして水源の無くなった利水者に対しては,互譲の精神に基づく総合運用という手法がとられ,ダム貯水権のみで水利権のない貯水,不特定貯水,最低水位以上の発電用水,ゲート放流可能な底水などの融通調整がなされた。
④ 筑後大堰を利用したアオ地域への緊急放流
瀬ノ下流量が40m3/s以下になると筑後川下流域のアオ取水が困難な所が出てくる。特に最下流の大野島と大詫間がそうだ。平成6年6月中旬の降雨で一時的に増加した流量により田植えは終わったものの,その後の干天で7月初めから40m3/sを割り2週間もするとアオが全く取れなく福岡・佐賀両県知事を通じて緊急放流の要請がなされた。今回,初めて筑後大堰の貯水を段階放流することになり,7月26日,8月16日,8月21日,9月5日の計4回実施した。それによるアオ取水量は表ー5の通りで合計約155万m3の取水ができた。

なお,4回目の9月5日は白乾,萎凋が拡がり回復は困難か,との意見もあったが可能な限り最後まで努力し実施した。結果はクリークの塩分濃度が高くなり,干ばつと塩害で収穫はほぼ皆無であった。しかし,可能な限りの関係者の努力に対して後日,大詫間大野島土地改良区などの皆さんが九州地方建設局へ,お礼に見え感謝の言葉をいただいた。

⑤ ノリ期の瀬ノ下への補給の保留
有明海のノリ期は10月1日から翌年3月31日で,松原下茎ダムの不特定容量2,500万m3を利用して瀬ノ下40m3/s以下の時,優先的に補給に努めることになっている。しかし平成6年10月初めには,貯水量が約1,000万m3で平年の約6分の1しか無く,これにて補給してもわずか7日程度で0となる。また,有明海栄養塩も良好だったことから,当分保留して置き栄養塩が低下したときなど必要な時に速やかに放流することになった。結果的には 10月から翌年の1月末まで放流せず,栄養塩が低下した1月28日からと2月11日からの2回に分け,その時までに貯留温存された約2,000万m3を放流した。これによって渇水期間中にかなりの量の貯水がダムに存在することにより市民に安心感をあたえ,また,ノリ加工用水の水源にも融通することが可能となった。
⑥ 貯水効率の良い施設の先使い
貯水効率が大きいのは,筑後大堰,松原ダム,下筌ダム,寺内ダム,合所ダム,江川ダムの順であり,これを関係者との調整の結果,了解が得られ応用した。利水容量が大きい江川ダムは貯水率が上がりづらいのでなるべく使用せずに温存した。この方式で正月用水,春期需要増の暫定取水,福岡市と甘木市への水源手当を,筑後大堰,または,寺内ダムから行った。

⑦ 支川ダムヘの特別貯留
筑後川水系のダムヘの貯留は,瀬ノ下40m3/s以上の時に可能だが,ダム流域に降雨があった場合,できるだけ多くの貯水を行うために,関係機関と協議調整を行った。その結果,瀬ノ下流量が40m3/s以下でも,本川流量が減になる分は松原下筌ダムの発電貯水を放流し補うこととして,支川ダム(江川ダム,寺内ダム,合所ダム,山神ダム)は,ダム下流の維持流量のみを確保し,その他は全て貯水可能とした。これにより本川流量への影響をなくし,支川ダムの貯水を促進することができた。

7 関係利水者への協議
原則として,筑後川に関係する多くの利水者への協議は,利水者の代表であり,また,関係住民の代表でもある関係県が担当した。なお,有明海のノリ養殖に関連することは,別組織とし,福岡県の開発課長を座長としたノリ用水検討会により意見を聞いた。ノリ用水検討会の構成は,福岡県,佐賀県,福岡県有明海漁業共同組合連合会,佐賀県有明海漁業共同組合連合会,水資源開発公団筑後川開発局,九州地方建設局であった。

8 報道関係対応
渇水調整連絡会の前日に報道機関への投げ込みと,開催後の記者発表をその都度行った。連絡会開催日の公表は,渇水調整案の関係で前日の夜となった。記者への表現は,一般的で解り易い言葉で,しかも簡潔に,優しくが基本で,数値は昨年,S53渇水,平年値等との比較を行い,数値の位置付けをはっきりすることを要求され,また,場所名の説明も重要である。例えば「瀬ノ下43m3/s」を表現するのに「筑後川中流域の河口から25.9kmに有る,久留米市瀬ノ下町地点の筑後川の水の流れの状況は,1秒間に43m3で,これは基準流量を3m3上回っており,利水者はダムからの放流無しで取水出来る量」となる。
記者応答は委員会で決まった事実と水象の事実のみを簡潔にはっきりと言い,予想では言わない,少しでも間違って言った事に気づいたらすぐ訂正した。記者は,数力所,数種類の事件を担当している場合が多く,夕方まで現地取材し,その後,社に戻り記事にするので,その頃まで電話での応答が必要であった。

9 今後の対策
(1)渇水に対する意見の聴取
平成7年2月から3月にかけて,アンケートや懇談会などを行って,各方面の方々から渇水についての意見や感想を聞いた。その中で,渇水調整等に対する意見は,渇水調整への利水者の直接参加の希望,異常渇水時の行動検討,渇水調整の経緯の明解な公表,筑後大堰完成で異常渇水時でも取水可能となった等である。
また,今後の方策への意見は,節水意識の高揚,広域水道事業の推進,既得水利権の見直し,ダム建設の促進,雨水・下処理水を水源とした中水道の整備など多様な水源の確保等があった。
(2)短期的渇水対策
次の渇水に備えての対策は,節水器具の研究普及や節水意識の向上,周辺市町村の広域水融通体制のパイプ連結施工や基本的な渇水調整方法の策定などが考えられる。また,現在,本体工事を施工中の利水ダムの早期完成を図る必要がある。
(3)長期的の渇水対策
河川の不安定な流水を水源としている水利用は多くの補給水源を必要とする。補給水源を産み出すために多くの貯水池を必要としダムを築造してきた。近年はダムの適地も少なくなり,また,築造に長期間を要するのが現実であるが,都市の人口増による水使用の増も事実であり,長期的水需要の観点に立って,ダム等により水源開発を展開することが必要である。また,これと平行して生活向上による水需要増加対策は,安定的に確保される下水道処理水の雑用水としての利用や農業用水への活用など,水の循環使用の確立とともに,多様な水資源開発が必要と考えられる。

10 まとめ
「日照りに不作無し」とも言うが,これは人々の知恵と努力があればこそである。自然現象は,先の事は解らぬ一寸先は闇である。人々の知恵と努力で切り抜ける以外にはない。渇水になれば,少ない水を節水しながら互いに融通しながらしのぎ,雨を待つ以外に方法はない。解り切ったことであるが,忘れがちである。日頃の心の準備と施設の準備が肝要である。今回のH6渇水の調整でも,関係機関,関係利水者相互の互譲の精神での譲り合い,紳士協定的な調整事項の遵守が渇水調整を成立させ,大きな混乱もなく最少限の被害で切り抜けられた根本である。
平成7年7月以降,多少の日照りが有り,江川寺内ダム貯水は減少したが,貯水は平年値以上で推移し,昨年は風のみだった台風も,今年は9月16日台風12号と23日14号と日本に来ていただき,おかげ様で10月1日現在貯水率68.5%と平年比1.24倍である。誠に有難いことである。
最後になりましたが,今回のH6渇水の渇水調整にあたっては,関係機関はもとより多く市民の方々の努力と理解と協力があって,乗り切れたものと心から感謝申し上げます。

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