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九州地方計画協会

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佐賀市八戸溝
山中 順子
平成16年度・17年度水辺だよりモニター

石井樋全影

「いしいび」。

佐賀んもんにとって懐かしみの響きのある言葉です。

石井樋は石で造られた井樋のことですが、400年前鍋島藩の大土木技術者「成富兵庫茂安」が象の鼻、天狗の鼻等を考え出した水システムに関する施設全体を言っております。当時佐賀城下は頻繁に断水と旱魃に見舞われ、民百姓は飲料水、農業用水に非常に困っておりました。そこで成富兵庫は嘉瀬川に日本最古の取水施設を考案しました。昭和35年に上流の川上頭首工が建設されるまでの350年間、石井樋は“たいせつに、たいせつに”使われてきました。昭和38年の大洪水により石井樋が壊れてしまい、それからは放置の状態になっていたのですが、平成5年に皇太子殿下御成婚記念事業として貴重な文化遺産を国、県、大和町(現・佐賀市)の連携により10余年の月日を経てこの程見事に復元され、去る10月に石井樋から多布施川へ通水されました。待ちに待った私は早速見に行きました。「ウワァー!!ゴンゴンゴンて流れよっ」。思わず叫んでしまいました。多布施川へ40年ぶりに流れる水達はよほど嬉しいのか、我先に踊るように喜びいっぱい走り出しているように見えました。佐賀人のほとんどは小学校の遠足には石井樋へ行っております。ところがこの石井樋がどの様なシステムになっていて、いつ、誰が築造したかを知る人は非常に少ないのです。学校の先生から説明もないまま、ただ弁当を食べて帰ることで精一杯だったようです。今回の復元事業により武雄河川事務所の光武さんの案内による見学会でしっかり説明を受け理解することが出来ました。そのおかげで改めて佐賀の宝として石井樋の素晴らしさを、また、それを築造した成富兵庫の偉大さを実感しております。石井樋の敷地内には成富兵庫の優れた土木技術を伝承するための古文書、システムがひと目で分かるような展示館が建築中です。どの様な展示館が完成するのか今からワクワクと胸が高鳴る思いで期待しております。

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