佐賀県における戦後の主な水害として、昭和20年9月、昭和24年8月、昭和28年6月、昭和47年6月、昭和55年8月、昭和57年7月、平成2年7月、平成5年8月、平成7年7月の水害が挙げられます。
なかでも、今から50年前の昭和28年6月豪雨では、降り始めからの総雨量が山間部で900mmを超えるなど驚異的な雨が降り、県内各所で壊滅的な被害を受けました。この時、県内の主な河川である、筑後川、嘉瀬川、六角川、牛津川、塩田川、城原川は、いたるところで堤防が決壊し、佐賀平野は氾濫した濁水により一面、泥海と化しました。また、各地の通信連絡は途絶え、旧国鉄長崎線、佐世保線、唐津線が不通となったのをはじめ、主要国道・県道も寸断されました。さらには、水没などによる孤立部落も続出し、約1ヶ月間も水に浸かった地域もありました。この豪雨により、死者・行方不明62人、重軽傷者336人、浸水家屋75,948戸、被害額は実に249億円(今のお金で約1,250億円) と未曾有の被害が発生しました。
このため、県災害対策本部では、保安隊(現自衛隊)の出動、米軍の救援や舟艇を総動員する等救出に全力をあげるとともに、被災地に生活必需品、衣類、寝具等を配りました。また、応急住宅地の建設や飲料水の給水を行うなど被災地の復興にもあたりました。
このようなことから、佐賀県財政は昭和24年8月豪雨、昭和28年6月豪雨と度重なる災害に対する財政負担に耐えられず、県政発足以来はじめて赤字債権団体として財政再建を強いられる事態になりました。
今後、過去の水害の経験や教訓を後世に語り継ぐとともに、安心・安全で災害につよい県土づくりを目指していきます。
●決壊した堤防の復旧(嘉瀬川)(昭和28年6月)
●浸水した佐賀市街地(平成2年7月)
●一面水浸しとなった北方町の浸水状況(平成2年7月)