日本百名山の一つで薩摩富士とたたえられる開聞岳。
この美しい円錐形の山をバックに配し、手前には鏡のような池田湖、そして湖畔には目にも鮮やかな菜の花畑が広がるという写真をごらんになった方は多いことだろう。花、水、木の美しいコントラスト。まさに絵葉書にぴったりの一枚であるが、自然は、そこに至った歴史や人々の暮らしとのかかわりをひもとくことで、さらにすばらしいものへと変わっていく。
湖や池という水のたまる場には、その水を活用したり、水の恩恵に浴したりという水脈が必ずできてくる。それは、壮大なかんがい事業かもしれないし、水と親しむ憩いの場づくりであるかもしれない。九州最大の湖、池田湖および隣に位 置する鰻池、さらには近隣の河川を歩いて、温暖でおだやかな南薩摩の人と水のかかわりに触れてみた。
●池田湖の夕景
●池田湖は四季を通してにぎわう池田湖は四季を通してにぎわう
●田の神さあ
●新永吉地区の棚田と記念碑
●池田湖と開聞岳の夕暮れ
鹿児島県の県都鹿児島市から指宿市へ続く道のところどころに、ヤシの並木がある。指宿の街に入ると、背の高いヤシの木の緑はいちだんと濃く、道路沿いのブーゲンビリアやハイビスカスなど原色の花々が南国ムードを盛り上げてくれる。指宿は温泉地としても有名で、近年は自然のサウナである砂湯の人気が高い。その指宿の繁華街を抜け、市の南西に位置する池田湖を目指す。道が山がちになり緑の中をうねうねと走ると、左手に銀色に輝く池田湖が現れてきた。湖を一望できる展望台に立ち寄ると、この九州最大の湖が火口湖であることがよく分かる。湖畔の至る所に断崖絶壁が切り立っており、断崖の濃い緑は近寄りがたい威圧感をもって立ちはだかる。一方、満々と水をたたえた湖は、そうした緑や雲や空を湖面に映してはひっそりと静けさを保っている。
切り立った断崖から湖畔沿いに目を移していくと、断崖の濃い緑とはうって変わって鮮やかな黄緑に染められた棚田があることに驚いた。一枚一枚の田んぼは水平方向に細長くスライスされ、階段状に湖面へ向かって裾をひろげていく。 この美しい棚田は新永吉という地区の人々によって大切に守られているという。山あいに32戸が寄り添うように建っている新永吉地区のリーダーである永吉忠雄さんにお会いした。「この棚田は近年開墾したのではなく、もう400~500年の歴史があるんです。池田湖に面した清見岳という山があり、そこに池田信濃守という人が城を築き、この一帯に石を積んで棚田にしたということです。そうした由緒ある田んぼですから、地区の農家10戸で早期米を植えています」と語る永吉さん。
棚田のてっぺんから下を見ると、真っ逆さまに落ちるといった感覚で、この急坂に95枚の棚田3.4ヘクタールが広がっている。棚田へは車一台が何とか通れる道が続いている。昔は、こうした農作業用の道路もなく、収穫した米は背中に背負い、人力で運んだという。棚田には清見岳のわき水が注ぎ込み、一枚一枚の田んぼは実によく手入れされている。この棚田で有機無農薬栽培によって育てられた普通作の米は、平成12年度に天皇陛下への献上米として奉納され、その記念碑が棚田の入り口近くに立っている。しかも、棚田の中には、農業の神様である三体の「田の神さあ」がまつられ、田植えから収穫までをやさしく見守ってくれる。棚田の背後に広がる池田湖、さらに奥に薩摩富士とたたえられる秀麗な開聞岳がそびえ、その美しさにしばし時を忘れてしまう。「池田湖だって、昔は橋の上から泳いどる鯉がたくさん見えたけどねえ」永吉さんがそう語った池田湖の湖畔へと向かった。
●でっかい大ウナギ
●カヌーで水に親しむ
●毎年行われる水質検査
●湖畔も美しく
池田湖の水面は標高66メートルの高度があり、最大水深は233メートルもある。指宿・枕崎といった南薩観光の主要な観光スポットであり、湖畔には大型駐車場が確保されている。湖畔に立って開聞町側を眺めると水辺に松並木が続いていることが分かる。父親の代からレジャーボートによる湖上遊覧を営んでいるという人に話を聞くと「昭和40年代までくらいですかねえ。今みたいに護岸コンクリートはほとんどなく松林が囲んでいてね。砂浜もあったから、近くの小学校では夏になると先生が子どもを引率して泳がせに来ていました。埋め立てたり、松くい虫にやられたりで湖畔の松はずいぶん寂しくなりました」。湖畔でのんびりと釣り糸を垂れて鯉がかかるのを待っていたおじいさんも「う~ん、最近は全然かからんね。松くい虫に松がやられたからやろか」と語ってくれた。
ボート乗り場横の待合室には水槽があり、池田湖に生息する体長1メートル以上もある大ウナギが悠然と泳いでいる。幻の怪獣イッシーの真偽のほどはさておくとして、池田湖にはさまざまな淡水魚がすんでいる。先ほどのおじいさんに「今まで、どんな魚がかかりました?」と尋ねると、「ウナギ、フナ、コイ、アユ、ワカサギ、ハヤ、スッポンがかかったぞ。それにレンギョ、ソウギョとかもおるな」。おじいさんの目は少年のころにもどったように輝き出した。水深233メートルという湖の深さおよび複雑な湖底の地形が、魚たちの天国となっているのだろうか。また、魚たちの天国は野鳥にとっても楽園であるらしい。池田湖には約400種ほどの鳥たちが憩うという。
こうした豊かな水をたたえ、さまざまな生き物たちが暮らす池田湖とのふれあいをもっと密にしよう! ということで、鹿児島県や指宿市などでつくる池田湖水質環境保全対策協議会主催による「池田湖水フェスティバル」が毎夏開かれている。フェスティバルでは、湖畔周辺の空き缶やゴミ拾いのボランティア活動、池田湖にちなんだ問題に答えるクイズ大会、モーターボートやカヌーを使っての湖の調査や観察などが行われている。池田湖は、どちらかというと観光資源としてとらえられがちだ。しかし、昭和四十七年に指宿市、枕崎市、山川町、開聞町、頴娃町、知覧町の二市四町の畑地約6400ヘクタールに農業用水を池田湖から送る、という南薩畑地かんがい事業の起工式が行われた。総事業費166億円にものぼる大事業であった。そして、かんがい事業は時代と共に見直しを図り、南薩の大地を今日ある豊かな畑地に変えた。池田湖は観光だけではなく、生活や産業の基幹となる大切な水源なのである。
●さつまいも畑と開聞岳
●鰻池と鰻集落
●鰻温泉
池田湖が指宿市、山川町、開聞町の3市町によって囲まれているのに対して、池田湖の東に位置する鰻池は山川町にすっぽりおさまっている。角が丸くなった長方形で、長辺は約1.3キロメートル、周囲約4キロの火口湖である。池田湖よりも標高が高く、周りは急な崖に囲まれ深山幽谷の湖といった風情がただよう。この池の水を引くために水路を造る際、大きなウナギが横たわっていたことから鰻池の名で呼ばれるようになったとか。池田湖同様に鰻池も満々と水をたたえ、山川町全域の上水道をまかなっている。鰻池は町にとって大切な水がめであり、日照りが続いても涸れることなく冷たくておいしい水を恵んでくれる。池の水を風呂に使おうとくみ上げたけれども、沸かすのに時間がかかって・・・と町の人が言うくらい水は冷たい。
池のほとりに55戸ほどの民家が軒を連ねる鰻集落がある。ここの新藤公民館長さんは「私が小さいころは、飲み水や洗濯に使うなど、池の水は暮らしに欠かせないものでした。子どもたちは釣りをしたり、池で泳いだり。なかには1キロ以上離れた対岸まで泳ぐ子もいましたよ。それに、この集落から小学校までは3キロ近く歩かなければならず自然と足が早くなったんでしょう。運動会や水泳大会では、いつも鰻集落が一番でした」と懐かしそうに語ってくれた。池ではフナやコイ、ウナギ、ワカサギなどがとれ、漁業組合もあったという。
また、この鰻集落は温泉が有名で、とりわけ枕崎方面からの湯治客が多かった。時代をさらに下れば、明治維新の立役者西郷隆盛も訪れている。温泉好きだった西郷どんは鹿児島県内のいろんな温泉に出かけているが、ここでは猟を楽しみお湯につかってひと月ほど長逗留している。集落内を歩けば、道路横に湯気が噴き出すパイプが通っている。泉熱の有効利用で、各家庭ではお風呂を沸かす際の熱源として使っている。硫黄特有のにおいが集落を包み、味わいのある銭湯がやさしく迎えてくれる。浴衣がけ、下駄ばきでタオル一本ぶらさげて歩いてみたい癒やしの温泉場である。
●唐船峽
そうめん流し唐船峽 そうめん流し
●唐船峽
●玉の井
●決湖碑
池田湖水系ということで、池田湖を中心に南薩摩の水辺を訪ねてきた。地図で見ると、指宿市街地を流れる二反田川、それよりもっと北を流れる湊川があるが、どちらも河口は錦江湾に注いでいるものの、上流は池田湖まで達していない。唯一、開聞町を南北に流れる新川が池田湖を起点として外洋に注いでいる。この新川の起点近くに「決湖碑」という石碑が立っている。幕末に名君とたたえられた薩摩藩主島津斉彬公が、池田湖の水をかんがい用に役立てようと利水事業に着手した。ところが、なかなかの難工事であった。工事にあたった奉行が申すには、こんなことをしたら水神様のたたりがあると。それに対して名君は、人民の幸せのためにやっているのだから、なんで水神様が妨げることがあろうか。工事の趣旨をとくと水神様に伝えなさいと答えたという。工事は、斉彬の死と共に一時中断するが明治9年に完成している。そうした工事のいきさつが、決湖碑に記されている。
新川は流域の田畑を潤し、河口の川尻港へと注いでいくが、途中で宮田川と合流する。この宮田川の源流は、そうめん流しで有名な唐船峽で、うっそうと茂る杉の大木の間から、1日に10万トンもの清涼な水が湧き出している。唐船峡・・・何ともロマンあふれる名前だが、昔この地は深い入り江になっていて、唐の船が出入りしていたことから名付けられている。清流をゆったり泳ぐ鯉、とうとうと湧き出す水の音、円形の器をぐるぐる回るそうめん、まさに目と耳と舌を楽しませてくれる水郷の風流なひとコマである。豊富で清涼な水をさらに生かそうと、池ではチョウザメが試験飼育されている。世界三大珍味の一つであるチョウザメの卵キャビアが、食卓にのぼる日が楽しみだ。この唐船峡からほど近いところに「玉の井」という日本最古の井戸がある。海幸山幸の神話に登場する山幸彦が、借りた釣り針をなくして途方に暮れていると、その姿がこの玉の井の水に映り、豊玉姫に見初められたという話だが、井戸を守るように茂った緑がしばしロマンの世界へといざなってくれる。
山があって、山から川が海へ向かって流れ出し、流域には肥沃な大地が開ける。そうした地形が人にとっては理想なのだろうが、地質や自然などさまざまな要因でなかなかそううまくはいかない。今回訪ねた池田湖一帯には大きな川がなく、その代わりに大きな湖や池があって人々の暮らしを支えてきた。そして人々は、水を生かし、水を護り、水への感謝を忘れなかった。水辺を歩き、出会った人々の話に耳を傾けながら、そうした水とのフレンドリーな関係が印象的だった。