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九州地方計画協会

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1949年1月26日長崎県東彼杵郡波佐見町生まれ。1969年より波佐見町役場に勤務。仕事のかたわらソフトボールや相撲などに熱中する。23歳で結婚。11年前に「波佐見・緑と水を考える会」を結成。現在、教育委員会文化財保護係で、国指定になった5基の窯跡と2カ所の窯業関連遺跡の保存・管理などに努めている。26歳、24歳、23歳の子どもの父親であり、3歳の孫が1人いる。52歳。

取材・文/西島 京子

昨年の「波佐見の川・大探検」で魚捕りに夢中の子どもたち

魚手づかみ捕り名人の内海広行さんは、子どもたちに大人気。坂本さんの幼馴染みでもありライバルでもある

会で波佐見川に取りつけた横断幕の前で

竹林が残る波佐見川一帯

波佐見町は長崎県のほぼ中央にある東彼杵郡の北部に位置し、いまだに町のあちこちに巨大な窯跡が多く発掘されるという、波佐見焼で400年の伝統を持つ有名な町だ。

町中には波佐見焼の窯元や工場が建ち並び、のどかな雰囲気が漂っている。その町の中央を、北東から南南西にかけて川棚川が流れ、大村湾に注いでいる。

波佐見の人々は、川棚川のことを愛情を込めて波佐見川と呼んでいる。この波佐見川は昔「五里の竹林(ごりのたけばやし)」といわれ、川岸には女竹(めだけ)などが延々と続いていたという。しかし、それらは河川改修によってほとんどが姿を消していった。

「川に関してはあきらめかけていましたね」と11年前を坂本さんは振り返る。川の生き物たちは姿を消し、子どもたちは川で遊ばなくなっていた。そんな中、1989年5月に長編記録映画「柳川掘割物語」を坂本さんを含む役場の有志で上映した。高度成長期にどぶ川のようになってしまった掘割を、柳川市がコンクリートで都市下水路にして、中小の水路を埋め立て駐車場にするという計画を打ち出し、当時、柳川市役所の都市下水路係長だった広松伝さんが、掘割の役割を市長に直訴、市長は水路埋立計画をとりやめる英断を下したという内容の映画だ。

この映画から、波佐見でも川と人間との関わりを取り戻さなくては、と痛感した坂本さんは、1990年7月に「波佐見・緑と水を考える会」を結成する。当時、ゴルフ場建設計画が川や自然を破壊すると住民が反対していたこともあったが、数十年ぶりに川に入ってみると、ちゃんと魚がいた。「ああ、まだ捨てたもんじゃないな」と坂本さんは思ったのだ。

活動の写真が採用された冊子「波佐見文化」と、ろうきん福祉環境基金成果報告書「生き物の生息環境に配慮した川づくりの基礎的調査・研究」

水辺公園づくりのために清掃活動をする会員たち

会の活動の目的は「1人ひとりのささやかな力と知恵とを出し合って、美しく緑豊かな山や、清らかな水と親しみのある川を蘇らせること」にある。

活動の5つの柱である「遊ぶ」「調べる」「歩く」「学ぶ」「つくる」をもとに、さまざまな活動を行ってきた。

例えば「学ぶ」ではゲストを呼んで講演会を開く。「おもしろ自然学教室」を開催する。「調べる」ではホタルの生息状況や川の水質などを調査する。「歩く」は文字どおり川や野道、山を歩く。「遊ぶ」では波佐見川を大探検する。「つくる」はホタルマップや水辺公園づくりを実施してきた。

「会員20人足らずで会費が3000円。活動資金が足りずに最初は啓発活動を中心に行ってきましたが、少しずつ実績が買われたのか、助成金が受けられるようになってきました」。波佐見地域づくり支援事業、長崎県環境美化基金事業、ろうきん福祉環境基金、河川整備基金、「川に学ぶ」活動助成など、3万円から30万円までの助成金を受け、活動にも元気が出てきた。

特に今年で7回目となった「波佐見の川・大探検」は、今や子どもたちの夏の恒例行事となっている。

「ふれあい田んぼの学校」では、豊年エビを調べた

おじいさんの指導のもと、手づかみ漁に挑戦中

「波佐見川沿いに700mくらいの岸が竹林などに覆われている場所があり、そこで夏休み中に子どもたちに川遊びをさせるんです。同級生なんですが、役場の教育委員会に内海君といって素手で魚を手づかみする名人がいるんです。彼にその要領を教えてもらうと、子どもたちは生き生きとしてきますね。なまずを素手でつかまえる凄い子どももいます。おじいちゃんが孫に魚捕りを教えたりしてね、いいですよ」。

昨年の7月8日に、坂本さんは東京で開催された「第3回『川の日』ワークショップ『いい川』『いい川づくり』」に初めて参加し、「豊かな自然とガキ大将を育てる川・波佐見川」というテーマで発表した。結果は惜しくも第一次審査で落選となったが、通過しなかった作品の人気投票では堂々2位に選ばれた。

第3回「田んぼの学校」企画コンテストでは優秀賞を受賞した。「川だけでなく、山や田んぼの活動も総合的に考えないといけないと思い、企画を出したら受賞したので、『ふれあい田んぼの学校』を開校しました。今年7月でまだ2回目ですが、豊年エビの分布を調べたり、田んぼの生き物を調べたりしています」。今年の冬には山で炭焼きを子どもたちに教える予定だ。

会で作った丸太橋に立つ坂本さん

ため池を干す中で、どろんこになりながら魚を捕る小学生

坂本さんの子どものころの遊び場は川だった。「波佐見は眼鏡橋が多くて、遊び場は橋のある川でした。橋から飛び込んだり泳いだりして、中学生まで遊んでいました。昔はカマボコ板に名前を書いて、交替で見張りに来ている当番の親に渡すんです」。こうすると誰が遊んでいるかがすぐわかった。生活の知恵である。この方法は「波佐見の川・大探検」でも採用している。

昔はうなぎもよく捕れたそうだ。「最近、不動佐川に行ったらうなぎがかかったんですが、捕り逃がしたんですよ。悔しくて3日も通ったんですが、まだ捕れない。内海君は波佐見川でもう3匹も捕っているから、私も1匹くらい捕らないと格好がつかんでしょう(笑)。『夜ぶり』という、昔やっていた川遊びを今ごろまたやっていますが、面白いですね。はまりこんでますよ」と、うなぎ捕りの道具「うなぎ刺し」や「つけてぼ」の説明をしてくれる坂本さんは「取ったら自分達で釘を使って料理します。カボチャのざらざらした葉っぱで押さえたらぬるぬるしないんです」と目を輝かせる。

坂本さんは、あまのじゃくで変わった子どもだったという。中学1年のころは、学校に行くふりをして毎日山学校に行き、肥後の守(小刀)を使って竹の鉄砲や鳥かごを作っていた。1か月で親に知られ、山学校は中止となったが、今でも血が騒ぐ。「いくつになってもまだガキで、成長していないんですよ」と坂本さんは笑う。

豊年エビは20日くらいしか生きられない。このエビがいるときは田んぼが豊作だという。大きさは15~20mmくらい。

坂本さんが守りたいと願う竹林が残る波佐見川

「川で遊んでいるときはかなり充実しています。私がこんなに川遊びが楽しいのだから、人も楽しかろうと思って活動しているんですよ」。坂本さんのプライベートな名刺には「川の遊び人」という肩書きがついている。

「とにかく川をあまり変えないでほしい。今は、残された人生を、川を昔に戻すことにかけていかなければと思っているんです」。

最近取り壊されたが坂本さんが好きだった3連の石橋「鹿山橋」の近くに、世界的にも評価の高い「六十餘洲(ろくじゅうよしゅう)」という酒蔵がある。2年前に痛風を経験した坂本さんは、ビールを止めて、この酒蔵の焼酎を水割りにして楽しんでいる。

「酒飲みですからね、波佐見の川の水で焼酎の水割りが飲めるようになればいいなと思うんですよね」と夢を語る。

若者が住む町にするために、仕事をつくらなければ、と坂本さんは思いを巡らせる。今は木造の古い公会堂を守る活動もやっている。

坂本さんに案内してもらった波佐見の町には古い建物も多く残っていて、時が止まったような懐かしさがある。坂本さんとあいさつを交わす人が多い。情の濃い土地柄だ。陶器の町・波佐見とは違う町の素顔がそこにあった。

「雨が降ったら、もといた穴にうなぎは戻っているよ」と声を掛けられ、「帰ったら絶対に川に行く」と嬉しそうに答えていた坂本さんの顔は、川が大好きなガキ大将そのものだった。

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