一般社団法人

九州地方計画協会

  • 文字サイズ
  • 背景色

一般社団法人

九州地方計画協会

  •                                        
8) 逆T字になって、川内川に羽月川が合流する。

取材・文  春野洋治郎
撮  影  石川  清人

北薩摩を竜のようにくねりながら東西に横断する川内川は、滝、湖、湧水、温泉など川の至る所ですばらしい景観と恵みをほどこしている。その大河の上流域で支流となって分岐する羽月川は全長17km、大口市をほぼ南北方向へ貫く。つまり、大口市では川内川と羽月川が逆さのT字形にクロスし、この二つの川沿いに平地がひろがっている。

羽月という地名は戦国時代の古文書に登場し、羽月城という城が築かれていたという。藩政時代には薩摩藩の直轄地となり、羽月城下には麓という武士集落があって、中心には地頭仮屋が置かれていた。こうした武の国・薩摩を象徴するような歴史とともに、流域一帯は昔から伊佐米の産地として名を馳せてきた。研ぎ澄まされたような青く澄んだ空の下に緑の稲がすくすく育ち、清冽な水がとうとうと田んぼをうるおしている。

1)大口市街地に近い轟公園は、親水施設が整備され、子どもたちの歓声が川面に響く。

2)十曾川の両岸には、深く濃い緑が続き、緑陰の中を清流が走っている。

4)清らかな水をたっぷりと貯え、まわりの緑を湖面に映す、おだやかな十曾池。

5)近年、改修工事が行われ、美しく生まれ変わった、湖水の調整をする十曾池堰。

6)川内川と羽月川が合流する場所の河岸にはいこいの広場がひろがっている。

7)毎年9月には、羽月川でEボート大会が開かれる。

3)4段になって流れ落ちる様は、白蛇がくねっている姿に見える奥十曾渓谷の白蛇の滝。

 

 

9) 藩内外への人の出入りを厳しく監視した小川内関。今は人の往来もまばら。

11) 思わず手を合わせて水に打たれたくなるような奥十曾の行者の滝。

13) 昔から、水質が良く冷たい水を恵んでくれる十曾川。

熊本県水俣市から国道268号線を走って鹿児島県の大口市へ。道の両側は深い緑におおわれていて、道路から羽月川の最上流部を眺めることはむずかしい。新袴川橋を渡った所から人家が見えはじめ、川面も顔を見せる。羽月川には葉脈のように東西から支流が流れ込んでいるが、まずは西の方から合流する小川内川を上流へとたどってみる。水は澄み、耳に入ってくるせせらぎの音が心地いい。小川内川沿いの道を2~3km上流へ進むと、「小川内関所跡」という石碑が目にとまった。

この小川内川沿いの道は藩政時代の街道で、大口筋と呼ばれていたという。当時、薩摩藩から領外へ出る道は、日向の国へ向かう高岡筋、そして肥後へ向かう海側の道が出水筋、山越えの道が大口筋であった。小川内関は大口筋に設けられた関所で、通行手形や荷物の検査などが極めてきびしかったとか。今は、人や車の往来がほとんどない里山であるが、史跡案内には、天下統一のために豊臣秀吉が、日本全土を歩いて測量した伊能忠敬が、そして幕末の志士・平野国臣などが、この関所を越えて薩摩の地を踏んだとある。

さて、再び羽月川の本流にもどって少し下ると、北東から流れこんでくる十曾川と合流する。十曾川の上流は、十曾池や緑の中を流れ落ちる滝などがすばらしい渓谷美を成している。渓谷奥の国有林の中には、高さ28m、根回り21mの日本一のエドヒガンザクラがそびえている。また、十曾池周辺には九州で2番目にできた青少年旅行村があり、毎年多くのキャンパーでにぎわっている。現在は、満々と水をたたえた十曾池であるが、この池は貯水池として完成するまで9年の歳月を要した。昭和9年に未曾有の干ばつが襲い、大口地方の農家は困窮した。再びこの苦しみを子孫に味あわせないよう、地域住民は組合をつくって貯水池設置を県へ陳情。県営工事として昭和12年に着工するものの、戦争が激しさを増し、完成したのは昭和21年になってからであったという。

10)熊本県との境あたりに源流をもつ羽月川は、大口市の荒平地区あたりで川面が見えてくる。

12)静けさの中に心なごむぬくもりがあり、鳥たちのさえずりがさわやかな十曾池。

15)夏は涼しいので、多くのキャンパーでにぎわう。

14)若者たちの元気な声でいっぱいの九州で2番目にできた青少年旅行村。

16)苔むした岩に白い水しぶきが映え、渓流にはヤマメやイワナが…。

たえず、おいしい米づくりにチャレンジする井手口正さん。後ろの田んぼではアイガモが雑草を食んでいる。

田んぼのあぜ道にちょこんと立つユーモラスな表情の田の神さあ。

伊佐米、金山ネギ、それに焼酎など、おいしい水が大口のおいしい特産品を育てる。

羽月川の中流域には、田んぼや畑がひろがっている。大口市と菱刈町を合わせて伊佐地方と呼ぶが、ここは伊佐米の産地として有名である。なぜ、伊佐でできた米はうまいのか?一つは気候である。大口市は鹿児島の北海道と言われるほど冬の寒さは格別で、氷点下になる日も多い。盆地になっているので、夏場は昼暑く夜は急激に冷え、一日の温度差が激しい。この昼夜の温度差の大きさが、おいしい米を育てるのである。それと、もう一つ米づくりに欠かせないのが良質の水である。

大口市山野でおいしい米づくりに取り組む井手口正さんは「お米を1kgつくるのに、6トンの水が必要です。仮に500kgつくるとしたら水が3,000t。3,000tと言えば、米を栽培している期間に、毎日10t車3台ずつ田んぼに水を運ばないといけないのです。」と、いかに水が大事かを語ってくれた。井手口さんは昭和56年から有機減農薬栽培に取り組み、完全有機栽培、そして平成3年からはアイガモを利用した無農薬栽培も行っている。平成16年度の「全国米食味分析コンクール」に出品した井手口さんの米は、150点の応募の中から金賞に輝いた。

“上流の清い水を下流に”が井手口さんの持論である。

羽月川沿いにひろがる美田を眺めていると、あぜ道にたたずむ“田の神さあ”が目に入ってきた。田の神さあは、正しくは田之神様で、薩摩・大隅地方と宮崎県の一部で見ることができる農業の神様をかたどった石像である。温和な顔、手にめしげをもったり、頭に笠をかぶっていたり、とてもユーモラスで、田園ののどかさやぬくもりを感じさせてくれる。田の神さあが大口市内には161体もあり、田の神さあを巡るツアーなども始まっている。

緑の中を羽月川が流れていく。その奥には伊佐富士・鳥神岡が。

清らかな水は岩にぶつかって白いしぶきを上げ、ゴウゴウと下流へと下っていく。

大人も子どもも水辺に集まりEボートやカヌー楽しむ。

羽月川に沿って走る国道268号線をさらに南へ下ると、前方に大口の市街地が迫ってくる。川幅もいくぶん広くなり、西の方には伊佐富士の名で親しまれている美しい稜線をもつ鳥神岡がたたずんでいる。川には井ぜきが2つあり、それぞれ轟一番滝、轟二番滝と呼ばれ、一帯は轟公園として整備が進んでいる。また、2つの中州を大口出身の歴史作家・海音寺潮五郎氏は「天の島」「地の島」と命名。地域の人々の格好の親水エリアとしてにぎわっている。公園内には「ふる里のさつまの国は空あおし ただあおあおと澄み通るなり」という海音寺氏の望郷の碑が立っていて、この地には、あおあおと澄み通る空や川がふさわしいことを実感する。

川には、轟七尋(とどろななひろ)と呼ばれる場所があり、深さが七尋(約12.5m)にも達する。夏には川祭りが開かれ、9月には地域のスポーツ少年団が参加する「Eボートレースin川内川」でにぎわう。Eボートとは、子どもから高齢者までだれもが簡単に操作できる手漕ぎボートで、水辺で交流するために考え出されたものである。大口市では平成10年に大口Eボートクラブが発足し、翌年には2艇購入、親水イベントはじめいろんな催しに活用している。「Eボートレースin川内川」は、参加者にレースによって水辺の楽しさを体感してもらうとともに、環境に対しても関心をもってもらうプログラムが組んである。轟公園とレース会場のゴミ調査がそれである。参加者全員で行い、調査結果や参加者のアンケートをまとめ次年度へ活かしている。

轟の滝から上流を眺めると、四方を小高い山が囲み、伊佐の美田がひろがっている。

護岸に設けられている遊歩道からは緑と川の対比が美しく、思わず立ち止まってしまう。

川の浅瀬のところでは、人も犬も水遊び。ひんやりとした水が心地いい。

スポーツを楽しんだり、自然観察をしたり、いろんな川の楽しみ方がある羽月川。

みんなで楽しく遊んだ後は、川を中心に友情や愛情が大きく育っていく。

子どもたちに川の楽しさを知り、環境への関心を深めてもらおうといろんな活動に取り組む大口Eボートクラブ代表の前田健二さん。

組み立てが簡単なEボートは10人ほど乗ることができ、スイスイ水を切っていく。(Eボートレースin川内川の一コマ)

初心者でもすぐに漕ぐことができ、みんなでワイワイ楽しめるEボート。

水面をわたる風が、みんなの心を一つにしてくれる。

21)石づくりの美しいアーチを描く、羽月川中流に架かる轟橋。

轟公園から川を下ると、轟橋という石造りの優雅な太鼓橋に出会う。この橋は文久元年(1861)に完成し140余年の歳月を刻んでいる。橋一帯は野鳥の宝庫でもあり、アカショウビンやセキレイなどを見ることができる。轟橋から羽月橋、なまず崎橋、堂崎橋を経て、羽月川は本流である川内川に合流する。途中、金波田という集落沿いを流れるが、この金波田という地名は、稲穂が黄金色に色づいて波打つ田んぼの様から名付けられたということである。金波田集落には湧水池などがあり、やはり水と米の密接な関係を思わずにはいられない。

羽月川が川内川に合流する地点から西へたどると、東洋のナイアガラとたとえられる曾木の滝へ行き着く。ここでは川幅210m、落差12mの巨大な水のカーテンなり、轟音をとどろかせながらしぶきを上げて落下している。水のはかりしれないパワーを電力として利用しようと、明治42年に曾木発電所が建設された。出力は800kWで当時としては国内最大級のものであった。その下流に昭和40年鶴田ダムが完成し、曾木発電所は水中に没した。しかし、中世ヨーロッパの城を思わせる煉瓦造りの建物は、現在でも5月から9月の渇水期に湖底から雄姿を現す。

その風格ただよう遺構を前にしながら、水はとうとうと流れることで大地をうるおし、暮らしを豊かにし、文化や文明を発展させるかけがえのない資源であることをあらためて考えさせられた。

上の記事には似た記事があります

すべて表示

カテゴリ一覧