●本川17km付近(菊水町)内藤橋にかかった流木(菊池川水害記録写真集より:九州地方建設局 菊池川工事事務所)
●道辺地先の堤防決壊による濁流で倒壊した家屋/三日月町・支川祗園川(九州地方の水害記録写真集より:九州地方建設局)
●昭和28年6月、北部九州を襲った大水害とは
●朝倉郡杷木町昭和橋付近(九州地方の水害記録写真集より:九州地方建設局)
●大分川/小野鶴橋流失/大分市小野鶴地区・本川11km付近(九州地方の水害記録写真集より:九州地方建設局)
屋根を吹き飛ばす強風、車のワイパーも効かない想像を絶する豪雨、家を押し流し、人命をも奪う洪水や山崩れ、極度の乾燥による山火事・・。地球環境の温暖化・環境変化にともない、世界各地で異常気象が発生している現代。かつては「100年に一度」だった巨大台風や集中豪雨の襲来サイクルは年々短くなり、いまや毎年のように大きな被害を引き起こしています。「観測史上最悪・最大規模」の異常気象も珍しくありません。
かつて「台風銀座」と呼ばれたこの九州。最近でこそ海流や気象の関係で直撃回数は減少傾向にあるものの、いったん襲われると荒れ狂う巨大な自然エネルギーが山や川、人々の暮らしに甚大な被害をもたらします。自然の猛威にさらされたら人は無力。どんなに強固に築造された堤防や砂防でも、一瞬にして破壊されてしまいます。
今からちょうど50年前の昭和28年6月。北部九州は田植えのまっ最中。折から九州中部と北部の間、100キロにわたって停滞していた梅雨前線の影響で雨続き。何もかもじっとりと湿気を帯び、地盤はすっかりゆるんでいました。
6月25日、九州全域に朝から降り始めた雨は昼過ぎから豪雨となり、特に福岡と佐賀では一晩中、雷とともにバケツをひっくり返したような猛烈な雨が降り続き、朝までに雨量は平均300ミリを突破。夕方には轟音をたてて濁流がさかまく筑後川、遠賀川、熊本の白川、菊池川などが次々とはんらん。橋は押し流され、堤防を越えた濁流は家々を押し流し、多くの人命を奪いました。被害は九州全域に及び、死者は763人、行方不明236人、負傷1万1,161人、住宅損壊(全壊・流失・半壊)2万9,810戸、家屋浸水42万7,363戸という、未曾有の大災害をもたらしたのです(データは昭和32年発行:昭和28年西日本水害調査報告書・土木学会西部支部)。
水害の影響を受けて関門トンネルが開通して以来、初めて水没したのは6月28日。17日間もの長期閉鎖で、九州と本州を結ぶのは関門海峡の船便だけとなりました。
「災害は忘れたころにやってくる」。これは、明治末~大正期に活躍した物理学者で随筆家、また気象学にも通じた寺田寅彦が残した言葉。被災直後はその対策や防災の心構えについてやかましく言うが、時がたって人々がそれをすっかり忘れたころ、ふたたび災害に見舞われるものだ、という意味です。
昭和28年6月大洪水以来、九州地方整備局では28年クラスの洪水ではびくともしないよう河川整備を進めてきました。しかし異常気象が頻発する現代。そして忘れたころにやってくる災害から大切な財産や命を守り安心・安全な地域をつくるためにも昭和28年6月大水害の体験と教訓を語り継ぎ、さらなる安全な川づくりを進めていく必要があります。
(次号よりシリーズで九州各県の河川災害の記憶を語り継いでいきます)。
●裏川鶴羽橋越流状況/大分市萩原地区・本川右岸1k/500(九州地方の水害記録写真集より:九州地方建設局)
●決壊した本川植木堤防/直方市(九州地方の水害記録写真集より:九州地方建設局)
●筑後川、鉄橋の惨状/久留米市(九州地方の水害記録写真集より:九州地方建設局)