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取材・文  伊藤 直枝
撮  影  諸岡 敬民

福岡市と北九州市のほぼ真ん中。近年、学園都市、またベットタウンとして発展する宗像地方(かつての宗像郡)のほぼ中央を貫流し、玄海町の白砂青松の海岸線から玄界灘へと注ぐ「釣川」。宗像市吉留の丘陵地に発する源流から玄海町の河口まで、ほぼ直線状に流れる本流は流路16.3kmの二級河川。合流する支流は朝町川、高瀬川、山田川など10支川を数え、流域99km2をうるおす

今も昔も、宗像地方最大の上水源であり、農業用水でもある重要な川だ。流れに沿って名所旧跡、近代的な文化施設、自然豊かなレジャースポットなどが点在するのも釣川の魅力。早春の一日、釣川を歩いた。

釣川河口で

皐月橋たもとより玄界灘を望む

水量豊かな中流域

地図を見ると、宗像市と玄海町は、周囲を低い山に取り囲まれた内側に、市街地が形成されていることが分かる。数万年前の太古には、ずっと奥まで海が湾入していたことがうかがえる地形だ。もっとも高い山は、玄海町と岡垣町の境にある孔大寺山(499m)、次が湯川山(471m)だが、あとは300m内外の低い山が連なる。釣川の源流は、太古の湾のもっとも奥まったあたり、吉留の丘陵地(倉久山=223.9m)にある。

「釣川流域を囲む山々が浅いので、山間部の谷には水がほとんどなく、山麓部の谷の出口が源流(湧水地)になっている」(釣川ルネッサンス室)という。宗像市内を流れる本流の上~中流域は、川幅も狭く、水量も豊かというほどではなく、ゆるやかに流れ、ほぼ直線コースをとって河口部へと向かう。この間に支流が合流するため、玄海町に入ると川幅は広くなり、水量もぐんと増えてくる。そして川は玄界灘へと流れ込む。

馬蹄形の山々に囲まれた、釣川がうるおす豊かな田園地帯の宗像を拠点としたのが、古代の筑紫豪族の中でももっとも古くから登場する「宗像族」だ。玄界灘の海上権を掌握し、朝廷に娘を嫁がせるなど中央政権との結びつきも深かった。

平安中期から戦国後期にかけて、この地を治めたのは、宗像大社の大宮司でもあった「宗像氏」である。中国の宋と盛んに交易したり、室町時代には李氏朝鮮との交流を行うなどの国際派でもあった。博多の蒙古襲来時には博多湾沿岸の防戦に駆けつけ、勲功を受けたという歴史的エピソードもある。

宗像大社はいまでも海上交通の神様として有名だが、大社は釣川のほとりにある。釣川から船で玄界灘へ出て、海の道を自由に行き交った宗像族や宗像氏の、スケールの大きな野望や夢の記憶の断片は、いまも宗像のあちこちに残されている。

釣川河口

宗像大社本殿

鎮国寺護摩堂

宗像大社は、釣川を河口からさかのぼった右岸にある。日本でもっとも古い神社の一つで、北部九州と朝鮮半島とを結ぶ海の道の要衝だったこの地に創建されたという。古来から現在に至るまで航海・交通安全の神様として崇拝されてきたのもうなずける[宗像大社は、玄海町釣川ほとりのこの辺津宮(市杵島姫神)、大島村の中津宮(端津姫神)、沖島の沖津宮(田心姫神)の三宮から成る]。

毎年10月1~3日が大社の例祭日。1日早朝には「海上神幸」が行われる。大島と玄海町神湊を結び、神様を迎えるための輿船に宗像七浦の漁船団が大漁旗をなびかせて供をする壮観な光景は、宗像ならではの秋の一大イベントだ。

宗像大社(辺津宮)と釣川をはさんだ対岸に「鎮国寺」がある。山門のある石段を登っていくと、山の中腹に広大な境内がひらけ、深い緑に抱かれて護摩堂、本堂、太子堂、庫裏などが建つ。弘法大師が中国から帰朝した年(806年)に創建したと伝えられる、日本ではもっとも古い真言宗の寺だ。

鎮国寺は宗像氏の庇護を受け、宗像大社の神宮寺(大社付属の寺)として七堂伽藍を構え、江戸時代には黒田氏からも庇護されて大いに栄えた。いまも九州西国第三十一番霊場として多くの人が参詣に訪れる。

外乗で釣川ほとりを散歩する馬たち

乗馬クラブ

釣川の河口は、さつき松原にある。玄海町上八(こうじょう)から神湊まで、玄界灘に向かってゆるやかに弧を描く約5.5kmのクロマツ林だ。伊勢の二見浜、日向の小戸浜とともに日本三大松原の一つに数えられる国の保有林で、福岡に来てまもない黒田長政公が植林したことが始まりだという。

青い海と白砂青松のコントラストが美しい海岸で、時おり、さっそうと駈ける馬たちを見かける。玄海町神湊にあるカナディアンキャンプ乗馬クラブの馬たちだ。

同クラブは、釣川の水辺とさつき松原の海岸など美しい自然を舞台として外乗できるユニークな乗馬クラブ。初心者でも1日3時間、6時間かけて40~80kmもの長距離を思いっきり外乗できるコースや早朝外乗、お月見外乗など多様な外乗コースがあって、全国に会員をもつ。所属する馬は31頭。いずれも、車や水や人を怖がらないよう訓練された賢い馬たちだ。

人を乗せて渚を全速力で駈ける馬や、釣川の流れにジャブジャブと入って水を飲み小休止している馬たちに出合うと、まるで映画を見ているようで、つい見とれてしまう。自然の中で、人と馬とが共存している風景はじつに新鮮で、どこか懐かしい。

代表の山口信介さんは、「九州は広いけれど、ここほど美しい海岸線と変化のある河畔をもち、馬が似合う自然豊かな場所はない。いつか、この玄海町で外乗の全国大会をやりたい」と夢を語る。「最近、下流の川に入ったとき気になるのは、川底が以前のように美しい砂ではなく、泥土が深くなっていること。馬の足の沈み方で分かるんです。中流の桜づつみの工事が終わって落ち着くと元に戻るのかもしれませんが、やはり釣川は魚がたくさんいて釣りのできる清流であってほしいですね、いつまでも」とも語ってくれた。

桜づつみモデル事業のイメージ

辻田橋たもとに立っていた一番定石。現在は宗像市教育委員会で仮保管中

桜づつみの各所に配されたモニュメント

いまでこそ釣川は、おだやかに、ゆったりと流れているが、もともと氾濫しやすい暴れ川。古くは江戸時代中期に大規模な治水事業が行われたことがある。工事区間は宗像市田久の辻田橋上流から玄海町砂山橋までの約9.6㎞に及んだという。この時、辻田橋たもとに立てられた10本の傍示石のうち「一番定石」の1本だけが現在も残っている。

昭和に入ってからも、16年、28年、34年の3回も大きな洪水災害に見舞われている。昭和の河川改修は26年から着手。現在はほぼ完了しているが、釣川のやっかいなところは、流れの一部で、水面が河畔の宅地よりも高い「天井川」になっていることだ。川があふれると、たちまち民家は水に浸かってしまう。洪水警報が出てから土嚢を調達していたのでは間に合わない場合もありうる。

そこで計画され、平成4年の認定と同時に事業に着手されたのが「桜づつみモデル事業」である。

釣川中流域の鍵橋から赤馬橋までのあいだが事業の対象区間。主に南側河畔の堤防を強化してその上に桜の木を植え、防災機能を持たせると同時に周辺住民に新しい憩いの場として親しんでもらおう、というもの。

もう少し詳しく言えば、従来の堤防の陸側のり面をコンクリートで補強し、現代の土木技術を用い新しい堤防を造って桜を植樹、新旧二重の堤防になっているのが「桜づつみ」の構造だ。新しい堤として備蓄された土砂は、非常時に際して流域住民の暮らしを守るための水防活動に利用されることになる。「桜づつみ」が「スーパー堤防」と呼ばれるのはこのためだ。

事業では、堤防の強化と同時に、約20種類の魚類やホタルなどが棲息する川の生態系を守るため、木工沈床工・捨石工の設置、瀬や淵の保全工事が進められ、自然との共存がはかられた。

今年(平成13年)3月末で事業は完了。宗像市の都心部を流れる釣川中流は、土堤の桜並木の所々にベンチやモニュメントが配され、また橋のたもとには桜公園が整備されるなど、のびやかな河畔公園となってイメージを一新した。春の日差しに誘われて散歩やジョギングに訪れる人が絶えない桜づつみ。宗像の新しい名所になることは間違いない。

上流に多く見られる堰

多札ダム

釣川を歩いていちばん印象に残るのは、堰が多いということだ。流路約16kmの川に、なんと94カ所もあるという。護岸された上流には、段々畑のように堰が連なり、点在する貯水池とともに、まさに余すところなくかんがい用水として利用されている。

宗像市の主要産業は、長いあいだ農業であった。いまも米、麦、みかん、なたね、卵などが生産されてはいるが、日の里や自由ケ丘といった大規模団地の造成に伴い、最近は第三次産業(商業・サービス業)への就業人口が増えているのが特徴だ。玄海町も同様である。

増加する一方の市民の生命をつなぐ上水もまた、釣川の流れに負っている。宗像市と玄海町の境をまたぐ吉田・多礼ダムは、釣川の水をポンプで汲み上げたもの。宗像地方の井戸のある家庭を除いた上水は、この吉田・多礼ダムと大井貯水池の水がほぼ100%、まかなう。釣川は、宗像の大地をうるおし、人を含めてすべての生きものを養う「生命の川」「母なる川」なのである。

グローバルアリーナ施設

釣川の源流近くまでたどり着きたいと、県道29号(直方宗像線)と87号(岡垣宮田線)が交差する平山口を右折、流れをたどって里山を歩いていると、突然、本格的な陸上競技場に出て、驚く。

平成12年4月にオープンした民間の一大スポーツ王国「グローバルアリーナ」である。陸上競技場のほかにも多数のサッカーやテニス専用コートがあり、ロッジ、クラブハウス、レストランまで整った、スポーツテーマパークのようなたたずまい。

王国の奥に、フェンスで囲われた池があった。近くの人に池の名前を尋ねたが、誰も知らなかったのが残念だ。

まるで万華鏡のように、さまざまな表情を見せてくれた釣川。「桜づつみモデル事業」でうたう基本理念のテーマは「釣川の夢、きらきらと四季の風」である。桜づつみの桜が満開のいま、釣川はどんな夢をみているだろう。

竜門ダム展示資料館「ミュウじあむ」

釣川上流には戸田山(267.4m)の西麓から注ぐ小さな支流、宮川がある。この川は、麓の鶺鴒山(せきれいさん)とよばれる小高い丘を迂回して釣川へと流れ込む。丘の頂上に建つのが「八所宮(神社)」だ。丘全体に及ぶ6.5ヘクタールの境内は手つかずのうっそうとした原生林でおおわれ、樹齢数百年のイチイ樫や常磐柿(どちらも福岡県指定天然記念物)もある。

社伝によれば、はるか昔の神々の時代、日向の国から東遷途上の神武天皇が、この丘の下の御手洗(みたらい)池のほとりで休まれていたところ、赤い馬に乗った神が現れ道案内された。これが「赤間(馬)」の名の起こりだという。創建は天武天皇時代の678年(白鳳2年)12月28日。赤間の庄11か村の総鎮守として信仰され、皇室とのゆかりも深く代々の藩主によって保護されてきた由緒ある神社である。神社の額(社額)は平安時代の日本三筆のひとり、小野道風の書とされ、珍しい鳩文字で書かれている。

例大祭(お宮日)は10月12~13日。12日の夜10時から深夜にかけて行われる珍しい「夜中の大名行列」が有名。4月下旬から5月上旬にかけて、境内には3,000本のツツジと、棚の広さ1,000m2のフジが開花し、訪れる人でにぎわう。

広い境内には災難厄除で有名な現人(あらひと)神社、県指定文化財の十一面観音像などがある長宝寺、宗像市弓道場、70人収容のキャンプ場などがある。

(問い合わせは八所宮へ/電話0940-33-4467)


享保2年創業の伊豆本店

清流・宮川近くには江戸時代の享保2年(1717年)創業の蔵元、合資会社伊豆本店があり、清冽な地下水で造るしずく搾りの吟醸酒「亀の尾」が有名。蔵の見学もできる。また赤間の宿場の中にも「楢の露」の銘柄で知られる勝屋酒造がある。散策の途中、立ち寄ってみては。

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