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九州技報 第35号 巻頭言
持続的文明論の概略

鹿児島大学工学部
 教授
吉 原  進

土木は自然の中で人間の生存と活動を支えるために、自然から資源やエネルギーを得て、自然や社会に働きかけ時宜に適う国土運用と国家経営を担ってきた。土木文明論の原点である。しかし、寺田寅彦は「文明が進めば進むほど天然の暴威による災害がその激烈の度を増す」と指摘し、社会の「有機的結合が進化し、その内部機構の分化が著しく進展して」、「一小部分の損害が全系統に致命傷となりうる」と理由の一つを挙げた(昭和9年、「天災と国防」)。これは文明の独善性を危惧したものであるが、安心・安全・快適な社会のための開発と防災を担う土木には、意に反して社会を脆弱にするおそれがあることを警告したものでもある。土木は想定を越えた外力にあらがえないとがから免れても、中途半端に抵抗して災害を巨大化させるせめふさがねばならない。さらに、
災害抜きの共生論、加害意識抜きの自然賛美など偏った自然観に立つ市民に迎合するだけで、廃棄・排出・排泄の蔓延や自然資源の枯渇が将来世代にもたらす危険や不便に気付きながら、今日の土木は、局部的かつ今日的利便改善や危険排除に精励するものの、経済性一辺倒の市場原理にとらわれすぎて循環性に頓着とんちゃく しないし、有効な手立てを提示できないでいる。また、理想化し単純化して得た合理的法則は、予言や占いにでも頼らなければ、多様な倫理が渦巻く社会や複雑な論理で動く自然の数十年先を見通せない。ここに学術的土木の限界がある。ところがすでに、
古市公威ふるいちこういは「文明ノ進歩二伴ヒ専門分業」を「一般ノ法則」としながら、土木は他の工学とは異質であることを喝破かっぱして、すでに工学界を席巻せっけんし始めていた「極端ナル専門分業」に敢然かんぜんと異を唱え、土木は土木専門を超えて工学全般に精通し、なお「経済学」、「行政法」から「人間学」へと研究・教育を縦横八方へ発展させて常に「中心ニ土木アルコト」を説き、土木に「他ノ専門ノ者」の参画を希求していた(大正4年、土木学会第1回総会会長講演)。にもかかわらず土木界は、戦後復興への性急な外的要請および内的動機が高度成長まで生み出し、技術の高度化・効率化の原動力となったことから極端な専門化、分業化を最適かつ当然ととらえ、分析・解明的な効率的学術に磨きをかけた。本来土着的な市民技術であるはずの土木はこのようなスマートで画一的な学術に傾倒固執するばかりで、古市の願った総括的土木に決別し、独善的土木に陥った。これが個人や自然への配慮を欠くと誤解されるもとになり、土木批判の根になった。
略奪的で浪費的な、即効的で画一的な、権威的で独善的な硬直した文明は一時的に栄華を極めても、想定外の内外圧に脆く持続性がない。持続的文明に必要なことは、今日から将来の利益のみならず損害を、獲得・配分しまた共有・負担できる環境経済学と利便・安全の裏の不便・危険をも視野に入れた権利・自由と義務・責任が拮抗する公共関係学を取り込み、寺田のいう「数千年来の災禍」を通して獲得してきた「時の試練」に耐え「地の相」に適う開発と防災に徹し、古来不変の日本国土で培われてきた自然的人為型技術を尊重し、発展させうる柔軟な土木を構築することである。
大破壊には周到な備えと覚悟で守り、廃棄資源化による物質循環で資源小国の自立を支え、土壌や水質の汚染を防ぎ、地球温暖化防止に貢献できるのは、伝統的もしくは独創的で総括的な土木以外にない。これで古市や寺田がそれぞれに描いた文明を創出でき、そして超えることができる。

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