2.7.2出水の反省と対応
(六角川,松浦川を事例として)
(六角川,松浦川を事例として)
建設省武雄工事事務所
技術副所長
技術副所長
上 杉 達 雄
1 はじめに
台風6号の弱まった低気圧の接近と梅雨前線の活動とにより,九州中北部は平成2年7月1日の夜半から集中豪雨に見舞われ甚大な被害が発生した。中でも六角川,松浦川,矢部川,菊池川,白川,大野川等の各河川においては水源を中心とした地域が記録的な降雨となり,土石流の発生や河川の氾濫,立竹木の倒伏・流出等により,その被害は激甚なものとなった。
当事務所管内においても各地の観測所の降雨量は記録的なものとなり、六角川,松浦川においては計画高水位を越え,計画規模に匹敵する出水となり,越水破堤9箇所を含み、堤防等の越水延長は六角川で11.3km,松浦川で31.9 kmと,それぞれ直轄管理延長の9.8%,26.4%にもおよび,六角川においては昭和55年出水を,また,松浦川においては昭和42年出水を大きく上回る歴史的な出水となり,一面が泥の海と化した。
本文は,2.7.2出水についての反省と対応とについて,とりまとめ報告を行うものである。
2 出水の状況
1)降雨の状況
平成2年7月1日,台風6号の弱まった低気圧が九州西海上に接近するにつれて,梅雨前線の活動も活発化し,九州中部から北部へと北上し,南からの湿った暖かい空気の流入と相侯って,佐賀県下では夜半過ぎから一段と雨足が激しさを増した。特に,5時から6時までの1時間雨量は嬉野で72 mm,武雄63mm,佐賀61mmを記録し,梅雨期の1時間雨量としては観測史上希にみる激しい降雨を挟み,午前4時から10時までにかけて降り続いた。
この6時間に嬉野では302mm,武雄で252mm,佐賀で225 mmと流域のほとんどが200mmを上回る豪雨となった。
2)水位の状況
六角川の潮見橋では,7月2日の零時頃から水位が上昇を始め,4時には指定水位を,5時30分には警戒水位(3.5m)を越え,さらに増水を続け,6時30分には計画高水位(4.036m)を越え,9時には最高水位4.95m(計画高水位+0.914m)を記録し,昭和55年8月洪水以来の出水となった。
また,牛津川の妙見橋でも2日の4時に指定水位を越え,さらに増水を続け5時には警戒水位(3.5m),7時30分には計画高水位(5.459m)を越え,9時には最高水位6.06m(計画高水位+0.601m)を記録し,昭和55年8月出水を1.3mも上回る出水となった。
さらに,松浦川の川西橋においても2日の2時30分に指定水位を越え,さらに増水を続け3時50分には警戒水位(3.8m)を,8時20分には計画高水位(7.579m)を越え,10時には,最高水位8.3m(計画高水位+0.721m)を記録し,昭和42年7月出水を上回る大出水になった。
特に,今回の出水は,非常にシャープな波形であったため水位上昇も六角川の上流端,溝ノ上において3時から6時まで毎時80,91,73cmを記録,牛津川の妙見橋でも2時から8時まで65,59,85,92,67,62cmを記録,さらに,松浦川の川西橋においては2時から9時まで53,94,124,73,67,75,78cmの水位上昇を記録,水防対策や避難誘導等の対策の困難さを物語った。(表ー2参照)
今回の出水に対し,武雄工事事務所は,表ー3のような体制で臨んだ。
3 被害の状況
1)一般被害
六角川水系,松浦川水系における越水,破堤,内水等による浸水被害は,武雄市,多久市,伊万里市,北方町,牛津町等を中心に4市12町1村に及び死者1名,負傷者1名,家屋の損壊47戸,床上浸水2,750戸,床下浸水5,362戸,農地冠水8,083ha等,被害額は約550億円となった。
2)公共土木施設被害
今回の出水における佐賀県内の河川,道路等の公共土木施設の被害額は約240億円となり,過去の被害額と比較しても史上最高となっている。公共土木施設災害のうち直轄河道災害は101箇所発生したが,堤防等の越水延長が43.2 kmに及んだにもかかわらず,越水破堤による延長はわずか185m,9箇所にとどまった。
このことは,背後地が地形的に狭少であったため,内外水位が追随し,大きな水位差がつかなかったことによる不幸中の幸で,堤防がずたずたになることなく,被害を最少限にくい止め得たことと思われる。
また,今回の出水で管内10箇所の排水機場の内,山崎の排水機場が4mに及ぶ冠水で,その機能を発揮することができない事態が発生したが,これは,過去の被害事例が計画段階で反映されていなかった結果で残念であった。
なお,排水機場を含む緊急災害復旧については10箇所91百万円をもって,7日目には再度災害に備えた復旧を完了させた。
3)災害の特徴
先に述べたように,今回の降雨は六角川,松浦川流域の全域に,しかも短時間に集中し,典型的な1日豪雨型の1山波形となり1時間,3時間,6時間,12時間,1日の各雨量ともに流域内の雨量観測所で史上最大値を記録した。
このような降雨により,六角川本川および支川牛津川,松浦川本川においては予想を越える異常な出水量と,シャープな波形の出現となった。
このため,内水排水能力が限界を越えた所に,本支川の越水,破堤が発生したため浸水による被害が更に増大した。特に,牛津川の場合7.6km~14.4km間の左右岸の越水と,支川晴気川など補助河川の決壊が,下流に濁流となって押し寄せたことなどが,被災を助長させた要因と考えられる。
特に,今回の出水による災害の特徴は,浸水氾濫域が広範囲に及んだことから,河道災害等の公共土木施設災害に比べて,家屋,農作物等の一般資産等災害が膨大であったことに加え,国道34号,JR長崎,佐世保本線等の幹線交通網およびNTT等の通信網が全域で麻痺するなど,社会経済活動に多大な影響を及ぼしたことである。
4)水防活動
今回の出水は,日曜日の夜半からの出水であったにもかかわらず,各水防団の臨機応変の水防活動には目を見張るものがあった。しかしながら,水位上昇のスピードと,出水の規模から,結果として効を奏するに至らなかったが,その後の救済活動,復旧活動等にも大きな働きがなされた。
六角川,松浦川における水防団の出動要員は,約2,800名を数えたが,多久,北方,牛津町においては濁水にのみ込まれ身動きのできない状態となり,途中において水防活動ができない事態となった。
また,当事務所管内の出張所も朝日,牛津,鹿島の三出張所が床上浸水状態となり,やむなく避難する事態となった。
4 出水の反省
今回の出水に鑑み以下の点が問題として考えられる。
1)組織として単身赴任が多く,月曜日早朝の出水の上,交通網の麻痺により組織全員による対応ができなかった。
2)水防活動の前線本部となるべき6出張所の内3出張所が浸水し,避難を余儀なくされ,情報収集,連絡が途絶し,出張所本来の機能を果し得なかった。
3)水防体制として事務所より出張所へ職員の応援体制を予定していたが,道路の冠水により派遣できず,三人体制の出張所では現場および地元対応の要員が不足し,十分な機能が果し得なかった。
4)交通,通信網がほぼ全域で麻痺したため,情報の収集,伝達および自治体の水防活動の把握が十分にでき得なかった。
5)被災状況を把握するため,ヘリコプターの出動を試みだが,悪天候のため断念せざるを得なかった。
6)救援活動や情報収集等に船外機を利用したが,大きな波が発生し,民家の窓ガラス等に損傷を与える事態が発生した。
7)水防演習と災害時とでは,天候,交通,通信等の諸条件が大きく異なり,演習の効果を十分に発揮し得なかった。
8)河川巡視員による巡視は不可能となったが地元建設業者により構成されている防災協力会の巡視による被災情報の提供と,その結果を踏えた応急対応はよい成果となった。
9)携帯無線機による情報連絡を主に活用しその成果を上げたが,台数が多くて混信が頻繁に発生した。
10)許可工作物等の操作について,出水が早朝であったのと水位上昇が早く,道路が冠水したため一部において問題を残した施設が発生した。(堰,サイフォン,樋管)
11)流域の大掃除みたいな出水であったため,大量のゴミの流出が発生し海域において問題を残した。
12)水防活動において道路冠水やのり崩れが発生したため,備蓄材の活用がうまくいかなかった。
13)濁水で道路が冠水していたため,道路敷の確認が出来ずダンプカーによる資材運搬がうまくいかなかった。
14)緊急復旧をするに当って,河岸までの進入路の確保ができなかった。
15)堤防天端巾が3mであるため,夜間作業においては2t車の使用が限度であったことと,離合場所の不足を痛切に感じた。
16)住民の自衛の手段として,水防活動を実施するための情報提供のあり方が考えさせられた。
17)報道のあり方に偏見が出た。職人気質的な所がなく,車の行けない六角川流域についてはあまり報道がなされなかった。
18)一事務所で管理する三河川が同時に出水に見舞われた場合の組織の対応に限界的なものを感じた。
19)出水前における除草は実施していたが,軟弱であるため高水敷の除草が今迄に実施されていなかったため,粗度管理に一部反省の余地がある。
20)感潮河川の緩流河川であるため,潟土の堆積により河積の確保を一部において困難にしている問題がある。
21)通信衛星車による画像の送信,照明車の活用による現場作業の促進,内水対策による民生の安定,災害対策車による前線基地の確保等については,うまくいった事例といえる。
5 今後の対応
1)復旧対策
今回の水害により緊急を要する箇所については地元水防団,防災協力会,あるいは自衛隊等の協力により7月8日までに一応の仮復旧を完了した。
その後,8月27日には激甚災害対策特別緊急事業として,六角川水系において約300億円の内示を受け,9月27日には単災や災害関連の大蔵協議が成立,10月5日には建設専門官を長とする災害復旧室および副所長を長とする激甚災害対策推進室の各プロジェクトチームを編成した。この間,8月1日には,プレハブによる復旧室の設置,9月1日よりコンサルタント等による応援体制の確保,さらに10月1日には職員の増強による体制も確立された。
事業量については,激特事業費が約300億円(41.2km),災害関連費7.4億円(4箇所),災害復旧費76.3億円(101箇所)となっている。
実施については,限られた予算と限られた人員そして限られた期間を前提にし,測量,調査設計等についての発注を業種毎に一度に発注し,個別の打合せ方式はとらず,業種毎の一括打合せにより業務の遂行を図ることとした。
また,工事についても極力分割はさけ,国債や翌債による発注を基本と考えて作業を進めている。
2)情報伝達と水防活動の強化
今回の出水における経験を貴重な教訓として情報活動伝達と水防活動の強化を図るため,次のような事項について改善を進める方針である。
イ)出水時の前線基地となる出張所が浸水しないように移転改造する。
ロ)情報収集伝達システムを強化する。
◦本省,本局向けの回線の強化より,管内の情報が適確に事務所,出張所に入手できるよう管内のデジタル回線の整備を図る。
◦出水時の現地状況を映像を通して把握するため,主要地点にモニターカメラを設置する。
◦一般からの情報がスムーズに入手出来る連絡網を整備する。
◦水防団等との情報連絡がスムーズに流れるよう指令室を設置する。
◦緊急時の対応のためタクシー無線やハムの活用を試みる。
◦流域情報が広範囲に伝達できるよう管内に電光表示板や回転灯を設置する。
3)水防活動の強化
◦地方自治体による重点区域のパトロールを強化する(区間割当主義)。
◦水防演習のあり方について再検討する。
◦地域的連帯感の強化策を検討する。
◦防災協力会による支援体制を更に強化する。
4)緊急輸送路の確保
◦主要道路には,雪国のスノーポールに相当する施設を設置し,水防活動車両が道路冠水時にも不安なく通行出来るようにする。
◦堤防天端巾員を最低4m確保するよう計画を変更すると共に離合場所の確保設置に努める。
◦上,下流問題が残るが,道路を活用した横堤の設置に努める。
5)
水陸両用車,照明車,ゴムボートおよび急橋等,救助,資材運搬等機械の導入を検討する。
6)
メインおよびサブの避難場所とルートを地域住民に周知徹底する。
7)
芦,潟土,ゴミ等出水時に問題を残す事項について積極的に取り組んでいくが,なかでも粗度の管理については最大限努力する。
8)
水閘門,樋管,堰との操作状況については一元管理で把握出来るシステムの整備を図る。
おわりに
悪夢のような7月2日から早いもので6ケ月が過ぎようとしている。
市民生活も心の中には痛手を秘めながらも,出水前の平常さを取り戻してきている。
出水直後のあの激甚な被災状況は,すでに写真が一部の家屋の壁の痕跡にとどまるまでに市民生活の復旧は進んでおり,今,流域住民は,出水直後の大きな動きとは異なり,建設省の対応に大きな期待を寄せ静かに見守っている。
幸いにして復旧についての目途も,激特,災害関連,単災そして通常改修等による予算を駆使した計画もかたまり,地元においても全面的な支援体制の整備が,そして執行についても組織の強化等が,すこしづつではあるが進みつつあり,地域住民が本当に安心して生活出来る河川整備を地域と一体となって進めていける見通しもでてきた。
「2.7.2」出水は未曽有の出水であったが「建設省があって本当によかった」と喜ばれるような河川整備を組織をあげて,地域と共に進めて行きたいと考えている今日である。