阿蘇原野法面への表土保存工法応用試験
熊本県本渡土木事務所
ダム建設課長
前 熊本県一の宮土木事務所工務課
工務第一係長
ダム建設課長
前 熊本県一の宮土木事務所工務課
工務第一係長
那 須 正 秀
1 はじめに
熊本県土木部は,「緑,景観」の分野では他県に先んじてきたと自負しているが,さらに環境について意識を広げるべく,特に多自然型工法についての啓発を積極的に行ってきた。我々も高知県の福留脩文氏に始まり,スイスよりハンス・ワイス氏他多くの先駆者の招聘,米国国立公園他での研修等により,その技術のみならず哲学までも吸収すべく努力してきた。
そこで最近気付いたことは,多自然型工法=河川工法であるという狭い解釈が一部に行われていることである。我々はむしろ,「多自然型工法とは,自然が自然の持つ力で自然に還ろうとするのを,人為的に少し手助けする工法である」と解釈したが,いかがであろうか。それによると河川も道路も関係ないはずであり,事例が少ない道路における多自然型工法の一例として,熊本県一の宮土木事務所で行った阿蘇の法面における自然植生復元試験をここに紹介させていただくものである。
2 一の宮土木事務所管内の自然特性
(1)阿蘇の自然
阿蘇くじゅう国立公園の中心景観は45,000㏊にも及ぶ草原であるが,これは気候など自然の制限要因で成立しているのでなく,採草・火入れ・放牧などの人為が繰り返されて森林への移行が妨げられ,人為極盛相としての草原状態が維持されているものである。この阿蘇の草原には,500種を超える植物が生育しているが,その中には日本でもこの地域だけにしか生育していない貴重な種類も多く含まれ,植物分類地理学上の重要地域として著名である。また,地学上も500~1,000m以上に及ぶ標高からくる冷涼な気候,火山性の特徴ある土壌や地形など,九州内でも非常に特徴的な環境下にある(写真ー1)。
(2)阿蘇の草原における道路法面
この特徴ある草原景観における道路法面の問題提起が,今回の主題である(写真ー2)。
自然植生の中への人為植生法面緑化は,動植物生息域の減少,白然景観との不調和,冬期凍上による法面崩壊等につながる恐れがある。また,直線切土・盛土法面は,自然景観との違和感もある。これらの事から,阿蘇には阿蘇独自の法面緑化工法があるべきと考え,美しい草原景観の保全,動植物生息域保護,維持しやすい災害に強い法面の創出,等を目的として工法開発に取り組んだ。
そのための基礎試験として,
A.表土復土による法面植生の復元試験
原野自然植生を道路法面に再生させるため,現地表土を使用することで「人為的に植栽する事なく自然の力で復元させる」試験であり,道路における多自然型工法と考える。
B.法面ラウンディング試験施工
直線切土は,原野の自然地形の中では人工感が強すぎるため,阿蘇の地形に適合するラウンディング形状の試験,開発。
の2点を実施することとした。
3 工法の原理
(1)表土保存工法
「表土」とは,土木では森林土壌で言うA層に相当すると定義され,腐植や微生物に富む,植物の生育基盤として最適な土を指す。表土保存工法は,この表土を剥ぎ取り保存し,道路・公園植栽基盤,法面土羽土等に利用する工法である。
ところで表土は,有機物だけでなく植物の種子や地下茎も豊富に含むため,適切な状態で放置すると元の植生が再生する。この自然の回復力に期待して,保存表土を元の場所に戻すことで人為的に植栽する事なく在来植生の復元緑化を行おうとするのが,今回の試験施工の主目的である。
その特長は,従前の状態に近い植生が回復すると予想されることで,自然状態の保全に最適な方法である。さらに,施工は土工のみで安価にすむ,完成後も自然状態に任せるため維持管理も省力化される,現地に適合した多様な植生の地下茎が法面の安定に寄与する,などの2次的利益も考えられる。全国に先行事例もあるが,今回は特に当事務所管内である阿蘇地域の自然条件下における確認試験として意義付けた。
(2)ラウンディング
ラウンディングは,道路法面の景観の向上,地山とのスムーズな擦り付け,法肩弱部の解消等の目的で法肩部を円弧仕上げする工法である。今回は基本形状で試験し,その結果を基に阿蘇の火山性原野の自然形状にできる限り違和感なく擦り付けるには,法面の基本設計勾配を含めどのような設計思想が望ましいかを今後検討していきたい。
4 試験施工方法
(1)試験箇所・工程・施工
今回の試験地は阿蘇北外輪山の端辺 原野(標高900m)で,植物の休眠期をねらって12月~5月にかけて施工した。施工手順を図ー1に示す。
(2)表土の確保(掘削,仮置き)
端辺原野の表土厚さは事前調査で20cm以上確認でき,既存資料からも草地表土は20~30cm程度とあったので,今回は「在来原野表土厚=30cm」と設定し,剥ぎ取り・保存を行った。
復元表土厚は,既存資料では5cm~1mまで広範囲の提案がなされているが,今回の試験は草地であり,地下茎が地山まで到達するには薄いほうがいいこと,在来原野地下茎も20~30cmの付近で発達していること,一般土工法面の表土は30cmであること等から,まず「復元表土=30cm」に設定して試験した。
5 結果および考察
(1)植生生長観察(写真ー3~5)
日時の経過による植生生長状況を写真で示す。休眠期の冬に施工し,春~夏の成長期を経て1サイクル内で,少なくとも外見上は周囲の自然と変わらないほどに復元した。生長がもっとも旺盛な夏期の状況は写真一5のとおりで,在来原野との見分けは一見難しい状態である。
写真一6の表土復元工(左)と張芝工(右)を比較するとその差は歴然で,張芝面には若干の移入植生が見られるもののほほ純粋な単一植生状態である。しかし表土復元工試験地も詳細に観察すると,在来植生の中心を成すススキの発生密度が若干低い。これは,その他の植生と比べ,ススキが大型種のため,優生するまで数年かかるものと思われる。今後の観察を待って判断したい。
(2)在来種と復元種の比較(表ー1)
埋土種子や地下茎からの発芽生育状態を客観的に把握するため,試験施工法面とその後背地草原(自然状態)との植種を比較調査した。夏~初秋にかけて咲く野草の花が多く観察できる9月上旬に同定調査したが,限られた時期・面積にもかかわらず20種近く確認できた。
表ー1によると,復元植種と自然植種に目立った差異は見られず,むしろ復元植種の種類が多い。これは付近数工区の表土を混合して使用したためと思われる。自然保護の観点からは,たとえ同一植種でも谷一つ隔てただけで遣伝子構造は異なると言われており,むやみな移動は種の混乱の問題を引き起こすので,「表土は元の場所に戻す」ことが原則になってくる。しかし実用上は,ある程度の表土の集積・混合は,量不足の解消や工区間流用による仮置き期間の短縮などに有効で,どの程度の範囲までなら同一種とみなせるのか,今後植物学の専門家の助けを借りて検討を続けたい。
(3)ラウンディング
試験箇所として通常工事現場を利用したことから,用地幅の制限でラウンディング試験は基本形状とせざるを得なかった。
「阿蘇地区地表傾斜分級調査」によると,当地の原野は1:1.5~3.0付近の頻度が高く,当試験の基本法勾配1:1.5に上半部ラウンディングの設計では,まだ直線部に人工形状が感じられる。
周辺地山の状態にもよるが基本法勾配は1:2.0からとし,さらに大きな半径で法面全体をラウンディングし地山に擦り付けると自然な感じが出せるのではなかろうか。
しかし在来設計の直線法面と比較するとその面の滑らかさは秀逸で,自然植生との組み合わせで予想以上の景観向上効果が得られた。
(4)試掘調査
生長が終了する11月に地下部の詳細な状態を把握するため法面坪掘り調査を行い,地下茎の生長状態目視確認,土壌硬度測定,試料採取・土壌分析を実施した。
① 地下茎観察
坪掘り後の目視観察の結果,1年目では在来地山までの地下茎生長を期待するのは無理であった。
写真一8のとおり,復元表土内は地下茎が旺盛に発達しているが,地山まで伸びた根はわずかである。復土後6カ月であること,表土と地山の硬度差があること等によりまだ十分に発達しきっていないようである。長大法面では地山条件はさらに悪くなるので,地下茎による物理的結合は草本ではあまり期待できないかもしれない。いずれにしろ,数年追跡調査し確認する必要がある。
② 土壌硬度
表土の硬度は山中式硬度計で14mm前後と,植栽適正値の18mmよりやや緩いが,黒ボクを機械施工でそこまで締め固めるのは困難もある。反面,在来地盤は下層土ということもあり23mm程度とやや硬いが,地下茎伸長可能範囲にはある。
③ 土壌分析
表ー2のとおり,復元表土はN,Pが若干不足しているものの,土木植栽土としての総合判定では十分な良質土と言え,表土の優良さを示した。肥料分が不足していてもこの場合補充すべきではない。あくまでも周辺と同一状態に置き自然に任せることが本工法の主目的である。
意外なのは在来下層土で,表土とほとんど同程度である。これは,今回の試験地の法長が短く掘削深が浅くて,元の表土に近かったためであろう。
(5)日射方向比較
南・北向き両試験地を設定し,日射量の違いによる発生種およびその生育の差を比較したが,表ー1のとおり有意な差は見られなかった。
考えられる理由としては,
a.法勾配1:1.5での物理的日射量比は計算上春分の頃は格差も大きいが,成長期の5~9月は南:北=1:0.80と大差ないこと。
b.試験地が原野で全く日照を遮るものがなくラウンディングも行っているため1日サイクルで見た場合南北とも十分な日射が得られること。
などによるものであろう。
ちなみに1:2.0になると日射量差はより少なくなり好ましい。4.(3)で述べたとおり在来地山との形状差も小さくなるので,盛土も含め法面は可能な限り緩勾配設計としたい。
(6)経済比較
表士復元工法と張芝工法を工費比較したところ,張芝工5,430円/m2に対し表土復元工4,030円/m2,施工は少々大変であるが土工のみで済む表土復元のほうがむしろ安価となる。
多自然型工法というと特別な材料と手間のかかる工法と見られがちであるが,表土確保は在来土を利用し,植栽は「自然が無料で」行ってくれる工法であるからむしろ安価に済む。歩掛等今後の検討課題も残るが,少なくとも張芝工とほぼ同じ工費で施工可能と思われ,現場条件を勘案し比較検討することで,一般工法として十分使用可能であろう。
(7)総合評価および感想
a.阿蘇の草原表土を用いた自然植生復元の試みは,外観および植種ともほぼ完全に回復できた。
施工単価も張芝より安価で,法面の安定も現在のところ間題なく,実用化への第一のハードルを越えることができた。
施工単価も張芝より安価で,法面の安定も現在のところ間題なく,実用化への第一のハードルを越えることができた。
b.ラウンディングは,今回は道路公団基準により設計したが,施工地の自然形状と比べまだ人工感が強く,ラウンディング半径の拡大や法面全面ラウンディング,フリーハンド設計など各種の比較試験が必要と思われる。
c.県においては,河川に比べまだ少ない道路における多自然型工法の実施例として啓発効果はあった。
d.自然の回復力の強さと多様性には驚かされた。わずか半年で施工箇所がわからなくなるくらい生長した植生と,発生した種の多さを見たとき,人為的に「自然」に近付けようとする一般工法は,逆にいかに自然と遊離しているかを知らされた。
6 今後の課題
公共道路法面で実用に供するには工法の安全性と安定性が求められる。今後,
a.自然植生に関する試験のため,冬期を含め数年に亘る観察を積み重ねる。
b.長大および急勾配法面における試験の実施。
(今回報告を省略したが,法面安定化工法も各種試験を続けており,実用化のためのキーポイントである。)
(今回報告を省略したが,法面安定化工法も各種試験を続けており,実用化のためのキーポイントである。)
c.より原野形状に近い緩勾配全面ラウンディング試験。
d.法面の,農地への返却。阿蘇の原野は人為極盛相で成立しており,周辺の農事に合わせた維持管理は必要である。原野の保全と維持管理の両面から,復元後農地として返却できると多くの面で好ましい。
e.自然保護と土木施工効率の調和を図るため,表土の移動はどの程度まで許容されるのかを検討する。
f.「一の宮土木事務所管内原野法面緑化指針」の作成。
等が,継続検討すべき課題である。
※本試験は,熊本県一の宮土木事務所法面緑化工法研究会会員による共同研究であり,那須が代表して執筆させていただいた。
平成7年度会員
那須正秀 水野重廣 星田英明 中居己年 藤崎誠也 高橋祐一