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輪廻転生

九州建設コンサルタント㈱
 代表取締役社長
光 岡  毅

1 イントロ
もう5年以上になるかな,第一復建の社長山口一弘さんとのお酒の席である本の話題が出た。そのときは特に関心をもって聞いたわけではなかったが,しばらくして書店でその本を買ってきた。本の名前は「前世療法」,PHP発行の文庫本,著者はアメリカの精神医学のワイス博士。
読むにつれ,大変興味をそそられる本で,そのとき一気に読んでしまっていた。

2 催眠療法による治療
本の中味をちょっと述べてみると,精神医学ではノイローゼなどの精神病に対して催眠療法といって催眠術により眠らせ,潜在意識を甦らせ過去の忘れていたショックな事件や悲しい事件を意識の中で顕在化して心の安定を取り戻すことで治療する方法があるそうだ。
ところで,ワイス博士がキャサリンという若い女性患者にこの方法で治療していたところ彼女の潜在意識からの話が始まったが,途方もなく古い時代の話が語られた。また,一つの話だけでなく,次々に違った時代が出てきて,語った本人は男であったり,女であったり,また高貴な人物であったり悲惨な貧民であったりする過去生の話で,その中のいくつかは,水害にのまれたり,ペストなどの病気などで苦しい死に方であった。それを根気良く聞いてやると,その患者はだんだん快方に向きその内に快活な女性に治癒していった。その話の内容のつじつまが合って本当にあった話であると確信しないわけには行かなくなった。

3 マスターと言う精霊
キャサリンの過去生の話を聞いている中で,精霊が出てきてキャサリンを通じワイス博士に霊界のことを色々話してくれる。精霊には7段階の次元があり,生前に徳を積むと生まれ変わりながらより高い段階に進むという。高い段階の精霊はマスターと呼ばれる。そのマスターともなれば生身の人間と意思疎通ができるそうである。精霊は,人間社会と行き来しながら徳を積み上げカルマを返して行くにつれて高い段階の精霊になって守護霊として人々を守り助けて行くという。

4 死から再生までの間
キャサリンの過去生において死が訪れる,そうすると霊が身体から離れ,それまでの痛みや苦痛から急に解放され,楽になる。そして,自分の体が見えるそうである。
ここで,今の体のあるうちに行わなければならないことがあるときは,再び,その体に霊が戻り生き返ることになる。ここまでは,臨死体験としてよく聞く話である。
まもなく,上方に暖かい光が見えてくる,その光からエネルギーをもらいながら引き寄せられ別の次元の世界に落ち着く。この世界を中間生と言っていたが,この世界ではマスターや他の精霊との会話が出来るとともに安らかに休息が出来るところである。
仏教では,この段階で,生前の業に応じ,行き先が地獄と極楽に分かれる。キャサリンの場合は幸いにも極楽行きの切符を持っていたのかもしれない。やがて,霊は,この世に甦る。

5 ワイス博士が輪廻転生を認める
ワイス博士は純然としたキリスト教徒で,仏教やヒンズウ教徒にはある輪廻転生といった概念をまったく信じていなかった。この治療から,博士は,輪廻転生があることを認めこれを著書にしたそうである。
もっとも,旧約聖書,新約聖書にも輪廻転生のことが書かれていたそうで,ローマ皇帝コンスタンチン大帝がBC553年の第2回宗教会議で削除させその後はキリスト教ではこの概念は異端であることになったそうである。

6 腑に落ちない話
しかし,どうも腑に落ちないことが一つある。世界の人口は,BC元年の頃は,2~4億人程度が今では62億人となっているが,人間の数=胴体の数と精神の数とその差はどうなっているのか不思議でしょうがない。魂のほうは霊界の空間に浮遊している。高度になるとその精霊は神と一体になる。そのようなわけで魂のほうは,いくら多くなっても一向にかまわない。
しかし,胴体のほうは,魂の数が不足したときどうなるのかな,どうも,人間的な情緒を持ち合わせていないように見える犯罪が時々起こっていることが報道されるが,このような犯罪者の前世は果たして人間であったのかどうか,人間の魂が不足して,獰猛な他の生物の魂が入り込んできたのではなかろうかと思えてならない。

7 仏教では
仏教を解説した別の本では,輪廻転生という概念は,原始人の信仰の中にいつのまにか起こってきたそうで,文献としては,インドで最古の「ウパニシャッド(奥義書)」に輪廻の考え方が出てきており,そこでは,人の業によって昆虫や鳥あるいは虎や蛇にも生まれ変わると言っている。そうしてみると,あながち,人から人へと輪廻すると限る必要もないのではないとも思える。
ちょっと横道にそれる。お叱りを受けるかも,あるいは,私の勉強不足かもしれないが,仏教は経典の教え通りの行動を求める教条主義であるように思える。例えば,お釈迦様が達成したというダンマを求めて修行者は自分の身体を酷使して修行を行うこと。また,信者に対し精神の欲望を抑えるところまでは良いと思うが,身体から出る欲望まで抑えることまで求めている。身体は,生まれてから死ぬまで,永いこの世だけのお付き合いである。それだからこそ大事にしてやらなければならないと思う。修行者は身体を酷使して霊を身体から離しダンマヘ到達し法悦を得るという精神の欲望を満足しなくとも,死ぬときには霊と身体は離れその目的を得るのではないだろうか。

8 輪廻転生
いずれにせよ,輪廻転生というのはあるものらしい,そうすると,心・精神・霊が一つの独立したもので,身体・胴体とは別のものであり,身体・胴体はほんの借り物に過ぎないような感じがする。現世ではこの借り物の中で徳を積み,悪事をしない,欲望を制御し人生を全うすることが次の現世では良い身体・胴体を借りることができ,次々と高度な人生が得られ,神に近くなるのである。人は生まれながら平等というが,どうもそうではではないのである,過去生で多くの徳を積んだ人は,この世に戻ったとき高い能力と高い生活が得られるといわれている。

9 人生観
私は,当時この本を,読んだとき,体がむずむずして,どうも,精神と胴体とが別々のものでという考え方に取り付かれ,何か人生観が変わったような気がしたことである。
この年になると身体のあちこちに傷みや故障が出てくる,この身体に無理な荷重をかけないで,ほころびを修繕しつつ,いたわりながら過ごさなければならないと,今では思っている。

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