河川環境の評価手法に関する基礎的研究
建設省 九州地方建設局
河川部 河川調整課長
河川部 河川調整課長
加治屋 義 信
建設省 九州地方建設局
河川部 河川調整課
河川環境係長
河川部 河川調整課
河川環境係長
西 保 幸
1 はじめに
近年,潤いのある自然豊かな河川環境の保全・再生が求められ,多自然型川づくりをはじめとする種々の取り組みが進められている。こうした背景から,平成9年に河川法が改正され,河川行政において,従来の治水・利水に加え新たに環境の視点が盛り込まれることとなった。河川環境に配慮した川づくりを行うためには,多自然型川づくりの工法・材料など技術論に加えて,河川環境の現状把握と目標設定および完成後の評価など計画論からの河川環境の評価が重要と考えられる。河川環境の評価手法については,国内外を問わず発展途上の段階であるが,基本的には流域独自の総合水管理の視点が必要とされる。
本研究は,河川環境の実状把握とその評価,ならびに川づくりに関する事業実施前後における相対的評価のための指標化,さらには環境評価に対する基本的考え方を提示することを最終目標としている。これらの課題について検討するためには多岐の専門分野にわたる横断的・学際的視野からのアプローチが必要なことから,生態・魚類・昆虫・植生・底生動物・河川行政・河川水質などの産・学・官の専門家からなるワークショップ方式により意見を集約し,その結果を踏まえて河川環境の評価手法について考察を加え,モデル河川に適用を試みたものである。
2 川づくりにおける自然の定義
河川環境の評価は,川の自然に対する現状の評価であることから,単なる評価の手法論に止まらず,川づくりの目標設定などとも密接に関係してくる。したがって,目標とする「川の自然」をどのように考えるか,すなわち川づくりにおける自然の概念を明確に定義しておく必要がある。
自然には,人間活動が及んでいない原生状態の自然,人為的影響を受けた土地が持っている潜在能力としての自然(図ー1のA),遷移過程にある自然と人間活動の中間で綱引き関係にあって安定しようとする「半自然」(図ー1のB)の3つの概念が考えられる。
原生状態の自然とは,その土地の気候・土壌条件の上に成立した遷移の極相のことである。潜在能力としての自然とは,人為的要素を取り除いた場合に現れるであろう自然の状態のことである。
ここに治水・利水など人為的要素が入った場合人間の働きかける力と自然の回復力が交互に加わり,図ー1に示すように潜在能力による極相と人為による極相(図ー1のC:自然度・遷移が全くない場合)の間の一定範囲内で,常に変動しながらも全体として動的平衡が保たれている状態となる。この状態の自然が「半自然」である。
河川環境空間の場においては常に人為的な関与が避けられないことから,本研究では,川づくりに必要な自然の概念として「半自然」の考え方を自然と定義する。
半自然の概念を高水敷の植生管理に導入したときのイメージ図を図ー2に示す。図のⅠ段階は多自然型工法などにより植生(自然度)が増す時期である。しかし,そのまま放置すれば河積阻害や粗度の上昇により,治水対策上除草(人為度)が必要となる場合が想定される。一方,人為度(除草)が強ければ,Ⅰ段階の多自然型工法による植生(自然度)の回復が無為になる。
半自然の概念を用いた植生管理とは,図ー2に示すように,望ましい半自然状態を保持するための人為度(草刈り,伐採等)を計画し実施することでもある。
図ー2に示されるⅡ段階の動的平衡状態は,人為的(治水の)要求と自然の力が折り合った半自然の状態であり,この動的平衡の位置(範囲)は河川の特性に応じて,川づくりの目標として設定されるべきものである。
3 川づくりの視点と目標
川づくりの視点については,平成7年3月河川審議会答申において,1)生物の多様な生息・生育環境の確保,2)健全な水循環の確保,3)河川と地域の関係の再構築が挙げられており,平成8年6月答申では,①流域の視点の重視,②連携の重視,③河川の多様性の重視,④情報の役割の重視が挙げられている。
河川環境は流域独自のものであり,川づくりの目標も流域・河川の特性に応じて設定されることから,本研究におけるワークショップでは,今後の川づくりの新たな視点として,上記に加えて「流域および河川の個性の重視」を追加することとした。
本研究では,河川環境から見た川づくりの目標を設定するキーワードとして,従来からの治水目的を代表させるための「川の安全度」に加えて,「川の多様性」,「川の健康度」,「河川環境システムの安定度」を提示する。
川づくりの目標は,これらのキーワードの中から流域・地域の個性に合わせて自由に組み合わせて定めるが,目標設定の際のこれらの優先順位は流域により異なる。また,組み合わせの選択過程では,“地域住民との合意形成”が重要な要素の一つとなってくる。
4 河川環境評価の目的および意義
前述した川づくりの視点と目標を踏まえると,環境評価を行う目的および意義としては次のようなものが考えられる。
(1)平成9年の河川法改正により,従来からの治水・利水に加えて新たに環境の視点が加わったことから,環境評価を実施することは必要不可欠である。また,川づくりの目標における多様性の維持および河川法改正に伴う地域住民との合意形成を踏まえた今後の行政システムを考慮すると,河川環境評価は流域・河川独自の視点と価値観に立った自己評価の色彩が強くなる。
(2)河川の環境モニタリングとは,“自然システムとしての河川を知るためのもの”であり,モニタリング結果は技術論にフィードバックあるいは計画論へのフィードフォワードがなされるべきものである。人為的関与(治水施策等)が計画されるか,あるいは実施される場合には,その影響を事前・事後を問わず把握しておくことが必要となる。このことを環境評価の目標とする。
(3)河川の環境評価は,川づくりの目標,例えば生物,景観,水質などの目標に対して期待した効果が現れているか,あるいはその効果が長期的に維持されているかを流域・河川独自に自己評価,かつ公表し,今後の川づくりに反映させるために行うものである。
5 評価手法ならびに計画に用いる指標
(1)評価手法
環境の評価手法としては,国内では指標生物,河川形態,ハビタット等による評価がおこなわれている。また,アメリカでは流量管理を目的としたIFIMや経済的に評価するCVMなどが開発され,オランダではスコアカード,アムーバ表示,モンドリアン表示といった手法が開発されている。いずれにしても,環境評価については国内外を問わず発展途上の段階のものが多い。
本研究では,①流域の個性と河川環境の多様性を総合的に評価し得る多くの価値軸を持ち,かつそれを直感的・総合的に捉えられること,②地域住民との合意形成を踏まえ一般市民にも分かりやすい手法であること,③「河川水辺の国勢調査」データなど既存のデータを補完用として有効に活用でき,問題分析から政策分析を経て環境目標や分析結果の公表と公聴までのプロセス,すなわち総合水管理の枠組みで実施される必要があることを考慮して,総合水管理の先進国であるオランダで実施された「アムーバ」表示を基本とすることとした。
この方法は,オランダの水管理に関する政策分析・評価を行うことを目的として実施されたPAWN(Policy Analisis of Warter Management for The Netherlands)研究において,主に生態学的観点から環境評価を行うことを目的として開発されたものである。
図ー3はその一例(生物学的アムーバ)であり,過去のある時点(環境目標に近い自然状態)の指標生物の数を単位円として現況値を示している。
ワークショップでは,このアムーバ表示の特徴に加えて,後述するように(図ー4参照)問題分析から目標設定を経て評価結果に至るプロセスを表示するすることが重要であるとの結論を得た。よって,オランダで開発されたアムーバ表示の概念を拡張して新たな表示手法を作成することとした。この手法は,現状を示すだけでなく,中・長期的な目標値(環境目標)を同時に示すことも可能である。
(2)評価軸と評価指標
流域の個性と川の多様性を総合的に評価するためには,できるだけ多くの評価軸とそれを構成する多様な評価指標を持つ必要がある。ワークショップにより得られた評価軸と評価指標のメニュー一覧を表ー1に示す。
河川環境を評価するに当たっては,まず流域・河川の過去から現状さらには将来の方向性まで視野に入れた問題分析がなされなければならない。その結果を踏まえて,目標とする河川環境像を設定することが可能となる。次に,問題の特性あるいは将来の目標に関与すると思われる評価軸と指標を適宜選択し,これらをアムーバの円周上に配置し,評価軸上の各指標データの尺度を半径方向に定めることになる。ここで単位円は各指標の目標値である。
なお,表ー1は評価軸と評価指標のメニューでこれら以外にも対象河川の特性から必要とされる固有の指標があれば,適宜加えることも可能である。
(3)環境評価のプロセス
環境問題は,一般的に様々な問題が複合化したものであり,個別の問題に分離して議論し難いところに特徴がある。したがって,河川環境の評価においても多岐の専門分野にわたる総合的な視点が必要となり,かつ流域の歴史・文化などを踏まえた独自の価値観にもとづく視点も重要となる。また,今後は地域住民との合意形成が重要になることから,評価のプロセスには結果の公表と意見聴取が盛り込まれなければならない。さらに,評価結果は問題分析にフィードバックあるいは目標設定にフィードフォワードさせて,今後の川づくりに反映させる必要がある。これらの一連の流れは,図ー4のフローチャートに示すようなものになると考えられる。
6 モデル河川における河川環境評価
(1)モデル河川T川の概要
T川は図ー5に示すように北部九州を流れA海に注ぐ幹川流路延長150km,流域面積2,900㎢の河川である。上流部では林業,中流部は農業が盛んであり,下流部では農業,食品加工業,木工業などが多く,河口部付近ではノリをはじめとする水産業が主体である。また,中・下流部では古くから内水面漁業が発達しており,流域内人口は110万人である。
(2)評価区間の設定
T川の中・下流部を図ー5に示すように評価区間A~Cの3ブロックに分ける。評価区間Aは中流部で周辺は田園地帯である。評価区間Bは下流部で周辺にはK市・T市を中心とする都市域がある。
評価区間Cは河口堰から下流の感潮区間である。
(3)問題分析結果と川づくりの目標
T川の流域・河川特性の現状ならびに過去の経緯から問題分析を行い(図ー4参照),その結果を踏まえて今後の川づくりの目標として考えられる事項を整理すると次のとおりである。なお,ここでは評価区間Cを代表区間として選定する。
① 川の安全度
治水安全度および河川整備率から見た「川の安全度」は,計画規模(1/150)の流下能力を目標とすれば,本川においては約70%の区間で達成されている。ただし,支川の整備率は低く内水による浸水被害が近年でも生じている。
一方,利水安全度は計画規模の1/10に対して1/2とかなり低い水準であり.近年渇水被害が頻発している。
② 川の多様性
生物から見た川の多様性については,過去に確認された種の総数を目標として現状を評価すると,過去10ヵ年程度では大きな変化は見られないが,漁獲量等は往年に比べて減少傾向にある。また,コンクリート護岸の整備が進み,公園・ゴルフ場などの利用箇所も多いことから,芝などの単調な植生の占める割合が多くなっている。
③ 川の健康度
現在,水質環境基準は達成されているが,経年的に見ると,水生生物を用いた汚濁度は昭和50年代に貧腐水性からβー中腐水性に汚濁が進み,現在も回復していない。さらに都市河川からの汚濁負荷の流入もあることから,今後も水質は徐々に悪化することが考えられる。
④ 河川環境システムの安定度
ヒアリング調査等によれば,伝統行事や祭り,歴史的施設などは比較的よく維持されており,イベント等も活発であることから社会システム・文化遺産から見れば現状では特に問題はないと判断される。一方,河川利用の面からは,高水敷の空間利用は活発であり施設の整備も進んでいるが,親水活動に対する要望も強い。
(4)アムーバによる評価結果の表示
① アムーバの表示方法
今回T川で用いたものは,生物系データについてはオランダのPAWNのアムーバ図を応用し,その他については表ー1に示した評価指標メニューの中からT川の問題の特性と将来の目標に関与する指標を選択して配置することにより,従来のアムーバの概念を拡張したものである。このことにより,河川環境全体の実態把握とその評価を可能とし,さらには川づくりの目標までを同時に示すことができるものとした。
従来のアムーバとの主な違いは次のとおりである。
a 円周を川づくりの目標である4つのキーワードに大きく区切り,その中に個々の目標の評価軸を配置した。このことにより,最終的に描かれるアムーバの形は,川づくりの目標の方向性を大まかではあるが視覚的かつ直感的に示し得ることが特徴である。
b 4つのキーワードには,現状分析の結果から重みを持たせ,重みに比例した円周の分割を行った。これにより,対象河川の目標の重要度までをアムーバの面積として直感的に把握できる。
c さらに評価軸にも重みを持たせ,目標に対してどのような施策・方策が厘要であるかを評価軸単位で読みとれるようにした。
② 評価結果
以上の方法により作成したアムーバ図を図ー6に示す。外周の単位円は各指標の目標値であり,アムーバの形が達成度を表している。目標,評価軸と指標の重み付け,評価尺度などについてはワークショップにおける専門家の間での繰り返しの試行を経て収束させることにより定めたものである。
図ー6からT川の環境の全体像(イメージ)を直感的につかむことができる。さらに今後の目標として,a「川の安全度」確保のためには支川の治水整備と低水流量管理が急務であること,b汚濁負荷の流入が多いので,今後は水質即ち「川の健康度」が重要な課題となること,c「川の多様性」は概ね良好であり今後もこれを保全する必要があること,d漁業・遊漁活動が活発で高水敷を利用したイベント・親水活動のニーズもあることなどが重要であることが分かる。
このように,河川環境の現状と将来像を,アムーバ図の形で提示(公表)することは,その河川の今後の方向性を議論するための有効なツールとしても期待される。さらに,経年的なアムーバの変化を比較・分析することにより,川づくりの実施による効果(あるいは影響)の相対的評価も可能となる。
7 まとめ
環境評価のもつ意義としては,①河川環境の実態を総合的に把握することにより川づくりの目標設定が可能となり,実施前後の相対評価により今後の川づくりへの反映ができること,②流域・河川独自の視点から自己評価を行うことにより全国一律評価もしくは他河川との総合評価による没個性化を防ぎ,川の個性および川づくりの多様性が期待されること,③地域住民に対して分かりやすい形で川づくりの目標およびその達成度(効果)の公表が可能となることなどが挙げられる。
8 おわりに
本研究は九州地建河川技術委員会環境評価部会で検討された成果である。本部会の主なメンバーは,古賀憲一佐賀大学教授(部会長),今江正知熊本工業大学教授,木村清朗元九州大学教授,平野克己宮崎大学教授,坂梨仁彦熊本県参事,豊崎貞治東京建設コンサルタント九州支店技術第一部長代理,福山博親同課長代理の各氏である。
各氏の熱心な姿勢に敬意を表するとともに有為な成果が得られたことに心から感謝申し上げる。