松浦川アザメの瀬自然再生
国土交通省 九州地方整備局
武雄河川事務所 建設専門官
武雄河川事務所 建設専門官
泊 耕一
1 はじめに
松浦川流域では、これまでの水田開発や、河川改修により流域の氾濫原的湿地が、減少している。氾濫原の代償をしていたと考えられる水田も近年のほ場整備の影響によりその機能を果たさなくなっている。また、洪水から地域を守るための河川改修により川との連続性が失われ、大人やこどもたちがふれあえる水環境も減少してきている。
松浦川では、アザメの瀬地区においてこれまで失われた自然の再生を図る。アザメの瀬自然再生事業では、当初計画を元に段階的な施工を、また、工事期間中でもモニタリング調査を行っている。今回、当初計画、計画の更新と、モニタリング調査の途中結果について報告する。
2 アザメの瀬地区の概要
松浦川は、佐賀県北部に位置し、杵島郡黒髪山系を源に、山間部の狭い田園地帯を縫って途中の支川と合流しながら北流し、唐津市において玄界灘に注ぐ河川である。全長は約47km、流域面積は446km2と、佐賀県の面積の約1/5を占めている。上流地域は、山間部の狭い田園のため、氾濫域は小さいが、未改修のために毎年から5年に1度くらいの頻度で洪水に見舞われている。
アザメの瀬地区は、松浦川中流部で、河口から15.8kmに位置し、これまでたびたび洪水に悩まされ、河川改修が必要であった。また、洪水に悩まされていた上流部の河川改修を進めるためにもこの地区の改修が必要であった。川幅を広くし堤防を築くと、この地区の水田は、ほとんど河川用地となり、なくなってしまう。水田を買収し、堤防を築くのをやめて、この場所全体を洪水が流れてもよい氾濫原とした。
3 自然再生の目標
水田などの湿地は、昔は、堤防の高さが低く、川と連続的につながり、生物にとって非常に住みよい環境であった。洪水時には、河川水があふれ、生物の避難場所や攪乱を受ける場所にもなっていた。こうした水田は、多様な生物にとってよい生息環境であった。それが、河川改修やほ場整備などによって堤防で締め切られ、水田や湿地などの氾濫原と川との連続は失われ、非常に安定した環境になった。
アザメの瀬自然再生は、この氾濫原を利用してこれまで失われてきた自然の再生を図る。目標は、以下の2点である。
3.1 河川の氾濫原的湿地の自然再生
松浦川水系では、拠点的に氾濫原的湿地を再生することによって、氾濫原に依存する生物の回復を図り、その効果を検証する。その拠点のひとつとしてアザメの瀬地区で氾濫原的湿地を再生し、昔の松浦川でよく見かけられたドジョウ・フナ・ナマズなど水田や河川に棲む魚類や植物が生育・生息する場の再生をめざす。
3.2 人と生物のふれあいの再生
松浦川では、3月から4月の春出水時にイダと呼ばれるウグイが産卵のため上流に遡上してくる。夏には、アユやカワエビが川面をにぎわしている。昔は地元の方々が魚やエビを捕って食べていたようである。地域住民、行政等が参加した検討会のなかで、普段から生物とふれあえる場所にすべきとか、大人から子どもまで生き物の学習ができる場所にしたらといった意見が多くだされた。そこで、目標の2つ目は、人と生き物がふれあえる場の再生をめざす。
4 アザメの瀬自然再生事業計画の概要
計画の概要は、アザメの瀬地区の大部分の地盤を掘り下げ、普段でもジメジメした湿地をつくり、そこに多様な生物が生息するような氾濫原的湿地をつくることである。湿地は、下流部に松浦川と連続性を持たせるための開口部を設け、湿地の地盤高は、松浦川の平常時の水位と同じT.P2.0mを基盤面とし、クリークの河岸高は、春から夏にかけての出水期に本川からの氾濫水が侵入できるT.P3.5mとする。湿地には、クリークやワンド、たまりを作り、上流部にはクリークと連続性を持った棚田式の水田をつくる。クリークは上流のため池から供給し、本川につなげる。クリークの河床の高さは、T.P2.5mよりも低くし、本川から水が入りやすくする。また、本川とアザメの瀬の境界の旧堤防沿いには、土砂供給軽減対策として河畔林を整備する。これにより、平水時には湿地的な環境を保ち、出水時には、流水が侵入できる環境が整えられるので、コイ・フナ・ドジョウなどの魚類のハビタットあるいは、春出水に伴う氾濫原での産卵場や、湿地的環境を好む植物の生育地となることを想定している。施工は、湧水や地下水、流水の侵入状況を見ながら段階的に行う。また、維持管理や調査・研究、環境学習などの地域の拠点として活用できるよう「松浦川アザメの瀬自然環境学習センター」を建設する。
図-5にアザメの瀬地区の計画概要平面を、図-6に完成イメージを示す。計画は、地質調査結果を参考に、検討会で議論を行い策定した。
5 アザメの瀬における住民参加と合意 形成
アザメの瀬自然再生事業では、徹底した住民参加により計画立案・実施を行っており月に1回の割合で検討会を行っている。メンバーは、非固定で自由参加としており、地元の自治会・アザメの会・学校の先生・関係行政機関が参加している。平成13年11月から始まり、これまでに検討会を65回、このほかに、勉強会やイベントも随時実施している。進め方の特徴としては、①自由参加である、②繰り返し話し合う(一度決まったことも、知識の蓄積や状況の変化に応じて再度話し合う)、③検討会の進め方をはじめ、何でも話し合う、④学識者を検討会のメンバーでなく、アドバイザー(河川工学・魚類など最新の正確な知識を伝える)として、位置づける、などである。検討会メンバーが非固定であるため、日程によっては参加できない方もあるため、広報誌「アザメ新聞」を作成し、地元の方々に配付している。
このような検討会なので、1回の会合で決まることはわずかである。議論は常に流動的に変化するが、参加者の事業に対する関心や興味、かかわり方、参加者の信頼関係は、高まっている。平成14年12月には、地元にアザメの瀬自然再生事業をサポートする住民組織「アザメの会」が立ち上がり、こどもたちを対象にした現地見学会・魚捕りなどのイベントを開催している。また、「アザメの会」は、平成17年10月にはNPO化され、松浦川アザメの瀬環境学習センターや棚田の管理を行っている。
6 工事期間中の生物調査と中間分析
平成15年から段階的に工事を行っている。アザメの瀬では、本川との開口部から水が入ってくる。春先や梅雨時の出水で、年に10回程度は、一面冠水する。工事を行いながら魚類や植物調査もおこなっている。
6.1 工事期間中の生物調査
平成15年に、クリークと平成16年3月に下池を創出した。6月下旬の出水時に魚類と、産卵の場の調査をおこなった。魚類調査は、タモ網・刺し網と投網で、産卵調査は、定置網と柴漬けでおこなった。クリークのなかでは、コイ、フナ、ナマズなどを確認した。クリーク下流では、フナ属の一種を、クリーク上流や下池ではオイカワを確認した。産卵調査では、柴や定置網に卵の付着を確認した。いずれの地点でもフナやナマズの産卵が数千個単位で確認した。クリークを創出してから1年目で、稚仔魚の生息や産卵場所として機能していることがわかった。
平成16年秋に植物調査をおこなった。地盤を掘り下げた1年後の状況を図-12に示す。クリークの中には、チクゴスズメノヒエ、オオカナダモ、キシュウスズメノヒエが、乾燥した陸域には、アメリカセンダングサ、イヌビエ、セイタカアワダチソウを確認した。1年で水域・陸域ともに広範囲に外来植物が繁茂している。水際には、アゼナ、イボクサ、エビモ、コナギなど在来の湿性植物を確認した。出水期には、ヤナギの枝が、本川上流から開口部を通じ流下し、裸地化されたアザメの瀬のクリークや下池の周辺の一部で付着し、萌芽しているのを確認した。
6.2 中間分析
平成14~15年の当初計画に対し、概ね2年半がすぎ、事業途中で条件が変化していく中で、データが少なく定量的な分析ができていない中で、現在の状況、計画内容、取り組みなどについて分析を行い、当初計画を修正したり、補足したり順応的に対応することにした。中間分析は、課題の抽出と対応を考えるだけでなく、これまでの計画や取り組みについて効果的であったことも整理した。効果的であったことは、①国の治水対策で買収した土地であったため、自由に掘削し、土地の改変ができた。②徹底した住民参加により、使命感や参加意欲が増した。③身近な目標でありだれもが参加しやすい。等といったことがあげられる。課題としては、①地盤が少し高く、非常に明るいオープンな環境のため、地盤の乾燥化と外来種など陸生の植物が繁茂している。②松浦川でのアザメの瀬の位置づけ、および全体としての氾濫源的湿地の再生の考え方。③自然の変遷は時間スケールが長いので、地域住民や行政の継続できる体制をどのようにしていくのか、ということがあげられる。
7 計画更新
工事期間中の魚類や植物調査結果と、中間分析結果を基に上池・観察池・棚田などの工事着手前に計画を更新した。
アザメの瀬では、水質や土壌の栄養塩の状況、気候などを勘案し、貧栄養の湿地が広がることは地形条件等により難しいと考えられる。このため、池やクリーク、たまりなど水域を中心とし、その周辺の浅くなだらかなところに湿地が存在し、また、ヤナギなどの高木がそれを囲むイメージとして仮説をたて、広大な湿地が広がるというよりも、むしろ水域のネットワークの中にヤナギなどの高木と湿地が存在し、洪水の攪乱を受けるようなイメージで計画を変更した。基本的な形は、池と周辺湿地の面積拡大、地盤高の低下、ヤナギなどの植樹など施工上の最終的な形を決めた。管理方針では、人為の影響を上流から下流へ減少させることにした。人為的な管理をおこなっていく上池のリファレンスとして人為影響の少ない下池とした。順応的な管理に向けモニタリング計画も策定した。
7.1 更新計画
掘削後の基本的な形は、①池とその周辺の湿地面積を拡大し、陸域の外来植物を抑制するため、池の勾配を緩くし、市道側ののり面の勾配を大きくする。②クリーク周辺の地盤が高く乾燥化しているので、比高毎の植生分布状況を勘案し、クリークの河岸をT.P3.0mまで下げる。③日影を作り、水温上昇や外来植物の繁茂を抑制するため、市道側ののり面、クリークや池周辺にヤナギの植樹をおこなう。エコロジカルネットワークの確保として棚田や観察池とクリークの間に木製の魚道を設置する。管理段階でおいても環境学習など人為的影響を考慮し、学習センター側の上流から本川開口部の下流に向け徐々に人為的影響をなくしていく。
7.2 モニタリング調査計画
アザメの瀬の目標は、氾濫原的湿地の再生である。氾濫原的湿地として求められる機能は、①魚類の産卵の場、②出水時における魚類の避難の場、③湿地性植物が魚類や底生動物の生息基盤の場、④湿地性植物の良好な生息場、⑤多様な種が生育・生息する豊かな生態系の場を考えている。松浦川には氾濫原的湿地がなく、本川流水部とアザメの瀬の止水部の違いなど本川環境と氾濫原の環境の違いが比較できるようなモニタリング行う。
8 モニタリング調査結果
下池・クリークの部分的な見直し工事や、上池・観察池・棚田等の創出工事を平成18年3月までに行い、4月からモニタリング調査をおこなっている。工事期間中の調査結果と併せて報告する。
8.1 植 物
トータルで確認された植物確認種は、工事着手前の平成14年には約110種を、クリーク・下池造成後の平成16年には約130種を確認した。平成18年は、クリーク・下池の部分的な工事や上池・観察池を造った後であるが、平成16年と同じような種類数を確認した。工事前後の植物総数の変化はないようである。
アザメの瀬と本川との植物種を比較するため、アザメの瀬(15k800)の対照区として休耕田(アザメの瀬環境学習センターとため池の間の放棄水田)(16k堤内地)、本川下流の上久保橋(13k600)の2箇所で調査をおこなった。アザメの瀬では、全体で129種を、外来種は約34種を確認した。外来種の割合は26%ほどである。アザメの瀬では、休耕田、本川の上久保橋に比べ湿地性植物が多く、多様な種の生育場所になっているが、反面、外来種の割合も高くなっている。アザメの瀬は、ほとんどが乾燥している土地で、しかも日陰等がないことからこのような結果になっていると考えられる。下池は平成16年に、上池は平成18年に造った。下池では、水際にクロモが、前面にキシュウスズメノヒエが密生している。上池の水際部はヤナギタデが生え、ところどころに裸地も見られる。造成2年程度の差でこのような違いがみられる。
当初アザメの瀬では、陸域の乾燥化が進み、乾燥した比高の高い箇所で、セイタカアワダチソウやオオクサキビなどの荒地性外来種が繁茂した。また、沈水植物や抽水植物が繁茂する水域から陸域への遷移帯が乏しい状況であった。遷移帯の確保、また乾燥域の減少を目指し、池の水際をなだらかに、クリークの川岸を掘削し低くする工事を行った。工事前後の外来植物と湿地性植物を比較すると、上池の出現により外来植物の面積がかなり縮小し、水際には、ミゾソバ、ヤナギダテといった湿地性植物が増加した。下池の道路側の植物の横断分布は、工事前は水際部から市道までの法面のほとんどが、セイタカアワダチソウなどの荒地性外来植物であったが、工事後は、クロモやヤナギダテといった在来種が生えてきた。クリークと池の間も地盤を切り下げると、工事前に見られたイヌビエ、セイタカアワダチソウなど荒地性外来植物がなくなり、ミゾソバ、ギシギシなどの湿地性植物が見られるようになってきた。このように現時点では良好な環境になっているようである。計画更新後、1年目で工事による効果を確認したところである。
8.2 魚 類
平成18年7月から11月までのアザメの瀬の中の水位変動を図-23に示す。普段からクリークの下流は、本川のバックの影響を受けており、春先の出水で水位が約4メートルになると、一面冠水する。平成18年は、7月20日、8月20日、9月16日と3回の大きな出水があった。特に、9月16日は、学習センター以外は、全部水没する大出水であった。調査は、稚魚や成魚の生息の場としての機能および出水時における魚類の待避場所としての機能を把握するため、7月20日の出水期に産卵調査を、それ以降、1カ月置きに魚類調査をおこなった。
下池の水源は山側の沢水があるが、上池はない。両池とも、出水時や降雨時に水が湛水し、クリーク側に排水路がある。魚は出水時に本川から侵入して生息している。7月から10月まで4回調査したところ、両池で22種類を確認した。両池の8月調査の結果をみると、上池は10種72個体を、下池は10種61個体を確認した。両池ともゲンゴロウブナを多く確認した。上池は、調査の度種の構成や捕獲個体数が変化していることから出水で魚類が入れ替わるようである。
クリークは、松浦川本川と棚田、休耕田、ため池をつなぐ水路である。クリーク下流は、本川の水位変動の影響を直接受け、クリーク上流は本川の水位変動も受けるが、とんぼ池や棚田からの流入があり、流れに変化がある。また、エコロジカルネットワークとして、クリークと観察池あるいは棚田とは階段式の木製の魚道で結んでいる。クリークでは、4回の魚類調査で24種を確認した。オイカワ、ゼゼラ、モツゴ、イトモロコが主体で、確認種は上・下流共に類似している。個体数は、下流の方が非常に多いようである。クリークでは、体長が小さい未成魚の占める割合が大きく、遊泳力の小さい未成魚は本川から侵入し、生息し、体長が5cm程度まで生息し、その後、本川に戻っていくと考えられる。魚類相や確認個体数が変化しているので、出水で湛水する度に魚類の移動も行われているようである。
8.3 産卵調査
アザメの瀬が魚類の産卵場として機能しているかどうかを確認するため調査を行った。出水時の産卵調査は、クリーク・上池・下池に人口産卵床として柴漬けを設置し調査した。卵は、クリーク内の柴のみに産み付けており、魚卵をふ化させ、同定を行ったところフナ属の一種を確認した。卵の数は、下流の方が上流より多く確認した。これまでの調査でも同様の結果が現れており、出水時に産卵場として利用しているようである。
8.4 底生動物
アザメの瀬が、多様な種が生息する豊かな生態系の場として機能しているかどうかを、底生動物を指標として調査を行った。調査の範囲は、生息している可能性がありそうなアザメの瀬の水域全域とした。クリークを創出した平成15年と、工事がほぼ終わった後の平成18年に調査した。両年ともハエ目、トンボ目、カメムシ目が優先する傾向は変わらず、底生動物は変化していないようである。
8.5 トンボ類
トンボ類を着目種とした湿地性環境をについて調査を行った。平成15年にも調査を行っている。平成18年は、15年に比べ、セスジイトトンボ、カワトンボなど9種を新たに確認した。そのうち8種は、池・沼や湿地等止水環境を主な生息場とするトンボ類であり、15年に比べ止水性のトンボ類の生息に適した上池やトンボ池等の水面が出現したことが種類数の増加につながっているようである。
9 おわりに
リファレンスがなく、データや知見が不足している状況の中で自然再生を行うには難しい。松浦川では、湿地環境に関するデータや知見は不足しており、工事中でも調査を行い、データの蓄積を図った。今回は、蓄積したデータにより、当初計画の検証を行い、不確実性を補いながら改善を図り、計画を更新した。また、工事期間中と本格的なモニタリングを始めて1年目の調査結果についても報告した。自然再生事業は、自然の変化の時間スケールが長く、長期的な視点で自然環境を見ていくことが重要であるので、今後も継続して調査を行い、データを蓄積し、分析を行い、順応的に対応していく必要がある。