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東日本大震災における
TEC-FORCE道路被災状況調査班の活動について
古木慎一

キーワード:東日本大震災、TEC-FORCE(テックフォース)、被災状況調査

1.はじめに

東日本大震災の発生後、直ちに国土交通省の各地方整備局は緊急災害対策派遣隊TEC-FORCE(以下、TF)を東北地方整備局(以下、東北整備局)に派遣し、被災状況の把握、通信回線確保、排水活動など早期復旧にむけた活動を行った。TFは様々な機能の班があり、今回の派遣で私が担当した被災状況調査班は、現地状況の把握と報告を速やかに行うことで初期の復旧に寄与するものである。
本稿は、派遣中に強く印象に残っているものを時系列・平易にまとめたものである。調査と直接関わりない部分もあるが、非常時での活動状況を把握していただくために必要と思い記述している。

2.出動 3月12日(土)

大津波発生の翌朝、被災状況調査班として派遣決定の知らせが入り、急いで事務所に向かい個人装備をまとめ全線開業の新幹線に乗り込む。
13時、九州地方整備局応援対策本部(以下、九州本部)に各事務所から派遣隊員が集合し、状況説明、装備点検、命令書交付を受ける。編成は隊長、総務班2名、運転手4名、被災状況調査班(河川A,B、道路A,B)16名の計23名。私は道路A班の班長となっていた。
私はTF創設以前の中越沖地震(H19)で派遣の経験があり、今回大きく違うのは編成に隊長、総務班が入っていることだ。中越沖では被災地の北陸地方整備局の指揮下に延べ50班の各整備局派遣班が入り、被災整備局は各班の作業状況の把握、指示伝達や宿泊、食事、OA機器、事務用品の準備、勤務証明書の発行等々の業務を担った。また派遣班班長は被災整備局との連絡調整、派遣元整備局へ状況報告や日報作成があるなど、被災整備局、派遣班双方に煩雑な業務があったが、TFの派遣編成ではその多くが解消されることとなった。
15時30分人員、装備、非常食などを満載した待機支援車とマイクロバスで郡山国道事務所に向けて出発、1,350㎞余りの移動となる。

3.移動 3月13日(日)

移動中は隊長や総務班が九州本部と連絡を取り、休憩時に指示や情報を伝達(写真-1)する。

途中、新潟県上越市で九州本部手配の現地活動用のレンタカーを調達。被災地から相当離れていてもバン・ワゴン類の確保が困難のようで、1300CCのセダンとコンパクトカーをやっと4台揃えた模様。それらを上越署で緊急車両の登録手続きを行う。九州本部と総務班の連携で日曜日にもかかわらず順調に手続きが済む。北陸道から関越道を使い郡山国道事務所に到着したのは20時40分、出発から29時間経っていた。
郡山では東北整備局からの指示、重要情報を受けるようになっている。九州道路班は福島県いわき市沿岸の国道6号を担当するが、先ず東北整備局で詳細説明を受けるという指示と、高速道上での給油が可能な箇所など重要情報を得る。また遅い時間だが駐車場を借り、翌日からの活動のためレンタカーへの機材積込みを行う。満載してきた荷物の中から、各班長が必要な機材を選定する。
時間はかかるが機材の確認は、現場で困らないための重要な準備であり、中越沖で行った経験から、班長自ら行うべきと私は考える。会津若松のホテルに到着したのは14日1時だった。

4.現地調査1日目 3月14日(月)

給油場所を確認しつつ東北整備局に10時到着。隊長と総務班は、東北整備局で災害対策本部(以下、東北本部)との連絡調整を行い、各班に指示・情報伝達及び活動状況など九州本部と情報共有し今後の展開に備える。午後になって、九州道路班は宮城県南三陸町の国道45号の被災状況調査に変更と指示がある。A班は旧志津川町内の戸倉~志津川の約7㎞を担当する。
説明によると東北整備局では、捜索・復旧等のための動線確保を早期に行う「くしの歯」作戦という道路啓開を展開中。ステップ1は内陸縦軸の東北道・国道4号の通行確保、ステップ2は東北道・国道4号から被災沿岸部を結ぶ横軸の通行確保(くしの歯)を行い消防、自衛隊などの展開を容易にする。ステップ3は沿岸部の動線国道45号を結び本格復旧を円滑にする(図-1)。

私たちが担当する調査はステップ3のためのもので、①沿岸部の国道45号までの進入路の状況。②橋梁状況を含めた通行の可否。③通行不能区間の応急復旧の検討などを取りまとめ3月17日に報告。またM7クラスの余震が想定されているので安全確保を行うなどの指示を受ける。資料として位置図や被災橋梁の空撮写真(仙台空港被災直前に離陸した東北整備局防災ヘリ「みちのく」撮影、写真-2)の提供がある。東北本部はA班担当区間の2つの橋梁の被災を認識しているが、仮復旧が可能か否かを判断するため現地調査を必要としていた。

指示内容は明快だった。九州も東北も直轄国道での初動は同じ、災害時に通常行う一次点検と通行不能箇所は現地状況に応じた仮復旧案を出すということだ。未経験なのは見ず知らずの土地と津波被害だけである。
くしの歯作戦で緊急車両の通行が確保されているということなので、移動ルートは主に自動車専用道路を使うことにした。三陸自動車道も多少凹凸はあるが応急補修が済んでいたため、ほぼナビどおりの時間で移動となる。
国道45号で南三陸町戸倉に向かう途中、家並みが突然ガレキに変わる。海岸から2㎞以上離れた地点だった。道路啓開による通行可能幅員を測りながら、16時南三陸町戸倉に到着する。広がる光景は想像を遙かに超えていた(写真-3)。
調査に入ると、自動車などでの住民の方々の往来が思いのほかあり、通行を妨げないよう注意しながら進める。意外なことに戸倉での国道45号の被災は、情報BOX、ガードレールなどが主で路面流出は一部見られるが通行不能まではなかった(写真-4)。地形で壊れ方が違うようで、交差する国道398号は路体と橋桁が完全に無くなっていた。

志津川に入るとガレキの山が広がっており、乗り越えながら水尻橋に向う。水尻橋は古い橋梁で2車線、3スパン橋長34mのうち、上り線のメタル桁1スパンが流出(写真-5)。A1橋台背面盛土部約40mが港湾埋め立て地とともに流出(写真-6)していた。橋梁部の下部工は健全、上部工は下り1車線が使用可能と判断、橋台背面盛土部は干潮区間で潮間作業が必要と判り復旧作業のネックになると考える。
日没のため調査を終え、車に戻ると退避方向ではなく海に向けて駐車していた。指示ミスがあったことを班員に説明し、被災地では待避方向に向け駐車するよう改めて指示し帰路につく。

5.現地調査2日目 3月15日(火)

残りの区間を全て調査するつもりでホテルを出発したが、出発早々福島第一原発3号機建屋爆発があり、現地調査を一時中止し東北整備局で待機となる。他の整備局班に比べ調査が遅れており、少しでも遅れを取り戻すべく写真整理、作図などの内業を進める。午後、原発30㎞圏外は活動制限なしの発表を受け現地調査に出発。
小雨模様の志津川中心部に入ったのは16時頃。一面のガレキに圧倒されるが、徒歩調査を担当区間2橋目の汐見橋から行う。ガレキに埋もれ損傷があるように見えたが、外観調査でPC桁、下部工とも異常なく高欄損傷のみであった。
汐見橋から残りの担当区間を望むと路面には厚さ1~2mでガレキが堆積し、復旧作業の検討ではガレキの撤去量把握が特に重要と判断する。限られた時間での調査のため、効率と精度を考慮しガレキ撤去の対象延長は歩測を基本、短辺の高さ・幅はボリュームへの影響が大きいためポール等で計測することにした(写真-7)。

6.内業、成果報告 3月16日(水)

午前中、成果の取りまとめを行う。派遣先で提出する資料は、後日誰が見ても理解できる内容で作成する必要がある。成果を使う時点で「私たちはいない」ことを十分認識し、提出資料に不足、誤記、難解な記述が無いか確認を行う。
午後の成果報告では、先ず東北整備局職員が各班から国道45号の仮復旧の可否、迂回路などを尋ね全体状況を把握、次に各班毎に編成されたコンサルタント班に詳細説明を行った。作成した資料で一通り説明し、南三陸町で最大の課題はガレキ撤去、重要事項として水尻橋のA1橋台背面盛土は潮間作業となること、国道398号の流出状況など周辺状況などを伝え報告を終える(写真-8)。

7.おわりに

私は3月17日帰還後、3月22日リエゾンとして釜石市に再び派遣される。このリエゾン活動の中で、「くしの歯」作戦は東北の地形・交通網に応じた動線確保を早期に行い、被災地の人・物の動きを支えていることを実感する。また、作戦展開に重要な国道45号の沿岸部約300㎞の調査を、各整備局TF19班は日頃の仕事力を活かし速やかに行いTF第一陣の使命を果たしていると改めて思った。
最後に東北整備局HPによると、水尻橋は現地状況に応じた作業方法を検討した結果、自衛隊の応急組立橋で速やかな開通を目指したとある。時間がかかる潮間作業を避けたのかは不明だが、被災直後より自衛隊をはじめ関係機関と連携し、復旧活動を行った東北整備局の柔軟な対応が見られることを紹介し本稿を終わりたい。

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