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変革の時を迎えて
(社)日本土木工業協会 九州支部長 増永修平

父が熊本の建設会社で土木技師をしており、6・26水害後の白川の河川改修現場に単身赴任している時に、垂玉温泉近くの現場宿舎で豚汁を食べたこと、それが建設業と私をつなぐ最初の記憶です。その後、父の後を継ぐという程の思いではありませんが、結果として土木技術者を志す事となりました。会社入社後、最初の赴任先が奥州上杉藩の米沢市であり、そこでロックフィルダム工事に従事しました。九州弁から東北弁で最初は戸惑いもありましたが、作業員の方々や会社の人と話す内に何とかコミュニケーションを図れる様になり、モノづくりに携わる中で、技術者としての第一歩を踏み出したことを昨日のことように思い出します。
現場としては、東北でダム3現場、原子力発電所の1,2,3号機新設工事に従事しましたが、今振り返るとあっという間の現場生活28年間でした。どの工事も思い出に残るものでしたが、35歳から40歳の時に工事課長として腕を振るわせていただいた県営(農水系)のダムはとりわけ地元の方に喜んでいただいたという点で、土木技術者を志した時の熱い思いを甦らせてくれる工事でした。
そのダムの上流には、戦時中に国により山形蔵王の硫黄鉱山が開発され、鉱毒水(PH1程度の強酸性水)が河川を流れていたため、当時、農作物の収穫に多大な影響を及ぼしていました。そこで、真水の流れる河川の水をトンネルで導き、農業用水専用のロックフィルダムをそこに造り、下流域の田畑に真水の用水を導くことが計画されたものでした。蔵王は「お釜」で知られる観光地ですが、その麓のダムサイトは地質が比較的若く、掘削やグラウトに伴う変状に速やかな対応が求められる中、発注者及びコンサルの方と三者連携を密にして課題を克服し、工期内に無事竣工する事ができました。工事期間中は地元の方から、特産品のサクランボの差し入れを受け、竣工時には発注者にお願いして建設に従事した企業体職員の名前の入った碑をダムの天端の片隅に置かせていただきました。今は4人いる孫といつか現地に行って「じいちゃんが造ったダムだよ」と教えるのを楽しみにしています。
さて、土工協九州支部は今年の4月に電建協、鉄建協、五団体と合併して新土工協として出発しました。折からの公共工事費の削減、民間設備投資の低迷等により、会員各社は経営的にも大変厳しい状況にあり、業界全体が変革を迫られていると実感しております。しかしながら、社会の安全,安心、そして快適性の基盤を担う建設業の役割の大事さは昔も今も、そしてこれから先も変わるものではありません。新設工事が減少しても既存インフラの維持更新は不可欠であり、また、既存施設の機能を活かしながら設備の更新を行っていくには、新設時よりも更なる技術力が要求されると考えます。変革の時を迎えた今こそ、土工協会員各社が今まで培ってきた、そして今後開発されるであろう技術を社会に提供し、この九州の地で市民生活や産業の発展に貢献できるものと確信をいたしております。そして、我々が技術と誇りを持って仕事を続けることで、土木技術者を目指す若人が建設業に入り、我々の熱き思いをつないで活躍されることを期待してやみません。

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