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国指定重要文化財「通潤橋」の保全工事について

熊本県上益城地域振興局
 農林部 農地整備課
北 山 清 人

1 はじめに
通潤橋は,熊本県上益城郡矢部町にある150年程前の江戸時代に建造された石造りの水管橋で,昭和35年(1960年)に国の重要文化財に指定されています。昭和58年の補修以来十数年が経過し,近年再び送水管からの漏水が激しくなっており,このまま放置していると石橋本体への影響も懸念されるようになっていました。(写真ー1)
このため,その歴史的価値を尊び,将来にわたっても農業用施設として活用していくために,農林水産省の補助事業である地域用水環境整備事業(歴史的施設保全型)により保全工事を実施しましたので,ここにその概要を紹介します。

2 事業の概要
 総事葉費:280,000千円(採択時)
 負担割合:国50%・県25%・町25%
 工事内容:送水管・取入ロ・吹上口補修,余水吐補修・管理道整備等
 予定工期:平成11年度~平成15年度
 受益面積:118ha
 受益戸数:108戸

3 通潤橋の概要
通潤橋は,矢部の惣庄屋であった布田保之助(1801年~1873年)により,嘉永5年(1852年)12月~安政元年(1854年)7月の1年8ヶ月の歳月を掛けて造られた農業用施設です。
その当時,白糸台地に住む人々は,台地が三方を川に囲まれながら川底からの高さが20~100mあり,近くを流れる川の豊富な水を利用できないため,米があまり穫れず,日照りが続く時は井戸水も涸れ,飲み水にも不自由していました。
白糸台地の人々のこの様な状況を打開するために水を引きたいと言う願いをかなえるため,布田保之助は,嘉永5年(1852年)~安政4年(1857年)に掛けて用水を引く工事を行いました。これが『通潤用水』で,幹線水路の延長は13km,支線まで含めると30km以上に及びます。
通潤橋は,この用水路の一部の施設であり,6km上流の笹原川から取水した用水を五老ケ滝川を袴いで対岸の白糸台地に運ぶために重要な役目を果たすものです。
通潤橋を造る際には,当時の最高水準の架橋技術で造られた隣町の砥用町にある霊台橋を参考にしましたが,その高さでは白糸台地の半分程の高さにしか水が送れず,より高いところに水を送ろうとして考えついたのが,今のようなサイフォンによるものでした。
なお,通潤橋の諸元は,図ー1及び次に示す通りです。

(1)石橋本体
 ① 構造 石造単アーチ橋
 ② 諸元 長さ:75.6m 幅:6.6m
      水面からの高さ:21.4m アーチ幅:26.5m

(2)橋内部にある送水管
 ① 構造 石管(一部木管を含む)を目地(一重又は二重)でつなぎ合わせたもの
 ② 諸元 延 長:126.9m×3列
      設置数:石管約650個 木管3個
      寸 法:60×60cm~90×90cm
      内 寸:30×30cm(通水道)
      目地孔:φ3.6~3.9cm

4 過去の補修の経緯
重要文化財指定前までは,受益農家の団体である通潤地区土地改良区が,漏水を発見した都度こまめに補修を行っていましたが,指定されてからは,土地改良区及び町も,文化財と意識する余り今まで通りの維持管理ができず,今回のようにかなり漏水がひどくなっていた昭和46年及び昭和57~58年に,各々矢部町教育委員会が文化庁の補助事業により補修を行っています。

5 修理の基本方針の検討
(1)概略調査
送水管はほぼ全体に渡り土に覆われており,そのままでは現状が把握できないため,平成11年度に修理方針を検討するにあたって,地元からの聞き取りにより漏水が激しいと思われる11箇所の壺堀調査を行い,目地材,その施工状況,木管の損傷度合いを確認しました。

(2)工法の検討
漏水防止工法の基本方針の決定に際しては,上記調査結果を踏まえ,県技術検討委員会において,建造当時と同じ漆喰工法,各種シーリング工法,インシチュフォーム工法等各種工法を検討し,経済性,地元による維持管理の容易性,文化財的価値の保全,また,地元住民がこの建造当時の工法を継承していくこと自体も文化財保全の観点から意義があるとの判断から,漆喰工法を採用することになりました。

6 工事の内容
(1)漏水状況の全容把握
基本方針が決定されたため,前回工事の聞き取り等を参考に工事を発注し,施工しながら補修箇所の特定及びその原因を調査し,個々の補修工法の検討を行うことにしました。
先ず人力により送水管の被覆土を撤去し,管を露出させた状態で通水を行い,漏水状況を調査するとともに,外部からは過去の補修歴や石管及び木管の状態を,内部についは小型カメラを挿入して現況調査を行い,また,並行して過去の補修に関する資料の収集を行ないました。この結果,吹上水槽からかなりの漏水が確認され,また,送水管からの漏水は石管の目地部,亀裂及び過去の補修で石管間をモルタルで接合している部分からのものと確認されました。また,漏水はしていないものの,凍害によるものと思われる石管の劣化が確認されました。(写真ー2,3,4)

(2)補修箇所及び工法の決定
目地部については既存の目地材を取り除き,本来の目地材である漆喰を,「通潤橋仕法書」(布田保之助著,以下「仕法書」)に基づき,二重目地の場合は内側の目地孔のみ,ただし,漏水が多い箇所は外側にも詰め(図ー1),モルタル接合部及び亀裂については石管の交換を行うこととし,石管の劣化防止には,昭和46年の補修工事以来,送水管の上部に土を20cm程度被せていましたが,劣化は凍結融解による影響が大きいと考えられるため,本工事においては,その防止に有効な吸水率を低下させる働きがある含浸強化剤を塗布するようにしました。

(3)工事概要
 工事内容:
  送水管の補修
   目地詰替 219箇所(4本及び8本目地)
   石管交換 20箇所
   含浸強化 外3面・内4面×全線 等
  吹上水槽の側壁目地補修  88.4㎡
 工  期:H12.11.6~H14.3.25
 工事金額:81,216,792円

(4)送水管補修の施工方法
① 目地
 a 目地材の取除き
目地材には,建造当初は漆喰が使われていましたが,過去の補修でモルタルや樹脂等,様々な材料が使われています。目地材の取除きは,ドリルを使ってせん孔し,その後高圧洗浄等を行ないました。その際,目地材が漆喰の場合は石管より軟いため,確実に漆喰をせん孔し問題はありませんが,モルタル等の場合は石管より硬いため,石管をせん孔する恐れもあり,慎重に作業を行う必要がありました。このことから,目地補修を考えると,漆喰は他と比較して非常に優れたものと考えられます。また,横目地の施工については,作業スペースの関係で長さの異なるロッドを交換しながら作業を行う必要がありました。

 b 漆喰の作製
漆喰の材料及び配合は,過去の2回の補修工事,土地改良区に伝わる方法,昔の文献等,いづれも微妙に違うため,今回は,「仕法書」に記述された配合で作製しました。しかし,松葉汁の量や松葉の種類等が不明のため,幾通りかの配合及び材料で漆喰を作製し,吸水率の比較等を行い,その結果から次のとおり決定しました。
  ・粘土(矢部町産):5合
  ・砂(矢部町産):1升8合
  ・粗塩:1合
  ・消石灰:2升
  ・松葉汁(枝付き松葉使用):適量
この材料を臼と杵を使って適当な固さや粘り具合になるまで搗き混ぜ,数日間寝かせて乾燥させたものを,目地詰めをする段階で,更に松葉汁を加えながら搗き混ぜ,適度な湿り気を与えたものにし,これを使用します。この分量で内目地4本分となります。
漆喰の基本的配合は記録として残せるものの,松葉汁を加える分量は,漆喰を手で掴んだ感触で判断するしかなく,これを体験によって伝えていくことが非常に重要なものとなります。

 c 漆喰の詰め込み
目地孔への詰め込みは,「仕法書」に記載されている様に,卵半分位の量の漆喰を穴に入れ,棒を使って突き固め,これを繰り返すことが必要ですが,突き固め回数による締まり具合の変化を確認するため,透明のアクリル管を使用し,1層の突き固め回数を30回と70回の場合で比較したところ,突き固めによる層厚は1cm程度で殆ど大差がなく,また吸水率も大差ない状況となりましたが,作業に個人差が生じる恐れもあり,安全を見越して1層の突き固め回数は50回にしています。
接合面1箇所に付き最低でも内側4本の目地詰めを行う必要があり,その長さの合計が約2mのため,上記作業を200回繰り返すことになり,総打撃数は10,000回にも上ります。

② 石管
 a 石管の取り外し
石管を交換する際,出来るだけ原形を残した状態で取り外すよう25tジャッキを使用してジャッキアップを試みましたが,目地材のモルタルによる接着や両サイドの石管との摩擦により動かず,反力が橋本体にかかるためあまり無理も出来ずこの方法は断念しました。このため,単独で交換する石管は破壊し,また,連続して交換する石管が存在する部分は1つの石管を破壊して自由面をつくり,その近くの石管を取り外すよう試みたところ,石管はくさび等を打ち込むことにより容易に取り外すことができました。これにより,6個の石管を原形のまま取り外し,保管しています。

 b 石管の作製
石材は矢部町産の熔結凝灰岩を使用し,工場及び現地にて採寸を繰り返しながら加工しており,30cm角の通水道は板目の方向に掘っています。
石管は大きなものは外寸で90cm程度の立方体ですが,加工する原石はその倍程の固まりが必要で,また,加工途中で石材の中に当初切り出した時には表れていなかったひび割れや空洞が見つかった場合は,最初から造り直さなければなりませんでした。

 c 石管の据え付け
チェーンブロックを使い石管の据え付けを行いましたが,据え付け方向に制約があり,また,正立方体ではなく,寸法が上下左右とも僅かに違いになっているため,目地詰めに支障がある隙間が生じる箇所は,既設の石管を一部加工し,摺り合わせを行っています。

③ 含浸強化
熊本城の復元工事において使用されている凝灰岩での採用実績がある含浸強化を検討するにあたり,最初は,石管を作製する原石から供試体を採取し,通常,酸性及び凍結融解の条件下で吸水率及び一軸圧縮試験を行った結果,効果が認められたので,次に,大部分を占める既設石管への効果検証を行うため,取り外す際に破壊した石管から供試体を採取し,同様の調査を行った結果,吸水率の低下が図られ,強度的にも効果が認められたため,採用を決定しました。

含浸強化剤は,珪素と金属イオンの多重化合体を主成分とする水溶性溶剤である1液と有機珪素化合物を主成分とするアルコール溶剤である2液とからなります。これを石管内部に浸透させるため,各液毎に外側の面は直接スプレーで2度,内側の面も先端にノズルを付けた機械を挿入して2方向から往復で噴射させました。

④ 埋め戻し
工事着手前は,送水管の劣化防止のため,上部に土を20cm程度被せていましたが,今回の補修工事を踏まえ,今後の維持管理面や利活用面からどの様な姿で残していくのかを地元に検討してもらいました。この結果,重要文化財指定時の状態と同様の送水管頂部までの埋め戻しとすることが決定され,今まで土で隠れていた送水管が3列並んでいる状況が見学できる様になっています。

7 その他
(1)検討体制
本工事は国の重要文化財を補修する特異工事のため,工法検討及び施工指導を㈶文化財建造物保存技術協会へ委託するとともに,県技術検討委員会及び町検討委員会,また,場合によっては文化庁に説明を行い,その指導・助言を仰いで,各種工法の決定を行いました。
(2)見学者への対応
工事期間中は,見学希望者が多いと判断されたため,現場内立ち入りを希望する際は,申請書の提出をしてもらい,その目的から判断して許可をするようにし,通常の見学用には,取入口側に見学所を設置し対応しました。
(3)漆喰工法の技術の継承
今後,通常の維持管理が重要になってくるため,工事期間中に土地改良区の方々に,漆喰作製及び漆喰詰めの体験をして頂きました。
(4)建造当時の姿
橋中央部の放水口の敷石に排水溝が掘られていたこと,送水管と送水管の間の構造が,表面に漆喰叩きがあり,その下に赤土粘土層があること,また,その部分の斜面区間は石張りであること等を考慮すると,橋面排水を橋中央部に集め,放水口を利用して排水していたものと考えられ,更に,橋の両側に積まれた縁石を仕法書には「手摺石」と記述されていることから,建造当時は送水管が露出した状態(写真ー2)であったものと思われます。

8 おわりに
本工事は,過去の工事記録はあるものの結果だけでその決定過程がないため,最初から試行錯誤の連続でした。今回の補修方法が,最良であったかどうかは,将来,再びこの様な補修が行われた場合に判明するものと思います。なお,今回の補修工事においては,今後の維持管理や将来の補修工事の検討資料として活用できるよう,工法検討の結果だけでなく,その過程についても工事報告書や記録ビデオで残す予定にしています。
この補修工事に携わったおかげで,150年前に当時の英知と人々の熱意で建造された農業用施設「通潤橋」の偉大さが改めて感じられ,非常に幸運であったと思います。
最後に,長期に渡り手探りの状態で施工を行って頂いた㈱尾上建設をはじめ,関係各位に対し謝意を表したいと思います。

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