令和元年6月末からの大雨に関する甲突川整備の効果
鹿児島県 土木部 河川課
技術補佐
技術補佐
福 永 和 久
キーワード:激特事業、石橋、事前防災
1.はじめに
平成 5 年(1993)鹿児島地方においては、鹿児島地方気象台で観測史上第一位の年間雨量4,022㎜の長期異常気象に見舞われ、県内各地で大きな災害を受けた。この年間雨量は、現在も観測史上最大の降水量である。
鹿児島市を流れる甲突川では、8 月 6 日の夕刻、市街部で溢水・氾濫により 11,586 戸が浸水し、ライフラインの途絶と併せ、150 年ほど前に築造された 5 つの石橋(以下「五石橋」という。) のうち、武之橋、新上橋が流失するなど戦後最大の激甚な水害(以下「8・6 水害」という。)が発生した。県では、この 8・6 水害に鑑み、再度災害を防止し、早急に治水対策を進めるため、河川激甚災害対策特別緊急事業(以下「激特事業」という。)等を導入して河川改修を行った。平成 4 年(1992)に県に入庁した筆者は、炎天下となった翌日の 8 月 7 日から河川左右岸の広い範囲で洪水痕跡調査を実施し、水害の恐ろしさを肌で実感したところである。
令和元年 6 月末の大雨では、8・6 水害時を大きく上回る大雨が発生したが、家屋の浸水被害がなかったところであり、これまでの整備効果が十分に発揮されたことから、今回、防災・減災対策の必要性について報告させていただくものである。
2.8・6水害までの甲突川
(1)流域特性
甲突川は、鹿児島市郡山町に位置する八重山(標高 676m)に源を発し、姶良カルデラ等から噴出した火砕流堆積物からなるシラス台地を南下し、途中、川田川などの支川を合流しながら鹿児島市街地を貫流して鹿児島湾に注ぐ本川流路延長24.6㎞、流域面積 106.2㎢の 2 級河川である。
流域には、県の政治、経済の中心である鹿児島市があり、県内でも特に人口、資産の集積が著しい市街化が進んだ河川である。
甲突川流域を含む一帯は、図- 2 に示すように、今から約 2 万 2 千年前の姶良カルデラを形成した一連の噴火により噴出・堆積した火砕流堆積物(シラス)が広く分布している。
地山のシラスは非溶結の未固結堆積物であるため、雨水に浸食されやすく、本・支川からは枝状の谷が幾重にも派生している。浸食されたシラス台地縁端部の斜面は急崖をなし、長雨によって表層崩壊を起こしやすい。8・6 水害では、流域内で約 3,600 箇所に及ぶ表層崩壊が生じ、多量の土砂と倒木を発生させ、その一部が河川へ流出し被害を大きくする原因となった。
(2)主要災害
明治以降の甲突川の水害に関する公式な記録はなく、新聞記事からまとめると表- 1 のとおりである。
これによると、降雨時期・降雨パターンによって異なるが、日雨量 200㎜を超えると被害が発生しており、明治 16 年以降 8・6 水害時までを含めると、日雨量 200㎜を超えたのは 12 回である。
8・6水害では、上流の鹿児島市郡山町で、日雨量 384㎜、1 時間雨量 99.5㎜の激しい集中豪雨となり、甲突川の水位は、2 時間で 3m 以上も上昇する急激なものであった。このため、新上橋から上流は約 6㎞に渡り溢水し、国道などの道路を流下して市街部へ流れ込み、床上・床下浸水など 11,586 戸の浸水被害が発生した。
(3)8・6水害までの河川改修
昭和 44 年(1969)6 月の梅雨前線による豪雨で支川幸加木川が氾濫し、本川甲突川は、水位が堤防天端まで上昇する洪水があったために、住民の安全を確保するうえから、この洪水を契機として甲突川の抜本改修を実施することとなった。
計画の基本としては、昔、氾濫原であった右岸 の原良及び西田地区等の水田地帯が宅地化されるなどの都市化に伴う人口や資産の集積状況を考慮し、川幅の全面的な拡幅は困難なことから河床の掘り下げや堤防の嵩上げ等による河川改修で流下能力を向上させることとした。
甲突川のそれまでの流下能力は 300㎥ /s 程度であり、人口や資産状況から年超過確率 1/100 年の 1,000㎥ /s の治水対策が必要な河川と考えられることから、現状の河道を最大限利用して700㎥/s を流し、300㎥ /s は上流のダム・遊水地・放水路で処理する基本高水計画を策定した。
改修工事は、被害の大きかった支川幸加木川の改修を昭和 45 年(1970)から行い、昭和 56 年(1981)からは本川甲突川の改修に着手するとともに、文化遺産である五石橋の取扱について議論を重ねてきた。五石橋については、現地でなんとか残せないかという各種検討を行い、県・市議会はもとより、昭和 52 年(1977)に設置した「鹿児島市都市河川改修協議会」においても、治水と文化遺産の取扱について審議や協議がなされてきた。
その状況の中、甲突川の流下能力を先ずは 400㎥ /s まで向上させることを目標に整備を進めていたところであった。
3.抜本改修
これまで長年にわたって石橋を残したままでの治水対策として、ダム・遊水地・放水路についての調査・検討を行ってきた。しかしながら、いずれの方法も問題点が多く、今すぐ実現できるものではない。このため、8・6 水害の状況に鑑み、緊急かつ確実な治水対策として、川幅の狭い区間の拡幅や河床の掘り下げ等による河川改修として激特事業等を進めることとした。
(1)河道計画
河道計画の基本方針は、現況の河道法線形を基本として、一部川幅の狭い城西地区及び飯山地区の拡幅を行い、沿川の土地利用形態から堀込河道となることから、余裕高の不足する区間はパラペットで計画した。その基本方針は以下のとおり。
①計画高水流量は、8・6 水害時の700㎥/sとする。
②沿川に家屋が密集していることから、現況河川幅をそのまま活用し、拡幅は必要最小限とする。
③横断形状は、親水性及び景観を考慮して複断面とする。
④低水部は生態系に配慮し、玉石護岸及びコンクリート沈床を設置する。
(2)縦断計画
①河口部の計画河床高は、干潮位(T.P.-1.60m) 及び県内の同様な河川を参考として、T.P.- 1.65m とした。
②堀込河道であることから、計画高水位を現況地盤高程度に設定するため、1.0 ~ 2.0m 程度の河床掘削を行い計画河床とする。
③下流部の計画高水位は、河口(-0/400)から上流 1/000 地点までは高潮区間であることから、異常潮位 T.P.+2.73m として設定した。また、下流部海岸高潮区間の第一橋梁(天保山橋)までは、計画堤防高を海岸堤防高と同じT.P.+4.50m とした。
(3)横断計画
①現況河川幅をそのまま活用する観点から、複断面形状のうち、高水部は 5 分勾配、低水部は河川幅に余裕のある下流部を 1 割勾配、その他を 5 分勾配、低水部の小段幅は最低 3m を確保した。
②感潮部の高水敷小段部の高さは、鹿児島湾朔望平均満潮位が、T.P.+1.18m であることを考慮し、感潮部は T.P.+1.20m のレベル区間で計画した。
③護岸については、現河道内の既設護岸をできる限り利用しながら、高水護岸は雑割石積み、低水護岸は玉石積み、小段は散策等に活用するため石張りとした。
④地盤が軟弱なため、低水護岸基礎には、鋼管杭を設置した。この低水護岸は、水草・藻類等が活着し、魚類等の生態系を確保するため自然石を用いるとともに、河床には、局所洗掘防止も兼ねてコンクリート沈床を設置することとした。
4.五石橋への取組
甲突川に架かる五石橋は、江戸時代後期に築造された4~5 連の石造アーチ橋であり、この石造技術は、主に中国から伝わった架橋技術が伝統の石垣技術とも融合して独自の発展を遂げたものであり、我が国を代表する石橋群である。五石橋は創建以来、交通環境などの変化に伴い幾つかの改変を受け、また、あるときは架替えの論議の対象になりながら現役の橋として供用されてきた。しかし、8・6 水害時に 2 橋が流失し、残った 3 橋は河川改修に合わせて移設し保存することとなった。
水害直後からの行政の迅速な対応が、逆に一部市民の反発を呼び、長年の懸案事項を災害に便乗して一気に解決しようとしている、住民の合意形成というプロセスが不十分である、という批判を招くことになった。激特事業の採択後は、石橋現地保存を訴える市民から、度重なる公文書開示の請求がなされたのをはじめ、県外者を含め公開質問状や新聞紙上への投稿論文等が次々と出され、これらの様々な疑義、提案は、その都度県議会でも取り上げられた。
さらに、市民グループでは、独自の討論会や勉強会、集会等を開催しながら運動の拡大を図る努力がなされ、二度の条例制定直接請求となって表れることになる。一方、行政側も、市民グループとの対話集会や各種セミナーへの参加をはじめ、県の広報媒体を使って行政側の考え方について理解を求める努力が続けられた。
平成 6 年(1994)2 月から玉江橋の解体が、平成 7 年(1995)1 月から高麗橋の解体がそれぞれ着手された。県指定文化財の西田橋については、移設の是非を県民投票に問う条例制定議案が同年 11 月開催の県議会臨時会で否決され、さらに、同年 12 月 5 日に県教育委員会から移設許可を得て、平成 8 年(1996)2 月から解体に着手された。
移設は、県道の西田橋を鹿児島県が、市道の玉江橋と高麗橋を鹿児島市が行い、市街地北部の祇園之洲地区に一体的に復元するとともに、併せて文化遺産に相応しい移設地整備を行った。
5.整備効果
(1)令和元年 6 月末からの大雨
鹿児島地方気象台における降雨量について、8・6 水害では、24 時間雨量 269.5㎜、12 時間雨量216.0㎜、1 時間雨量 56.0㎜の激しい雨が降ったが、令和元年 6 月末からの大雨では、24 時間雨量 376.0 ㎜、12 時間雨量 272.5 ㎜、1 時間雨量39.5㎜であり、流域が飽和した後に洪水への影響が顕著となる降雨継続時間の 24 時間及び 12 時間が、8・6 水害時を大きく上回ったところである。
当日、執務室で水防待機を行う中、甲突川の他、鹿児島市内や県内各地の河川で水位が急激に上昇し、県内で 7 つの河川が氾濫危険水位を超過した。鹿児島市では、市内全域の約 60 万人に避難指示が出され、さすがに、8・6 水害時の浸水被害を彷彿させる雨の降り方であったため、かなりの緊張感を持って情報収集を行った。
(2)整備効果
今回の出水では、8・6 水害時を大きく上回る雨量が観測されたが、これまでの河川改修により、8・6 水害時に 11,586 戸あった浸水家屋が全く浸水しない結果となり、完成から約 20 年を経て大きな整備効果を発現したところである。
地元新聞においても、『専門家は「1993 年 8・6 豪雨級の災害になる可能性がある。命の危険が迫っていると認識して行動を」と早めの避難を呼び掛けている。』との報道があり、大災害を予感させたところであったが、前述のとおり浸水家屋がなく、改めて、事前防災の重要性を認識したところである。
まさに、全国的にも例を見ない 4 連の石橋の保存・移設を課題としながら、激特事業を中心とした河道整備に取り組んだ効果であり、長い間、河道整備に取り組んだ先輩方や関係諸氏の成果であると考える。
このように河川改修の成果が如実に表れたところであるが、これまでの河川の整備率を見ると、未だ河川改修の必要な箇所が残っているところであり、今後も国土強靱化へ向けた防災対策を推進しなければならないところである。
最後に、再度、護岸構造を紹介するが、護岸本体への鋼管杭や護岸頂部のパラペットに鉄筋を配筋した鉄筋コンクリート構造など構造上の安全性、局所洗掘防止にコンクリート沈床を用いたことにより人が川へ落水したときの安全対策など、様々な工夫がなされており、先輩方の先見の明には感服するばかりであり、現在、甲突川を管理している者を代表して、この場を借りて深く感謝の意を表す。