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白水溜池堰堤
~美的造形物~

大分県 竹田土木事務所長
伊 東 三 雄

1 はじめに
白水はくすい溜池堰堤は,平成11年(1999)5月13日に国指定重要文化財に登録されています。指定された施設は,主堰堤副堰堤,斜樋,左右翼壁管理用階段白水池碑です。
ここでは,この堰堤の美的構造を説明する前に堰堤ができるまでの歴史を少し長くなりますが,振り返ってみます。
今から137年前の江戸時代末期の軸丸村(現在の緒方町軸丸)では,耕地の8割が畑地で水田は僅か2割しかなく,その田も湧水を利用したものであったため,度々旱魃となり悲惨は状態を引き起こしていた。これを見ていた大工後藤鹿太氏郎は,慶応3年(1867)農作物を安定して生産することができるように軸丸村に水を引き灌漑用水を作り,新田を開発しようと水源地を探し始めた。そして,水源地を探し当て,庄屋や役人の協力を得て事業に着手するが,小さな村では手に余る大事業であったため,明治28年(1895)に事業中止となってしまった。
一方,明治24年(1891)に軸丸村に隣接する小富士村でも初代村長甲斐健次郎氏を中心に井路を作ろうとする動きが起こるが,工事費に莫大な費用がかかるため住民の賛同を得ることができなかった。
そうした中,明治29年(1896)に二人は行動を共にすることになった。そして,明治31年(1898)に「普通水利組合設置」を県に願い出る。これにより富士緒井路が実現に向かって歩き始める。(富士緒井路の名前の由来:小富士村と方村(旧軸丸村)より命名したもの)
その後,明治42年(1909)に「富士緒井路普通水利組合」の設立許可が認可され,翌年,工事許可がおり,工事の発注を行うが,工事請負人との契約がこじれ契約解除を行う。これに対して,県は救済策として明治45年(1912)より県直営工事で井路開削事業を行うことになり,大正3年(1914)には,ほぼ完成し試験通水を開始する。
しかし,大雨による法面崩壊や隧道の落盤水路の決壊等により思いどおりの開田ができず,その打開策として大正11年(1922)に「富士緒井路耕地整理組合」の認可申請を行い,認可される。
これにより,国,県から支援を受け,大正13年(1924)までに幹線水路の改修を終え,水量も常時確保し,開田も予定どおり順調に進められてきていた。
しかし,その後,周辺部にも開田が進んだことにより,富士緒井路の取水箇所より上流に2箇所の堰が設置されたため,富士緒井路の取水量が激減してしまった。
この解決策として県は,富士緒井路に対しては,「山崎川からの導水溝による増水工事」を行い,上流の2箇所の堰に対しては,さらに上流に「大谷ダム」を設置することになった。
それでも,このあたりの地質は,溶岩質と火山灰の土壌のため漏水が激しく,水量の確保が当初の計算どおりにはいかず,慢性的に不足していたため,県が白水溜池堰堤の工事を計画することになった。

2 美的造形物「白水溜池堰堤」
富士緒井路では,白水溜池堰堤(これ以降「白水ダム」という)の工事が,昭和7年(1932)に着工し,昭和13年(1938)に完成したことにより,ようやく安定した水量の確保ができるようになった。
この白水ダムの設計は,大分県農業土木技師小野安夫氏が行っている。
彼は,この地帯の地質が阿蘇溶岩と火山灰であったため,その脆さや保水力が無いことをよく知っており,そのためダムの構造には細心の注意を払って設計をしていた。

ダム基礎及び側壁部分は,岩盤に定着させているが,その岩盤が脆いため水の圧力を弱める必要からダム本体は緩やかな曲線勾配とし,その表面を粗い切石を積み上げた構造にすることで,流れ落ちる水が水泡となることにより水流を減速させ落下させた。一方,側壁部分については,左岸は階段状にし,水流を分けた後,階段を落下させることにより流速を減速させ,右岸は水流を曲面状の溝に導いた後,流れを本線側に向け本線の水流と合流させることにより水勢を弱める構造としている。
この結果,今日の様な3通りの水の流れを楽しむことができるようになった。

小野技師は,工事完成後,このような美しい水の流れとなることを設計時点から思い描いていたのであろうか。

白水ダムの設計諸元
型式  : 重力式割石コンクリートダム
堰高  : 14.10m
堰長  : 87.26m
貯水量 : 600,000m3
貯水面積: 10ha
事業費 : 210,000円
竣工  : 昭和13年9月30日

3 白水溜池堰堤の工事
白水ダムの建設中の写真や設計書に記載された堤体断面図からも分かるように,上流側,下流側とも表面は,割石(切石)で覆い,その内部は,上流側はピュアーなコンクリートで芯の部分を作り遮水壁とし,その下流側はラブル(Rubble:粗石,割りぐり)コンクリート(割石を積みコンクリートを充填する構造)により施工している。
下流側の表面の勾配は,木枠による定規により施工を行っているが,この地方の石工の技量がこのすばらしい曲線美を支えたものと思われる。
昭和15年に完成した大谷ダムが,似たような規模のダムだが,このダムが既に補修のためコンクリートで表面を覆っていることを考えれば,白水ダムの施工の良さがうかがえる。

4 おわりに
白水ダムは,66年前に作られたダムであるが,現在でも参考とすべき点が多くある。
たとえば,工事費を縮減するため,当時高価であったコンクリートの使用量を減らし,現地で容易に採取できた切石を用いた割石コンクリートダムであった。また,機能一辺倒ではなく,力強さと優雅さとを兼ね備えた美的造形物として評価されており,国指定の重要文化財となっている。
ダム本体とは関係しないが,現在の富士緒井路土地改良区では,建設当時に高台へ揚水するために井路の排水を利用した発電所を設置しているが,現在,これにより発電した電力を揚水用として使用した後の余った電力と昭和59年に建設した2基目発電所で作った電力を売電して,土地改良区の経営に大きく役立てている。
土木構造物を作る我々も,先輩技術者に見習い目先のことに捕らわれず,後生の人から評価される物を作っていけるよう努力したいものである。

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