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九州技報 第5号 巻頭言

九州地方建設局長
田 口 二 朗

弥生時代の集落跡とされる吉野ケ里遺跡が全国的な話題となっている。この遺跡の中にある墳丘墓の盛土は沈下防止のため置換工法がとられた跡があるとされており,この時代にすでに各種の土木技術が駆使されていたことがうかがわれる。日本の埋蔵文化財は木造文化の故に何々跡の穴とか,土器のかけら等で石造文化地域にあるような古代都市がそのままの形で発掘される例に比べると残念ながらやや迫力に欠けるきらいはあるが,穴等からいろいろ想像することもまた興味つきないようである。
ゴミで埋立てられた夢の島を将来の人が発掘した時,この土地がかつてどのような土地であったか大議論が起るであろうと面白く書いたものがあったが,現在私達が構築している建造物が数百年,数千年先にどのような形で残され評価されるかを考えると興味深い。
現在でも数百年の歴史を持つ構造物は数多く残っている。神社,仏閣等その時代のモニュメントとも云える大事業でその地域の精神の拠り所といったようなものは管理もよくされ残されている。また石橋等石造のものは多少残されているが,これらは文化財的価値はあるものの実用的にはお荷物風になっているものも多い。しかしながらこれらのものを見ると歴史の重みを感じると同時に,時の技術力から見て本当の手づくりとも云えるその難工事に取組んだ人達の執念が伝わって来る感じがする。
現在私達が造っているものはどうであろうか。河川については自然現象として生じる雨を海まで運ぶ通路としての役割は変らないだろうから位置形状は変っても残るものであるが,ダムは堆砂により大きな堰となるのだろうか。道路はかつての参勤交替の道はその幅員線形が時代に合わず,現在はほとんど残されていないが,現在の道路はローマの道がいまだに使われているように何らかの通路として残されているだろう。ただ,都市高速のような高架道路は耐用年数がくれば巨大なスクラップとなり得る。都会のビルも同様に耐用年数がくれば,またその時代のニーズに合わなければ消滅の運命にある。残るものは何であろうか。
このように考えると結局,単一目的で造られる実用の建造物はその目的が失なわれると耐用年数もあり,その時点で消えてしまうものである。しかしこれも一つの役目である。
残されるものは実用品ではなく無目的とも云える多目的な機能を持つものがそれぞれの時代に適合しつつ残されていくのであろう。
将来に思いを馳せながら物を造るのは楽しいことである。

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