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「うるおいのある川づくりコンペ」に見る
九州の川づくりのあゆみ

国土交通省 九州地方整備局
河川部 河川工事課長
柳 田 公 司

国土交通省 九州地方整備局
長崎河川国道事務所 
開発工務課 専門官
丸 山 寛 起

国土交通省 九州地方整備局
河川部 河川工事課 河川係長
阿 蘇 修 一

キーワード:多自然川づくり、川づくりコンペ、人材育成

1.はじめに
「絶滅危惧種と言われている種が普通種になるのではないか」。第30回『九州うるおいのある川づくりコンペ』(以下コンペ)の講評において審査員(学識者)から、川づくりの好事例が増えたことを褒めていただくとともに九州の川づくりの更なる成長への励ましをいただいた。
コンペは、九州地方整備局と九州の各県政令市の河川事業に携わる職員を対象に各々が取り組んだ川づくりを発表し質疑によって理解を深めるなど明日の九州の川のための技術研鑽の場(写真-1)である。

写真1 九州うるおいのある川づくりコンペの様子

平成5年から年1回開催し、昨年、節目の30回目を迎え発表事例は600以上に及ぶ(写真-2)。このコンペを振り返りながら九州の川づくりの成長のあゆみを紹介する。

写真2 うるおいのある川づくり事例集

2.川づくりコンペ
(1)川づくりコンペ発足の背景
平成2年、当時の建設省河川局から河川が本来有している生物の良好な生息・生育環境に配慮するため「多自然型川づくりの推進について」の河川局長通達、「多自然型川づくりの実施要領」が発出され、全国各地でパイロット工事が展開された。九州でも取り組むこととしたものの「コンクリートブロックを使わず緑があれば多自然型か?」など異口同音に多自然型川づくりそのものが分からないといった声が飛び交っていた。
多自然型川づくりの推進を担うのは河川部の河川工事課であった。当時の担当係長をしていた大先輩から、「コンペは通勤電車の中で忽然と閃いた。賞も用意して切磋琢磨していけば九州中『いい川』になるのではないだろうか。それぞれが考えている多自然型川づくりを出し合い、学び合えば職員も育っていくのではないか。」また、コンペ名は、「生物にうるおい、人にも地域にもうるおいをとの想いを込めて『うるおいのある川づくりコンペ』と当時の河川工事課長によって命名された。」といったコンペ誕生の秘話をお聞きしたことがある。

(2)川づくりコンペの運営
コンペ開始当初は、九州地方整備局の河川行政担当職員が対象であったが、平成8年より九州各県の河川行政担当者、平成10年より政令市も参加し、運営は各県と整備局が担い毎年各県持ち回りで開催した。発表課題は、平成14年頃までは九州地方整備局の発表がほとんどであったが、平成15年以降は徐々に県と政令市の発表が増え、時にはその割合が逆転することもあるなど、中小河川も含め九州各県にうるおいのある川づくりの“ 当たり前化” が進んできているのが見て取れる(図- 1)。

図1 川づくりコンペ発表課題数

3.九州における多自然川づくり
(1)多自然川づくり 初期(H5~H15)
河川局長からの多自然型川づくりの推進の通達後の九州の川づくりは、護岸の災害復旧工事において工夫をしようという『点』の取り組みから始まり、近年ではまちづくりに寄与する『面』の川づくりも行われるようになってきた。以下、コンペの発表課題を概ね10年ごとに初期、中期、後期に区切って辿ってみた。
多自然型川づくりが始まった頃、河川工事課では、治水上の機能を満足した多自然型川づくりに根差した工法選定のために外力評価の必要性を論じ、外力に応じた工法を例示した参考資料を取りまとめた。各河川の担当者は、工法選定に悩んでいた時期であり早速各河川で、この参考資料が活かされたことが、コンペ初期の発表事例から伺える。一方、現在ほど環境情報が充実していたとは言い難い時期で、発表事例は、災害復旧現場における川づくりが多く、時間的制約もあり環境面での目標設定が曖昧なまま施工されている事例が少なくなかった。
環境の目標設定の難しさを痛感していた中で、目を向けたのが水生昆虫など河川の生態系ピラミッドを構成する底辺の生物の生息生育環境であった。
河川内の環境を考えたとき生態系ピラミッドの底辺が増えればこのピラミッドが大きくなりより良い環境となるという発想からだった。これは、“ 川の外科医” と称された福留修文氏の教えから始まり、同氏に監修をいただきながら九州地方整備局オリジナルの水制工の技術資料等が創刊されていった。その結果、低水水制工の実施事例(写真- 3)が増え、コンペでは『エコトーン』『多孔質空間の創出』というフレーズが使われるようになっていった。

写真3 H9水制工(菊池川)

この頃、自然石や木材など自然素材が多く使われていたが、鉄線のかご材や擬石ブロックの活用事例も増えており、資材メーカーがアイディアを凝らした多自然型川づくり製品の草創期でもあったのかもしれない(写真- 4)。

写真4 H10かごマットを使用した護岸(筑後川)

(2)多自然川づくり 中期(H15~H25)
平成14年には自然再生推進法が策定され、河川環境の保全を目的とし、流域の視点を含めた『川のシステム』を再生する事業として『自然再生事業』が創設された。松浦川の「河川の氾濫原的湿地の再生」「人と生物のふれあい再生」を目的に、住民参加で実施したアザメの瀬の実施事例をはじめ『自然再生』のフレーズを使った事例がコンペで紹介されるようになっていった。
遠賀川では、昭和時代に整備された低水護岸を撤去し高水敷を大胆に緩傾斜スロープ化(写真-5)して景観、利活用、生物の生息環境等で沿川住民をはじめ多方面から高評価を得ている事例も紹介されている。

写真5 緩傾斜化した高水敷(遠賀川)

また、石井樋(写真- 6)の復元や熊本城下を流れる白川の石積み護岸など歴史的な価値を重んじた川づくりの事例も紹介されるようになったのもこの頃である。
なお、白川に至っては、近年、『白川夜市』(写真- 7)が開催され、観光客も含む多くの人々が集う憩いの場となり、熊本城下に相応しい川として市民に受け入れられていることを物語っている。

写真6 嘉瀬川歴史的治水施設の保全(石井樋)

写真7 白川夜市(白川)

平成18年に多自然型川づくりのレビュー委員会によって、課題の残る川づくりの改善の必要が指摘され、モデル事業であるかのような多自然「型」川づくりから「型」が取られ多自然川づくりは当たり前とし基本指針が通知された。また、全ての河川災害復旧事業で、自然環境の保全に配慮する方針を示した「美しい山河を守る災害復旧基本方針」が改訂された。さらに、平成20年に中小河川に関する河道計画の技術基準の通知(H22改訂)等もあってか、各県の中小河川の多自然川づくりに拍車がかかり好事例も増えていった。
中でも、各県には川づくりの熱意が凄まじい職員もおられ、災害復旧現場の被災原因・被災メカニズムを究明し復旧工法の設計、水制など各施設の目的を記した配置計画、施工要領図に至るまで直営・手書き作成を試み施工業者に意思を伝えて施工した事例も紹介された(図- 2)。

図2 H29職員自ら設計した事例(鹿児島県北方川)

(3)多自然川づくり 後期(H25~R4)
近年では、「かわまちづくり」の取り組み成果の報告事例が増えていった。人々が集い、賑わい、やすらいで癒される場として水辺空間に対する社会的ニーズの高まりにより、河川管理者が積極的に河川空間を都市再生や地域活性化のために活用する取り組みとして平成17年度から令和4年までに15 水系が登録し「かわまちづくり」に取り組んでいる。
五ヶ瀬川におけるかわまちづくりの構想・計画は平成25年度のコンペで紹介された。その実現への決意のもと「回遊散策路」「鮎やな食事処」等の整備や各種イベントなど地元延岡市や河川協力団体など各市民団体や市民とともに充実を図り、令和2年に九州で初となる『かわまち大賞』を受賞して脚光を浴びるほどに育て上げられている(写真- 8)。

写真8 鮎やなと鮎やな食事処(五ヶ瀬川)

4.おわりに
九州の川づくりは福留修文氏とあゆんできたといっても過言ではない。福留修文氏の英知が刻まれた九州オリジナルの各種川づくりに関する技術指南書を礎に取り組んだ事例や、また、福留さんに直接現地にて分散型落差工の石組み等の施工指導を受けて仕上げた事例も数多くある(写真- 9)。
同氏は、2013年12月10日、九州の川に多くの遺構を残してこの世を去った。コンペでは部門賞の他にグランプリ的な位置づけで「福留修文賞」を設けた。この10年の受賞作は福留さんがそうであったように『現場主義』が感じられるものばかりである。福留さんは「自然界の渓流の構造を眺めて眺めて、その中で土木の技術でどうやってできるかということを考えていった。」「伝承は、技術を伝えるというよりも、人を育てていくということが本質」という金言も遺して下さった。

写真9 福留修文氏による施工指導(本明川)

今年11月6日と7日の二日間に跨がり開催した第31回のコンペでは、審査員(学識者)から「生き物のことを考えて、工夫を凝らしている」「川づくりの技術が上がっていることを今年もきちんと確認できた」などの評価と「生物多様性国家戦略を担うのは自分たちなのだと次世代にいい川を引き継ぐために意気込みをもって頑張っていただきたい」「種数が増加する、絶滅危惧種の分布が拡大するといったことに挑戦してほしい」などの激励をいただいた。会場の若き河川技術者が目を輝かせていた。九州の川づくりの申し子たちが育ち、九州の川の質を高めていくことが福留さんへの恩返しであることを共通の認識とし、今後も九州で現場本位の川づくりが展開され、それを共有し学び合う場を存続させていきたい。

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