嘉瀬川ダム竣工10周年記念感謝祭
~感謝の心を次世代に引き継ぐ~
~感謝の心を次世代に引き継ぐ~
嘉瀬川防災施設さが水ものがたり館
館長
館長
荒 牧 軍 治
キーワード:嘉瀬川ダム竣工10 周年、感謝祭、ダムの利活用
1.はじめに
嘉瀬川ダムは平成24年(2012年)3月に竣工しましたが、私は、その2年前、2010年10月に武雄市で開催された「第5回ため池シンポジウムin 佐賀」に参加し、1800年、今から222年前に、佐賀藩が現在の武雄市北方町に築いた「焼米のため池」の出来るまでの過程を聞く機会がありました。当時の公共事業も地元との調整で大変だったことが基本のテーマだったのですが、最後に衝撃的な話を聞きました。受益地である白石町からため池の地元に毎年米を送り続けているというのです。さすがに今は現金に代わったようですが、ため池が作られて以来210年間、毎年です。「感謝の心を形にする」「そしてそれを継続している」衝撃を受けました。
それから2年後に嘉瀬川ダムが完成しました。当時の片淵白石町長が、たまたまさが水ものがたり館に立ち寄られた機会に「嘉瀬川ダム感謝祭をやりましょう」と声をかけて、2012年11月に「第1回嘉瀬川ダム感謝祭」を本当に小さな規模で開催しました。第9回まで続けてきて「第10回嘉瀬川ダム感謝祭」で一区切りをつけようと思っていたのですが、コロナ感染症の拡大で中止に追い込まれました。
2.感謝祭実施へ向けて
平成4年度に入り、改めて実行委員会を結成し、タイトルも「嘉瀬川ダム竣工10 周年記念感謝祭」として、令和4年11月6日(日)に嘉瀬川ダムシャクナゲ湖湖畔広場で開催することを決定して、準備に取り掛かりました。
第1回から第9回までは、嘉瀬川ダムの受益市町の首長・議長、佐賀県、国土交通省、父祖の地を提供していただいた嘉瀬川ダム対策協議会の代表、それに事務局を担当したNPO 法人嘉瀬川交流軸のメンバーを加え、小規模に開催してきました。金立にある金比羅神社の宮司さんの進行による神事の後、受益地の首長による感謝の辞、対策協議会代表による歓迎の辞を柱にした感謝祭式典というのが第1回から9回までの基本的な流れです。また、白石の奇祭「白石もちすすり」を神前に奉納して戴くのも毎年の恒例になっていました。神事の後には直来(なおらい)で酒を酌み交わすのが佐賀の伝統ですからもちろん実施しないわけにはいきません。富士町で山菜料理の店を営む「森の香 菖蒲御膳」の方々が準備された山菜の天ぷら、猪肉のバーベキュー、白石町から提供されるきな粉餅などを頬張りながら酒を酌み交わすのがこれまでの感謝祭でした。今年の感謝祭も神事・感謝祭式典が中心になることには変わりありません。
また、第5回嘉瀬川ダム感謝祭で実施した受益市町村が市町の名物・物産を販売したマルシェを拡張して、嘉瀬川の上下流で活動するNPO 法人等に呼び掛けて展示・イベントを企画してもらうことにしました。
コロナで中止の追い込まれた昨年の感謝祭の企画会議で、これまでの感謝祭に「ダム及びダム湖畔の利活用を加えては」との意見が出されていました。佐賀河川事務所長から「関東ではマルシェや花火大会、ダムの水を使った観光放流まで実施されている」という情報が紹介されて、後に引けなくなり、「ダムとダム湖畔の今後の利活用のきっかけとなれば」との思いで、これらのイベントを組み込むことにしました。
これまで我々が続けてきた「ダムへの感謝の心」を継続することを願って、感謝祭の副題を「感謝の心を次世代に引き継ぐ」としました。
3.嘉瀬川ダム竣工10 周年記念感謝祭
(1)神事・感謝祭式典
感謝祭当日は、抜けるような晴天に恵まれました。地の神様から戴いた最高のプレゼントです。例年通り金比羅神社の宮司さんの進行により神事が進行します。祝詞奏上、多くの来賓の方々による玉串奉奠と続き、「白石もちすすり保存会」による餅つき・餅すすりを奉納して神事終了です。
感謝祭式典には現職の国会議員、国交省・佐賀県・ダム受益市町首長・議長、富士町関係者、ダム建設にかかわった関係者等の多くの参加者のもと、各機関の代表者によって感謝の辞、歓迎の辞、祝辞が述べられました。
2012年に竣工した嘉瀬川ダムは、10年間で2度の豪雨を受け止め、2度の渇水に耐え、治水・利水ダムとして機能しました。これだけ短期間にその機能を発揮したダムはそれほど多くないと思われます。感謝祭式典の最後に、嘉瀬川ダムを管理する工藤勝次佐賀河川事務所長が「10年間の嘉瀨川ダムの働き」と題する基調報告を行い、その働きを紹介されました。今年の利水調整を思い出して「嘉瀬川ダムがなかったと思うと・・」と話された白石町農業関係者の言葉が胸に残っています。
感謝祭終了後、地元富士町の「富士太鼓」の子どもたちが打つ太鼓の音が山々にこだましました。
(2)直来(なおらい)
今年も森の香菖蒲御膳、白石町関係者の協力で地元食材を使った料理がふるまわれ、多くの人が舌鼓を打ちました。白石タマネギを使って富士町の菖蒲御膳の皆さんがかき揚げを振る舞う、上下流交流が生み出した味です。地元建設会社の方がふるまわれた焼き芋にはイベント最後まで長蛇の列が続いていました。
(3)10周年記念感謝祭関連イベント
■イベント1:ダム監査路見学
感謝祭のチラシに「ダム堤内見学会」を掲載していたことから、「予約の方法を教えて下さい」「予約をお願いします」等の問い合わせ、申込が相次ぎました。当日ダム中央のエレベーター前で随時受け付けて、班ごとに見学を行いました。総数、400 名を超す見学者があり、今回の感謝祭で最も人気のイベントでした。
■イベント2:ダム関連展示&上下流交流
嘉瀬川ダム事務所会議室、テラスに加え、ダム天端通路にテントを立てて、嘉瀬川ダム治水利水機能展示、ダム関連市町の特産品販売を行いました。
佐賀河川事務所はダム紙模型製作、ダム模型を用いたダム機能の展示説明、NPO 法人嘉瀬川交流軸は成富兵庫茂安の治績展示、NPO 法人有明海ぐるりんネットの有明海写真展展示、地元観光協会によるダム水没地絵画展、ダム写真展等が行われましたが、子どもたちに一番人気だったのはNPO 法人みんなの森プロジェクトが提供した「森の実りを用いたグッズ制作」です。枯葉やドングリや松ぼっくりなどの森の実りを小さな飾りに作り上げるテントには子どもたちの真剣な眼差しが並んでいました。
また、しゃくなげの里、小城市ホタルの郷、道の駅しろいし、多久市環境協会、だいちの家などの団体が持ち寄った町の農産物や特産品には、売り手と買い手の会話と笑顔が溢れていました。ここでも上下流交流と受益市町間の横の交流が実現しました。
■イベント3:ダムの利活用の可能性を探るイベント
ここまでは第5回嘉瀬川ダム感謝祭で経験済みだったので想像できるイベントだったのですが、「ダム利活用の可能性を探るイベント」はこれまでに経験したことのないものだったので手探りの経験でした。
スタートは亀園前佐賀河川事務所長の「ダムの放流をしましょう。調整は私の方でやります」の一言からです。前所長が本省に在任中、関東で行われたダム祭で経験したというのです。乗らない手はありません。
「ダム放水とライトアップ」は手始めに次々とアイディアが提案されます。「花火は古湯・熊の川温泉コンベンション連盟の責任で実施します」「ミスジャパン佐賀のアテンド企画は?」「嘉瀬川ダム一周のジョギング大会を実施しては」「アウトドアショップベースキャンプに商品展示と販売をお願いしたい」「土木の日に合わせてクイズ大会を実施しては」「シノエ・ジャズコンサートを開きたい」「佐賀西高校の書道部に『水恵無限』と書いてもらうのを映像にとって映したい」
どれもこれも雨が降ったら中止にしないといけないものばかり。「晴れることを信じて」全部実施する決断をしました。そして当日は抜けるような晴天、「実行委員長の日頃の行いが良かったからだ」と言い張ることにしています。
写真- 9に写る女性達は、さが水ものがたり館で「ビューティーキャンプ」のトレーニングに励んできた若者達です。「嘉瀬川ダム湖畔で彼らのパフォーマンスを見てみたい。」私の夢がかなった瞬間です。
次々とイベントが続き、周囲も暗くなって最大のイベントが近づいてきます。夕方6時から放流の開始です。ダム下流面がライトアップされ、頂部に近いオリフィスゲートから放流され、水しぶきが上がります。「3回はやりたい」と企んでいたのですが「渇水調整」を続けた嘉瀬川ダムにその体力はなく、1回だけの放流になりました。
最大のハイライトは、地元団体から資金提供された花火の打ち上げです。何発もの花火が夜空に開き、轟音が山間の湖面に轟渡ります。平地で見る花火とは別種の感動でした。
4.おわりに
今年の感謝祭は、「感謝の祭り」に「ダム湖畔・湖面の利活用の試み」を加えたものにしました。まだ手探りの段階ですが、きっかけはつかめたと思います。課題は「どうやって次世代は継承するか」です。模索は続きます。