一般社団法人

九州地方計画協会

  • 文字サイズ
  • 背景色

一般社団法人

九州地方計画協会

  •                                        
宮内原用水の二穴式隧道群

第一工科大学       
工学部自然環境工学科 准教授
本 田 泰 寛

キーワード:選奨土木遺産、農業用水路、隧道

1.はじめに
令和二年度土木学会選奨土木遺産に,土木学会西部支部からは2件が認定された。一件は熊本県八代市の「八代の石造干拓施設群(熊本県八代市)」であり、もう一件は「宮内原用水の二穴式隧道群(鹿児島県霧島市)」である。前者は、全国屈指の干拓事業である八代干拓のために江戸期から昭和期にかけて建設された樋門群や堤防が現存し、干拓の歴史を今に伝えている点などが評価された1)。本稿では、同じく江戸期の土木技術を今に伝える土木遺産として評価された、宮内原用水の二穴式隧道群を紹介したい。

2.宮内原用水と隧道群
(1)用水路の開削2)
薩摩藩では、17 世紀半ばから各地で新田開発がおこなわれるようになる。これに合わせて水路が開削され、各地で大規模な開田事業が展開された。鹿児島湾に面する国分平野では、1661(寛文元)年から東側地域における開田が進められる。それから遅れること40年余り、国分平野のほぼ中央を縦断する天降川の水を頼りとして、1711(正徳元)年から西側地域における開田が開始された。この時に開削されたのが宮内原用水路である。
天降川の西側は東側に比べると5m ほど高くなっているため、取水口は河口から10㎞以上上流の山間部に設けざるを得なかった。取水口の堰堤付近に転がる岩石群は、施工時の苦労を物語っているようである。工事を企画し、藩に対して許可を願い出たのは、当時の群奉行であった汾陽盛常(かわみなみもりつね)である。着工前に汾陽らによって作成されたとされる工事計画書には「資金投入と出来高そして採算、灌漑地の土地柄、取水の場所、水量、灌漑範囲、工事期間、工事難所の予定工法・・・」が記されており、周到な計画のもとで事業がすすめられたことがわかる。工事開始から5年後の1716(正徳6)年、宮内原用水が完成し、約430ha の灌漑が実現した。

(2)二穴式隧道群
総延長約12㎞(現在は延長され20.29㎞)の水路には12の隧道が通されたが、このうち9つが通常とはやや異なる方式でつくられている。通常、用水路が障害を通過する必要がある場合には、写真- 1 に示すような隧道を設ける(一穴式)。ところが、宮内原用水では写真- 2 のように2本の隧道を並置する構造となっている(二穴式)。この構造は今のところ宮内原用水のほか、鹿児島県出水市に残る五万石溝で確認されているのみであり、農業用水路の隧道としては珍しい構造である。
通常であれば1 本で済むはずの隧道をわざわざ2 本も掘るような方式がなぜとられたのか、その理由を示す文献は残されていない。しかし、現況を観察すると江戸期の土木技術の一端を垣間見ることができる。

写真1 一穴式隧道

写真2 二穴式隧道(鼻んす)

3.隧道の保存状況
完成から300年以上にわたって利用されている水路であるが、隧道群には補強が加えられているものも見られる。
(1)素掘り
二穴式隧道群の中には、施工当時の状態にきわめて近いと思われる素掘り状態の坑口も数か所残されている(写真- 3)。また、坑口付近はコンクリートなどで補強されていても、奥に入っていくと素掘りの状態が残されている隧道も見られるが、小規模ではあるが崩落している箇所も数か所確認できた(写真- 4)。

写真3 素掘り隧道の坑口

写真4 素掘り隧道の内部

(2)レンガ
やや特徴的な例として、「第七號隧道」と呼ばれる隧道の下流側の坑口があげられる(写真-5)。ここは隧道群の中で唯一、レンガを用いた補強がなされている。その理由は、おそらく鉄道網整備が関係していると考えられる。
この隧道の上には1903(明治36)年に開通した肥薩線が通っているが、これが隧道上に差し掛かる直前にかかる跨線橋には、隧道坑口と同じデザインパターンのレンガ造が用いられている。上流側はコンクリート補強となっていることを考えると、軌道直下の隧道で崩落が起きてしまわないよう、鉄道整備と併せて隧道も補強されたものと推察される(写真- 6)。

写真5 第七號隧道下流側の坑口

写真6 第七號隧道内部

(3)モルタル吹付
隧道群の中で唯一、霧島市の文化財となっている「内山田の鼻んす(写真- 2 参照)」は、モルタル吹付によって補強されている。岩盤の風化による崩落を防ぐためにこのような方法がとられたものと思われるが、補強直前の隧道の状態が保存される結果となっている。
写真ではややわかりにくいが、隧道断面は完全な半円ではなく、やや外側に向かって変形している様子が見て取れるが、2つの隧道を隔てる柱周辺は応力状態の変化によって崩落が起きやすくなるため、なるべく柱に厚みを残しつつ掘り進めた結果このような形態になったのではないかと考えられる。

(4)コンクリート
隧道群のうち、最も多くみられるのがコンクリート補強で(12 の隧道のうち、8 つ)、昭和20年代に実施された大規模な改修工事によるものである。坑口上部には扁額が設けられ、隧道名と完成年が記されている(写真- 7)(写真- 8)。
一見すると味気ない構造物に見えるが、扁額には毛筆風の書体が用いられ、二つ並ぶ坑口の上部には外観が単調にならないためであろうと思われるが、小さい段差がつけられており、陰影によってうっすらと水平なラインが見えるなど、さりげないデザインへの配慮を見ることができる。

写真7 コンクリート補強の一例

写真8 第一號隧道の扁額

4.二穴式が持つ合理性
(1)崩落対策と水路幅の確保
トンネルの安定には地山の地質と土被り厚が重要である3)。内山田の鼻んすは、モルタル吹付により全体的に補強されているが、地山が露出している場所では溶結凝灰岩が風化し、崩落が進行していることが確認できる。このような条件のもとでスパンが大きくなる一穴式の隧道を掘ろうとすると、崩落のリスクが高くなってしまう。これを避ける直接的な手段は、隧道のスパンを小さくすることであるが、同時に水路幅も小さくせざるを得ない。そこで、スパンが小さく崩落のリスクが小さい隧道をふたつ並置することで、一穴式と同等の水路幅が確保されている。二穴式隧道は、強度が不十分な地山において,土被り厚とトンネル幅(水路幅)を同時に確保するという両立困難な条件を満たすためのアイデアであると言える。

(2)通水機能の担保
用水路が崩落し通水機能が途絶えることは農業を基盤とする地域社会全体にとって致命的なことであるが、隧道を2穴式としておくことで、仮に片方の隧道が崩落したとしても、用水路の機能を完全に失うことなく水の供給を継続することができる。当時の関係者がこのような明確な意図を持っていたのか定かではないが、地質条件に従った結果考案された二穴式という方式は、一時的とはいえ想定されうる問題に対応できるような機能を備えるに至ったと言うことができる。

(3)施工効率
施工を考えたとき、一穴式と二穴式の大きな違いは断面積に見ることができる。図- 1 に示すように単純化して考えると、二穴式とした場合の隧道の断面積は、一穴式の場合の二分の一となる。これと同時に、断面積を小さくすることによって施工中の崩落のリスクも低減したと思われるため、掘削のための作業効率の向上も期待できたのではないかと考えられる。ただし、隧道同士の離隔距離が狭くなる(=中央の柱部分が細くなる)と崩落の危険が高まるため、注意を払いつつの掘削は避けられなかったのではと想像される。

図1 二穴式隧道の模式図

5.おわりに
(1)二穴式隧道群が伝える技術
このように、宮内原用水路の二穴式隧道群は、完成から300年以上にわたって国分平野の発展を支えてきた現役の土木遺産である。江戸期に完成した当時は、いずれの隧道も素掘りであったと思われるが、先に見たように煉瓦、モルタル、コンクリートといった様々な方法で補強がなされている。完成当時の状態がなるべく多く保たれていることが重要である文化財として考えると、このような補強方法には様々な意見があるだろうと想像される。しかし、ここまで見たような「二穴式」そのものに着目してみると、たとえ材料に変更が加えられていたとしても、江戸期の関係者が試行錯誤の末にたどり着いたであろう独特なアイデアは、しっかりと現代に受け継がれていると言えるのではないだろうか。
しかも、ノミの跡が残っている江戸期の素掘り、鉄道整備の歴史すら物語る明治期のレンガ、昭和期の大改修の成果であるコンクリート、そして平成に実施されたモルタル補強というように、これらの二穴式隧道群は、宮内原用水を機能させるために各時代に行われた隧道補修技術の変遷がそのまま残っているとも言える。

(2)鉱山技術の移転
同じ霧島市には、江戸期には日本屈指の産金量を記録した山ケ野金山の遺構が残るが、坑道跡には二穴式隧道と同様の構造が見られる(写真- 9)。
鉱山技術が用水路の隧道掘削へと応用された例はいくつか見られることから、宮内原用水の二穴式隧道群は、近世の地域開発における創意工夫や技術転用の様子を今に伝える貴重な土木遺産でもある。

写真9 山ケ野金山坑道跡(有川氏提供)

(3)地域における役割
今回紹介した土木遺産は、地域住民の日常生活と密着しており、水路全体は土地改良区、受益者、周辺地域の自治会など多様な組織によって維持管理活動が展開されている。さらに、県内小学生の地域学習教材としても活用されており、単なる技術的な価値だけでなく、地域住民の暮らしそのものに密着した土木遺産でもある。

謝辞
宮内原用水の隧道群の調査にあたっては、宮内原土地改良区の町田様、迫様、濱田様には多大なるご協力をいただきました。また、霧島市文化財保護審議会委員の有川様には貴重な資料提供と多くのご助言をいただきました。ここに記して感謝いたします。

【参考文献】
1)田中尚人:八代のまちをつくった石造土木構造物、九州技報No.68、pp.122-123、2021
2)宮内原土地改良区:『宮内原用水300年のあゆみ』、平成24年
3)本田ほか:農業用水隧道「鼻んす」の保存に向けた技術評価、土木史研究講演集Vol.39、pp.1-5、2019

上の記事には似た記事があります

すべて表示

カテゴリ一覧