くまもとアートポリス’92
熊本県知事
細 川 護 熙
1 行政として残せるものは文化
私は,行政として後世に残せるものは,結局,「文化」しかないのではないかという認識を強く持っています。
これまでの行政は機能一点張りで,兵舎のような学校や公営住宅を建て,川という川は排水路のようにコンクリートで固め,白砂青松の海岸にはテトラポットを埋め込んでしまうというようにハードウェア面ばかりを考え,効率のみを考えてきました。そしてさらには「耐用年数が来たから取り壊します。」というのが普通だったのです。
その点,欧米においてはパリでもミラノでも,本当にいいものを,歴史の風雪に耐え得るものを文化的資産として残そうという意識が強く感じられます。
フランスの新オペラ座,ポンピドーセンター,ラ・ビレット公園,オルセー美術館等々,斬新なものが将来を充分意識しながら作られています。セーヌ川にかかっている橋には,橋桁の裏にまで彫刻がほどこしてありますが,昔のものだけでなく現代でもその努力が続けられているのは,古えからの「文化を残す」という伝統が現代も人々の心の中に生き続けているからだと思います。
我々も,一つの時代を彷彿とさせるものを残すという気構え,後世にどのような文化的資産を残すかという意識を持って,行政に当たらなければならないと考えています。
2 文化がソロバンに合う時代
最近では地域の活性化ということで,各地が企業誘致や産品づくりにやっきになっていますが,地方にとってこれからめざすべき産業は,「集客産業」,「地域づくり産業」だと思っています。如何に人を呼ぶかであり,その地域が如何に魅力的で刺激的なものを提供できるかであろうと思います。商品開発においても,その商品にどう文化的な付加価値を与えるかに知恵が絞られていますが,地域開発においても同じようなことがいえるわけです。
熊本にシャレた町並みがある。いい芝居が見れる。いい音楽が聞けて,おいしいグルメもある。子ども達にも,東京に負けない教育を受けさせることができる。そんな地域づくりをやったら,人や企業は自づと集まってくるものです。
これからは文化も十分ソロバンに合う時代だと思います。「産業」をベースにした地域の活性化から,「文化」をベースにした地域の活性化へと発想をどう変えるかということが,新しい地域戦略のポイントになると思うのです。
3 魅力ある「田園文化圏の創造」をめさして
本県では,魅力ある「田園文化圏の創造」ということを目標に掲げ,熊本らしいまちづくりを進めています。これは,「偉大なる田舎の創造」といいかえてもいいのですが,東京や大阪などの大都市にはない緑豊かな空間のなかで知的な興奮が得られ,多彩な人材がそこに集まる,そのような生活空間の場を作ろうとするものです。
その実現のために,緑豊かな「全県土公園化」を目指しての「緑の3倍増計画」や,公共事業費の3%を緑化に注ごうという「緑の3パーセントシステム」を導入したり,一村一森運動などを積極的に展開しています。さらには,「熊本県景観条例」,「熊本県屋外広告物条例」を制改定するなどして,多方面から取り組みを展開しています。
これから御紹介する「くまもとアートポリス」も,魅力ある「田園文化圏の創造」を実現していくための,熊本の新しい試みです。
4 西ベルリン国際建築展をヒントに
昨年,西ベルリンで開かれた国際建築展(IBA:Internationale Bauausstellung Berlin)を見てまいりましたが,世界中の超一流のスター建築家を集めての建築群は素晴らしいものでした。それは集合住宅を主にしたものでしたが,これにヒントを得て,もっと広く公営住宅,公共施設から建築物はもとより,公園,橋,さらには公衆トイレといったものまで含めて,環境デザイン,環境文化の観点からの「まちづくり展」のようなものができないかと考えました。
環境デザインに対する人々の関心を高め,都市文化,建築文化の向上を図るとともに,文化情報の発信地としての熊本を作ることを目標にして,「くまもとアートポリス」を計画することにしたのです。
そこでは,それぞれのプロジェクトについて,国際的な建築家やデザイナーがその持てる才能,アイデアを結集して,後世に残しうる文化的資産を創っていくことをめざしています。
個々のプロジェクトは全体から見れば点的なものにすぎませんが,その点のそれぞれが周囲に波及効果を与え,点から線へ,線から面へと環境デザインというものへの認識が広がることを狙っています。そうすることによって,新たな今の時代の文化が形成され,そして後世に残っていくと考えています。
5 4年に1回,国際建築展
この「くまもとアートポリス」では,一つのイベントとして国際建築展を開催することにしており,第1回目として1992年に「くまもとアートポリス’92」を予定しています。そこでは4年間の集大成を県民をはじめ,国の内外の方々に見てもらおうと考えています。
県下全域に渡って実施されるプロジェクトについて,見学コースを設定して見て頂きたいと思っており,その中には,既存施設のいいものも含めたいと考えています。
今後の4年間で20~30の新しい施設ができると思いますし,その後も4年に1回ぐらいで国際建築展を開いていけばと考えています。
6 和魂洋才
「くまもとアートポリス」で積極的に進めたいことの一つに,外国人建築家,デザイナーの起用ということがあります。
最近,日本旅館に泊りたいという外国人の旅行者が多いと聞きますが,それでも和式のトイレは苦手のようで,これにはやはり,日本的な建築と洋式のものとを混ぜ合わせてやるという感覚,和魂洋才とでも言うべきものが必要だと思っています。国際化と言われる時代において内も外もないわけで,むしろいい意味での刺激になると考えています。
また,内外の一流建築家やデザイナーを起用することは,そのデザインが必ずしも県民の好みに合わないという心配も生じます。むしろデザインのレベルが上がれば上がるほど,反対に賛否両論が渦巻くものとなることが予想されますが,それはそれで歓迎すべきことだと思いますし,フランスのポンピドーセンターのように,そのくらい話題になるようなものを作って頂きたいと思っています。
そうすることによって,いままでは東京でしか享受できなかった文化というものが地方でも話題になり,さらには,熊本に行けば各種の文化の最先端のものが見られるということになればと期待しているのです。
7 コミッショナー「磯崎 新」
環境デザイン,建築文化といったものについて,より高いレベルのものを創り出していくためには,企画,運営もそうですが,どういう建築家に依頼するか,特命かコンペかといった数多くの問題について,全体的な調整役としての専門家の参画が欠かせません。そこで,「くまもとアートポリス」では,コミッショナーとして建築家の磯崎新氏に,アドバイザーとして熊本大学工学部の堀内清治教授にご協力をお願いしました。
個々のプロジェクトの設計には,世界的な有名建築家をはじめ今売出し中の若手建築家,将来を嘱望される新進気鋭の建築家も国の内外を問わず,また地元からも積極的に起用して面白いものを作っていただきたいと考えているのです。
設計者を選ぶ場合には,その選択方法もふくめてコミッショナーが推薦を行うこととしており,必要に応じて助言等を行うことにしています。
8 設計料はケチらない
よりレベルの高い設計,デザインをしていただくためには,設計しやすい条件を整備することが必要です。そのためにも「くまもとアートポリス」では,設計における入札は好ましくないと考えています。才能,アイデアを買う設計というものにおいて,安い人にお願いしますというのは全くおかしい話です。設計委託料の算出に当たっても建設省告示1206号を守ることにしていますし,また設計期間についても十分な期間をとることを原則としていて,良好な設計条件の確保を行うこととしています。
設計料が多少高くなっても,いいものが出来ればそれは長期的に見た場合には,そこに多くの人が集まって来るとか,長期的にわたって使用に耐えうるものができるとかいった面で,決して割高だとは言えないことになります。「安物買いの銭失い」にはなりたくない訳で,その為にも委託料と委託期間をケチってはならないと考えているのです。
9 「篠原一男」の警察署
今年度から「くまもとアートポリス」をスタートしたわけですが,すでに事業化しているプロジェクトが何件かあります。
第1号は熊本北警察署の改築工事です。これは熊本市の中心部に位置する本県最大の警察署であり,第1号にふさわしいプロジェクトとして,篠原一男さんにお願いしています。あの東京工業大学百年記念館を設計された篠原さんの手による警察署が,どのようになるかおおいに期待しているところです。
ほかにも三角港のフェリーターミナルを葉祥栄さんに,県営住宅保田窪第一団地を山本理顕さんにというように,現在7件のプロジェクトが進行中であり,他に検討中のものも数件あります。
10 民間からの参画に期待
今のところまだ県か市のものばかりですが,民間の方々にも事業主として参加をしていただけないかと,パンフレットを持ってお願いに回っているところです。文化の最先端をめざし,世界への情報発信地「熊本」をめざす「くまもとアートポリス」の主旨に賛同していただける民間企業は多いものと期待しています。
多数のプロジェクトが進行していけば,環境デザイン,建築文化といったものの先進地になることができるわけで,「原宿」よりも「熊本」の方が面白いという話に将来なっていくなら非常にいいと思っているのです。
「くまもとアートポリス」は全国でも例のない取組みで,試行錯誤のところもありますが,こんなことを考えてみたらどうかというような話があれば,ぜひ聞かせて頂きたいと思っているところです。