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描かれた博多港-戦後の港湾整備を中心に-
石橋知也
1.はじめに
元来、港湾空間は臨海都市への玄関として機能してきた。福岡市域の地先に広がる博多港はその地理的特徴をいかし、古来より東アジア諸国との文化交流の接点として重要な役割を担ってきたことはよく知られている。今日では中国からの大型クルーズ船が定期的に着岸するようになり、福岡市を九州地域の観光活動の入り口に位置づけるなど、国内外から注目を集めつつある(写真- 1)。港湾空間の機能は様々あるが、博多港は福岡都市圏ひいては九州地方の物流や人流の結節点として機能している。
しかしながら、博多港の歴史をひもといてみると、もしかしたら、現在の博多港が全く違った様相になっていた可能性があったことをご存じだろうか。本稿では、現在の博多港が「成った」過程について、特に戦後の港湾整備を中心に整理しつつ、その時々で「描かれた博多港」についても触れてみたい。

2.戦前から戦後にかけての博多港
そもそも博多港は地理的にみると、福岡平野を流れる複数の河川から供給される土砂が堆積するために遠浅の港になっている。つまり、自然なままでは大きな船が港に近づくことはできないため、人工的に航路や岸壁を造る必要がある。近代以降、博多港を開発することは重要な事業であったものの、極めて制約が多く、困難な状況が続くこととなる。既報の研究1)を参照し、以下に時代ごとの要点を示す。
明治期には、民間による築港計画が盛んに行われたものの、博多湾の地形的な制約や資金面等の問題によって築港計画どおりに実際の工事が進まなかった。そのため、下関や長崎などの有力な港湾(天然の深掘り港)との格差が広がり、博多港は小規模な船溜にとどまっていた。
大正初期には、都市形態を商業から工業へ転換しようとする方針のもと、埋立による大規模な築港計画がたてられたものの、第一次大戦の影響で工事が中止となった。しかしながら、大正末期には、福岡市と民間が協力して博多港築港計画が本格化し、臨海部と市街地部を総合的に捉えようとする「海陸一体」の方針が示された。
昭和初期には、大正末期の博多港築港計画が引き継がれ、内務省直轄工事として本格的な港湾整備が開始された。内務省は博多港の特徴として、港口部に小島が点在する地形的影響で外波の浸入が少ない点、中国や韓国との地理的な近さが経済的に有利である点を指摘した。一方で、博多港を国策的に修築することについては、博多商工会議所(当時の名称)と福岡市とで協力して計画検討が進められた。その後、博多港修築工事が第二期まで行われるも、福岡大空襲によって第三期工事は中止となった。
戦後は、戦災復興計画によって都市部での土地利用や街路計画が推進される一方で、博多港は引揚援護港に指定されており、朝鮮半島や中国大陸の多くの人々を送迎するなどの国家的な使命を果たしている。また、1950(昭和25)年の港湾法施行をうけ、その2 年後に博多港の管理者が福岡市となっている。

3.博多港整備の転換点としての1960 年代2)
戦後の復興期を経て、1961(昭和36)年は福岡市において第1 次総合計画が策定された年となった。この計画は、西日本経済圏の中心都市としての地位にあった福岡市をより発展させるため、産業の体質を改善しつつ産業振興を図り、必要な官公庁、商社、工場を誘致する等の施策を打ち出したものである。特に、都市の臨海部には大規模な埋立造成をおこない、石油化学や機械製造等の工場を立地することによる重工業化が目指された(図- 1)。この背景には、工業都市として既に注目を集めていた北九州五市への追随を意識した福岡市政の方針があった。

1962(昭和37)年、北九州五市の合併への機運が高まる頃、西日本新聞社による「西日本都市診断」が実施された。この都市診断は都市計画、建築、土木といった都市に関連する専門家が都市の発展のための目標像を提示する試みであり、九州山口八県から選出された複数の都市が診断を受けている。福岡市における都市診断では先に策定された第1 次総合計画の内容を吟味することを目的とされ、診断結果の要点は次の通りであった。一つは都市臨海部の埋立計画については全面的に実施すべきではなく、実施計画を練り直すべきであるとの指摘、もう一つは福岡市には第三次産業の集積があり九州の「管理都市」としての発展可能性を有することから第二次産業に大きく依存する必要はないとの指摘である。一方、福岡市としては、北九州五市の合併機運の高まりに対して、福岡市の政令市指定への不安視が強まり、政令市が不可能であれば新産業都市への指定をも許容する考えを示しており、この時期までは第1 次総合計画策定以前からの工業重視の方針が貫かれていたものと考えられる。
1963(昭和38)年は、北九州五市が合併を果たし、九州初、福岡県内初の政令市指定を受けた年であった。これを契機に、福岡市は工業都市を追随することから都市機能の分業(都市ごとの特性の受容)へと方針を変化させることとなる。一方で、福岡市が政令市昇格をあきらめることなく、昇格の意向を国や県に陳情し続けていたことはこの期間の動きとして看過できない事実であろう。往時、地方の核を担う中枢都市において政令市指定を受けられるかどうかは、都市としての死活問題であり関心事であったことは言うまでもない。
1964(昭和39)年、福岡市は大規模地方開発都市の指定を受けており、このことが福岡市の工業偏重を脱する決定的な出来事となった。1962 年に全国総合開発計画が閣議決定され拠点開発構想が謳われており、三大都市圏(関東、関西、中部)の外部経済の集積を受けにくい地域の発展を可能にするために各地方(九州、中国、東北、北海道)の中枢主導的な役割を果たす都市を大規模地方開発都市として位置づける国家施策である。福岡市はこの指定を受けることによって、重工業化を目的とした臨海工業の誘致等が困難となり、代わりに九州地方の行政・経済・文化等の中心となり、外部経済を福岡市に取り込むといった都市発展の方向性を明確化することにつながっている。
1965(昭和40)年には第1 次総合計画が大規模地方開発都市としての役割に対応できる施策ではないことを受け、改定の動きが本格化した。
1966(昭和41)年には、第2 次総合計画が策定された。この計画には「管理中枢都市として福岡市の向かうべき道は、自ら明らかである。都市機能の充実を第一義とし、旧来の工業化偏重を避け、文化・教育を含む第三次産業を中軸とする都市型工業への特化、開発に力点を置くべきである」「今後ますます要請されるのは、「管理中枢都市としての機能」の充実である。管理中枢都市とは、地域全体の生活・生産の諸機能をより円滑に高度化する管理調整の中心的な役割を果たす都市という意である。同時に豊かな市民生活が内包されている事実を、地域全体にモデルとして効果展示しなければならない」と記載されている。この後の福岡市の総合計画改定の動きのなかでも、工業化は謳われず、管理都市機能の強化、西日本の中枢都市、さらにはアジアにおける交流拠点都市としての発展が目指されることとなる。
以上のように、1961 年から1966 年というたった5 年間の福岡市政の動きのなかで、西日本新聞による都市診断結果(1962 年)、北九州市の政令市指定(1963 年)、福岡市の大規模地方開発都市指定(1964 年)がターニングポイントとなり、博多港整備の方針を現在の商業や物流を主流とするものへと大きく転換させたことがわかる。

4.博多湾の海岸線の推移
ここでは、博多港を含む博多湾全体の海岸線の推移(図- 2)について述べる3)。[ Ⅰ ] は埋立整備前の状況である。[ Ⅱ ] は明治期から昭和元年代を示しており、船舶の大型化に対応するため1908(明治41)年に博多船溜(博多中学校グラウンド付近)、1910(明治43)年に福岡船溜(現西公園下)に関する埋立がなされた。[ Ⅲ ] は昭和10 ~ 20 年代であり、既に埋立着工していた中央ふ頭に続き、東浜・須崎ふ頭の埋立が着工された。また1936(昭和11)・1939(昭和14)年に西・東防波堤および灯台が設置、1941(昭和16)年には中央ふ頭岸壁の供用が開始されている。[ Ⅳ ] は昭和30 ~ 40 年代を示しており、1952(昭和27)年に福岡市が港湾管理者になったのを機に、現在の臨海部の骨格を形成する須崎・博多・中央・東浜・箱崎ふ頭ならびに福浜地区の埋立が進み、最も大きく海岸線が変化した時期であった。[ Ⅴ ] は昭和50 年代以降の状況で、港湾関連用地の重点整備に加え、1986(昭和61)年のシーサイドももち、1988(昭和63)年の西福岡マリナタウン等の住宅用地の造成も進んだ。さらに1998(平成10)年の香椎パークポート、2000(平成12)年のアイランドシティにみられる物流の大型化・国際化に合わせた拠点整備が進められている。以上のように、博多湾の海岸線の推移は大きく5 段階に整理できた。

5.描かれた博多港
ここでは、戦前と戦後に描かれた博多港を中心としたある種の構想図について触れる。
第一に「二十年後ノ大福岡構想図(図- 3)」4)である。この構想図は、1943(昭和18)年に、博多商工会議所(現、福岡商工会議所)貿易部会(部長小田喜七郎)が福岡市港湾、商工両課および市立博物館の協力を得て作成したものであった。同会議所が福岡県の後援を得て行った大規模な展示会にて市民に公開されている。20 年後にあたる1963(昭和38)年の福岡市の都市機能はこのように変貌しているという夢をはらんだ未来図が細密な筆致で画かれた。
特に注目される点を列挙する。「市区を八区に整備し香椎、姪浜にも区役所を設置していること」、「博多駅を後方(ほぼ現在地)へ移転しそこから各鉄道を放射状に走らせていること」、「那珂川、石堂川、多々良川を浚渫して博多湾の水を引き入れ比恵と簑島を結ぶ線に運河を掘って三つの川を連結、更に筑後川運河を比恵川との間に開掘していること(これより福岡市東南方の運輸は水陸縦横に連結を果たすことができる)」、「残島(現在の能古島)と姪浜の双方から突堤を築き、中央を開閉橋として陸路をもって同島と連絡できるようにしたこと」等である。
このように、本構想図は同会議所にとって重大な行事の肝となる展示物であると同時に、当時の市民に与えた影響も大きかったものと推察される。市区制や博多駅の後方移転などは、決して絵空事の構想ではなく、当時、実際に議論が進められていた話題であり、本構想を支える基本的かつ重要な考え方であったことがうかがえる。

第二に「大福岡港鳥瞰図(図- 4)」である。この図は、1949(昭和24)年に著された『大福岡市の構想に就て』という文献5)に折り込まれたものである。この文献は、運輸省技官・博多港工事々務所長であった太田尾廣治によって発行され、太田尾が2 年間にわたる同所長の経験を踏まえまとめた福岡市の将来構想についての私論である。詳細は既報の研究6)に譲るが、この私論はのちの博多港の港湾整備計画に一定の影響を与えたと言われている。「大福岡市の展望」の章では、船が博多湾に入港するところから都市をシークエンス的に描写し、当時主要な産業とみなされた加工工業の立地の様子、宅地や道路や公園の風景のイメージ等、30 年後の福岡市を「夢想的に鳥瞰」したものであった。
具体的にこの図から確認できることとしては、「都市部には街路網のほかに水路が細かく張り巡らされ、かつその付近に加工工場が立地していること」、「現在の博多駅付近に福岡中央駅が置かれその背後には大規模な中央公園が設置されていること」、「臨海部には官公庁や商業施設の集積が認められること」、「能古島には姪浜と今津の2 箇所から橋が延びていること」等が挙げられる。また、「博多港の五ヶ年計画」の章の「地割計画」の項目において、従来から取引のある貨物に対して優先権を与えること、大陸との連絡旅客航路との関連を考慮すること、加工貿易に関連して鉄道や水路等を強化すること、などが指摘されている。
どちらの構想図も海辺と都市部を一体に捉え、非常に大胆ではあるものの、どこかわくわくさせられる思いのこもったものに見えるが、皆さんにはどのように映っただろうか。

6.おわりに
わが国の臨海部の開発の「一般的な」流れといえば、明治期以降の工業化を目指した海岸部の埋立に始まり、1962(昭和37)年の全国総合開発計画によってさらに臨海部の工業化が推進される。その後、それまでの倉庫や工場などの利用形態を商業・業務・居住へと変更していく、いわゆるウオーターフロント開発がなされるのは1980 年代である。
しかしながら既に述べたとおり、福岡市における臨海部(主に博多港)の開発は、1960 年代中頃において臨海部の重工業化から商業・流通を中心とする開発へと転換を図っており、これは結果的に大幅に時代を先取りしていたことになる。
福岡市は現在も人口増加中であり、三大都市圏に匹敵する勢いをもっているとよく言われる。実はその根幹をなすとも言える、都市の発展の方向性はこの1960 年代の大英断によって決まったと言っても過言ではない。
その都市基盤の要は間違いなく「港」であって、人やモノ、あるいは情報や文化などを出入り、交錯させてきた。にも関わらず、現状の福岡市は博多港を十分に生かしきれているのだろうか。
今回ご紹介した戦前戦後の構想図のような夢のある博多港の将来を歴史の流れや空間の履歴を踏まえつつ、皆さんで議論すべき時が来ているのではないだろうか。本稿がその際に少しでも参考となれば幸甚である。

参考文献
 1) 石橋知也:戦後期の福岡市政における臨海部開発の計画経緯と影響に関する研究,九州大学学位論文,pp.11-52,2014
 2) 石橋知也,柴田久:1960 年代の福岡市政の変遷にみる都市戦略のあり方に関する史的考察, 土木学会論文集D1,Vol.70,No.1,pp.1-15,2014
 3) 石橋知也,柴田久:対景図による海からみた港湾空間の景観的変遷に関する一考察,景観・デザイン研究講演集,土木学会,No.12,pp.309-315,2016
 4) 福岡商工会議所:福岡商工会議所百年史,pp.361-362,1982
 5) 太田尾廣治:大福岡市の構想に就て,福岡商工会議所,1949
 6) 前掲1),pp.87-108

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