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九州技報 第42号 トピックス
国営吉野ヶ里歴史公園「南のムラ」が開園
国土交通省九州地方整備局 国営吉野ヶ里歴史公園事務所 調査設計課長 松元勝美
はじめに
平成19年10月13日、佐賀県神埼市と神埼郡吉野ヶ里町に跨る国営吉野ヶ里歴史公園において、地元選出の国会議員の先生や佐賀県知事など約150人が見守る中、弥生の体験・体感エリア「南のムラ」が開園した。「南のムラ」の開園により弥生時代の吉野ヶ里環壕集落の復元が概なしたことになり、吉野ヶ里遺跡の保存と活用を図ってきた国営吉野ヶ里歴史公園としても非常に意義深い出来事であった。
まずは、国営吉野ヶ里歴史公園の成り立ちと概要、これまでの公園施設の整備について述べさせて頂き、今回開園した「南のムラ」の環壕集落内での位置付け等の概要、弥生人の生活を体感できる「弥生なりきりプログラム」を紹介する。

写真-1 開園式典

 
1 国営吉野ヶ里歴史公園について
1)公園の成り立ち
吉野ヶ里遺跡は福岡県と佐賀県の県境に位置する脊振山の南麓から佐賀平野に向かって細長く伸びた、長さ約4.5㎞、幅約0.6㎞、標高約7~20mの丘陵地に存在し、この丘陵地の尾根線上を佐賀県神埼市、神埼郡吉野ヶ里町の境界線が走っている。
この丘陵地は、以前より畑地開墾やみかん園造成などに伴い、甕棺(弥生時代の北部九州に見られる甕を2つ重ねて中に遺体をいれた棺)などの弥生時代の遺物が数多く出土していたため、80年ほど前より、地元佐賀や福岡の研究者に注目されていた。
この丘陵地に昭和56年、工業団地計画が持ち上がり、昭和61年からの工業団地開発に伴う埋蔵文化財発掘調査が行われ、その成果などから弥生時代(紀元前5世紀から紀元3世紀ごろ)の約700年という長い期間を通して、小さなムラが大陸の文化を取り入れ、やがてクニの中心へと発展する過程を教えてくれる極めて学術的価値の高い遺跡であることがわかった。発掘された環壕集落跡は日本でも最大規模のものであり、中国の史書「魏志倭人伝」に記された邪馬台国の様子を彷彿とさせるものとして注目を集め、平成3年5月には国の特別史跡に指定された。これを契機に国営公園化に向けた官民一体となった取り組みが強力に推し進められ、平成4年10月の閣議決定を受け、日本で2番目の国営の歴史公園である国営吉野ヶ里歴史公園が設置されることとなった。(1番目は奈良県明日香村の国営飛鳥歴史公園で、国営の歴史公園はこの2箇所のみ)
 

 

写真-2 発掘時の北墳丘墓と出土品

 

 
2)吉野ヶ里歴史公園の概要
国営吉野ヶ里歴史公園は国の特別史跡区域と佐賀県の史跡区域を含む計画面積約54ha(うち36.6ha開園済み)が国営公園である。また、国営公園の周囲には、国営公園と一体となって遺跡の環境保全及び歴史公園としての機能の充実を図るために計画面積約63ha(うち31ha開園済み)の佐賀県の県営公園が設置されており、総計画面積約117haの区域が吉野ヶ里歴史公園として整備されている。
吉野ヶ里歴史公園は基本テーマを「弥生人の声が聞こえる」とし、基本方針には「遺跡の保存と活用」、「魅力ある風景・環境づくり」、「国際交流の拠点として」、「地域振興の一翼を担う」、など7項目を掲げ、佐賀県・国土交通省が一体となって公園整備を行っている。        
 

写真-3 史跡区域図

 
2 これまでの公園施設整備について
1)遺構の保存方法
公園整備にあたっては、遺構面が損傷しないように発掘調査で確認された遺構面より30㎝以上の保存盛土を行い、その上に竪穴住居などの復元を行っている。                
 

図-1 遺構保存概要図

 
2)整備箇所
① 北内郭
現在開園済みの吉野ヶ里歴史公園の北側に位置する北内郭は、規則正しい二重の環壕に囲まれた空間であり、弥生時代後期に当時の支配者層が祭祀儀礼や政事を行う場であったと考えられている。主祭殿・物見櫓・高床住居など20棟の建物を復元している。
 

写真-4 北内郭

 
② 南内郭
北内郭の南に位置する南内郭は、環壕に囲まれた空間であり、吉野ヶ里集落の王などの支配者層が住んでいた場所と考えられている。竪穴住居・物見櫓など20棟の建物を復元している。
 

写真-5 南内郭

 
③ 倉と市
南内郭の西側に位置する倉と市は、海外との交易品や日本各地のクニ々の特産品が集まり、盛大な市が開かれたり、市で取引される品々が保管されていた場所と考えられている。高床式倉庫など引棟の建物を復元している。
 

写真-6 倉と市

3「南のムラ」
1)南のムラの位置づけ
今回新たに開園した国営吉野ヶ里歴史公園の南端に位置する「南のムラ」は、往時の吉野ヶ里環壕集落においても南端に位置し、祭祀儀礼の中心であった北内郭や、支配者層が住んでいた南内郭のように区域を囲むような壕などの特別な施設を持たない広大な空間である。このように吉野ヶ里環壕集落の空間配置は、北により祭祀的性格の強いものを配し、南に世俗的、生活的なものを配す「北上位」「南下位」という古代中国の考え方に影響を受けて作られているのではないかと推測される。また、竪穴住居3~4棟に対し、共同の高床倉庫1棟が付くという日本各地で発見された一般的な弥生集落と良く似ていることなどからも「南のムラ」には一般的階層の人々(魏志倭人伝で記述されている「下戸」と呼ばれる人々)が住んでいたと考えられている。
弥生時代の吉野ヶ里環壕集落では、祭祀を背景とした支配者層による政治・行政・経済的な活動が行われており、それらの支配者層の暮らしを物づくりや農耕などによって支えていたのが「南のムラ」に住む人々であったと考えられているのである。
2)南のムラの概要
「南のムラ」の全体面積は約10.8haであり、現在開園している国営吉野ヶ里歴史公園の約3割を占める。北側から南側にかけて傾斜しているため、現地においてムラの全体像を把握するためには、ムラの南側にある「祭壇」上から北側を望むのが最適である。また、公園北側の北墳丘墓、北内郭の主祭殿及び祭壇が一直線に配置され、その延長線上には雲仙普賢岳が位置していることから、当時の弥生人が何らかの理由により、慎重に場所を選びながら施設を配置したことが伺える。南のムラで整備された各施設については以下のとおりである。
 

写真-7 祭壇から望む「南のムラ」

 
① 復元建物
「南のムラ」には想定建物8棟を含む27棟の建物が復元されている。内訳は竪穴住居15棟、高床倉庫8棟、屋根倉2棟、平屋建物1棟、櫓1棟であり、総延床面積は700㎡となっている。
支配者層が暮らしていた北内郭や南内郭と、一般の人々が暮らしていた「南のムラ」との格差を表現するべく建物の材質や構造に下記のとおり違いを持たせている。
・高床倉庫や屋根倉の柱・梁・桁、竪穴住居の柱には雑木であるクリ材を使用した。(北内郭、南内郭の建物ではヒノキやスギ材を使用)
・建物の部材を北内郭や南内郭と建物と比べて細くした。
・高床倉庫などの壁は木の板でなく、萱の建物を多くした。
・建物の柱などの仕上げを北内郭や南内郭と建物と比べて荒くしている。
なお、竪穴住居の中には当時の生活感を出すために様々な生活用品などの展示を行っている。
 

写真-8 竪穴住居と展示の様子

 

 
② 畑
南のムラ地域の発掘調査では、後世の地形の改変が激しかったため、畑の遺構は確認されていない。しかし、周辺の植物遺体の花粉分析調査などから、畑で栽培するようなアワ、キビ、ソバ、豆類などがあったと考えられており、南のムラでも斜面地に復元した畑に栽培している。今後、畑では種まきや収穫などの農作業を公園利用者に体験して頂く予定である。
 

写真-9 復元された畑

 
③ 弥生くらし館
「南のムラ」には復元された建物だけではなく、都市公園的な利用のための現代的な施設である「弥生くらし館」の整備も行っている。弥生くらし館は南のムラの北東に位置し、延床面積1,013㎡の施設で、休憩室や吉野ヶ里遺跡から出土した土器などの復元作業を見学できる公開作業室、南のムラの暮らしを解説した映像、グラフィックパネルや模型の展示、トイレ、事務室、ウッドデッキ、体験工房を備えている。
体験工房は、最大収容人員300人で園内の倉と市で行われている体験プログラム(勾玉づくり、土笛づくり、火おこし)の雨天・夏季・冬季時のプログラム実施場所として利用される他、講演会、休憩所、雷発生時の避難場所など様々な活用を予定している。
 

写真-10 弥生くらし館

 
4 「弥生なりきりプログラム」について
1)プログラム誕生の背景
これまでの国営吉野ヶ里歴史公園では復元された弥生時代の建物を見て回るという利用形態が一般的であったが、今回開園した「南のムラ」ではこれまでと違い、復元された建物(ハード)と共に「弥生なりきりプログラム」というプログラム(ソフト)を導入して、公園利用者の方々に弥生時代の一般階層の人々の生活を体験・体感してもらう試みを実施している。このプログラムに参加する方々には、より弥生時代の生活に入り込めるように頭の先から足元まで弥生人を彷彿させるコスチュームを着て頂くようにしている。このため、プログラムに参加していない来園者もこの光景を見ることにより弥生時代を体感できるものとなっている。
 

写真-11 弥生なりきりプログラム衣装

 
2)プログラムの内容
弥生なりきりプログラムは4種類用意しており、それぞれ参加定員は2~10名、所要時間は90分、プログラム開始は10時、13時30分の1日2回、原則事前予約で実施している。プログラムに関わるスタッフは、弥生人が弥生人にものづくりなどを教える設定になっており、トークキャスト(導入の喋りや説明などの語り手)、テクニカルキャスト(技術指導など)で構成されている。このプログラムの活動主体は地域のボランティアである。公園の貴重な財産ともいうべきボランティアの方々は各プログラムの講習を受け、日々熱心に訓練に励んでおり、現在80名(平成19年10月時点)の方が登録されている。プログラムの参加費は300円~500円で参加者にはそれぞれ記念品を持ち帰って頂く。プログラム内容は以下のとおりである。
① 布つくり
麻の糸、絹の糸はどのように出来るのか、その糸をどのようにして染色していくかを説明し、古代機織り機、アンギン編み機を使って参加者と一緒に布を織る。
 

写真-12 布つくり

 
② 丸木舟つくり
参加者は直径1.2m、長さ6mの大木を木槌とノミを使用して丸木舟を削り出していく。完成までには1~1年半ほど期間が必要であり、完成したら公園内の池で進水式を行う予定である。
 

写真-13 丸木舟つくり

 
③ 楽器製作と演奏
ムラのお祭りの時に使った楽器を作り、楽器を演奏したり唄を歌ったりする。参加者は竹の楽器「棒ささら」を作り、「南のムラ唄」を覚え、唄と楽器を同時に演奏できるようになったら「舞いの稽古」と合流して合同パフォーマンスを実施する。
 

写真-14 楽器製作と演奏

 
④ 舞いの稽古
ムラのお祭りの時に歌った歌(今回新たに「南のムラ歌」を作曲)、お祭りの時に行った化粧をし、皆で歌ったり踊ったりする。
 

写真-15 舞の稽古

 
おわりに
「南のムラ」は復元建物の整備のほかにも畑などを整備し、想定される往時のムラの様子をリアルに再現、更にこれらを活用した新たな取り組みである「弥生なりきりプログラム」を導入し、来園者参加型の体験・体感の要素を追加している。また、このプログラムにはボランティアの方々に多大な協力を頂いていることから、吉野ヶ里歴史公園として新たな地域連携の時代に入ったことを予感させるものとなっている。「南のムラ」の整備にあたっては、他の土木施設の整備とは違い、ただ施設を整備すればよいというものではなく、その後の公園利用者の視点に立った有効活用までも視野に入れた総合的なマネジメントが必要であるとの思いを実感させられた。国営吉野ヶ里歴史公園は歴史公園整備・運営の試金石として今後も新たな取り組みに挑戦していきたいと思う。

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