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九州技報 第40号 巻頭言

偏屈人のたわごと

社団法人日本建設機械化協会 九州支部長 古川恒雄

円相場を聞いていると、いつも苛立つ。例えば「今日の円相場は、1ドル=116円で、前日の1ドル=117円と比べて、1円の円高となった。」と数字の上では「小さく」なったことを「高くなった」と言う。もちろん理屈は頭で判っているが、やはり日本語としてはおかしいと思う。だから「経済学者はなんて馬鹿な連中だろうか。」とか、「狡猾なやつらだ、経済学を難解であるかの様に偽装して。」などと、毒づきたくなるのである。この表現方法なら、むしろ円相場と言わず、「ドル相場」と言うべきであろう。
 「大きい数字」が「安く」て、「小さい数字」が「高い」こととは、日本語として自然ではないと思う。
 しかし「大」=「安価」、「小」=「高価」と言う表現方法に、私が知らない何か重大な利点があるのだろうか。もし、その理由をご存知の方が居られれば、是非教えて頂きたいと思う。
 ある物の価値を表すのに、その物の数で示す世界があると言うのだろうか。例を挙げると、「ガソリン価格は今日リッター125円で、昨日100円だったのと比べて25円高くなった。」と言えば済むところを、「今日1,000円で8リッター買えた。昨日の1,000円で10リッターに比べて、(数値は下がったのに)2リッター高くなった。」と言うようなものである。
 だから、円の価値を表すならドルなど他の通貨単位で示すべきだろう。
 同じ様な問題が我々の部門でもないだろうか。
 古い話で、且つ決着が付いた問題で恐縮であるが、「SI単位の導入」がそれに当たると思う。
 「重さ1N(ニュートン)に耐える」とは、どのくらいなのか直感的に判る人は少ない。
 ほんの限られた、例えば宇宙の彼方に出てゆく様な人達だけが必要だった事柄、重さと質量の峻別を、全人類に押し付ける必要がどこにあったのだろうかと。
 どうしても厳密さを守りたい人種に対しては、「地球表面上のみの適用」と付言すれば、普通の生活をしている殆どの人達は、元通り質量単位で表現出来たではないか。
 導入論者は、尺貫法からメートル法に換えた時と同じような感覚で、そのうち誰でも理解できると考えたのかもしれないが、重さと質量を峻別すれば、そうは行かない。我々は、kgやtで日頃生活しており、重力単位Nの実感を将来とも得られるとは考え難い。
 実際の現場では『Nは約10分の一』と、頭の中で一々キログラムに換算しながら使っているはずだ。しかし、とっさの判断で10で割る所を10倍するミスをしたら、とんでもない事になる。だから思い余って、クレーンの荷重だけは特別中の特別で、t(トン)を使って良いことになった。
 理論ではつじつまが合っても,人間の感覚に逆らうルールは有害ですらある。
 文書の山を築いて現場が遠くなった「ISO9000s」や、流失犯罪の減少兆候も見えず卒業生名簿すら作り難くなった「個人情報保護法」など、生活感から隔離しており、再検討が必要と考える。

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