一般社団法人

九州地方計画協会

  • 文字サイズ
  • 背景色

一般社団法人

九州地方計画協会

  •                                        
遠賀川へと注ぐ河口付近。新幹線や九州自動車道が川を横切る。(直方市)

取材・文  丸山 砂和
撮  影  伊藤 義孝

福岡と北九州。二つの都市の間に位置する直方市・宮田町・若宮町の3市町にまたがる犬鳴川。堂々たる流れは、犬鳴川(流路延長25.6km)八木山川(流路延長22.1km)のふたつの源流からなり、宮田町で合流し、犬鳴川として河口である遠賀川へと注ぐ。

一時は石炭産業によって汚染された両河川だが、流域に多自然型川づくりがすすめられた今では、さまざまな動植物が生息する、豊かな自然の流れがみごとに復活。地域住民の心に安らぎと潤いを与える、なくてはならない存在となった。

犬鳴川河川公園(宮田町)

犬鳴川河川公園には美しい彼岸花が咲いている。(宮田町)

木々が生い茂る上流の風景。遙かに見えるのは犬鳴大橋。(若宮町)

毎年夏には、宮田町でイカダ下り大会が開催される。

上流域・脇田温泉近くにある俳句の道。(若宮町)

遮るものがない、広々とした風景が広がる天神橋付近。(直方市)

犬鳴川河川公園。とにかく川周辺は緑が多い。(宮田町)

犬鳴川上流域(若宮町)

犬鳴ダムと犬鳴大橋を眺める若宮町からの風景。

澄んだ空気に包まれた八木山ダム周辺。(若宮町)

若宮町にある犬鳴ダム。周辺はドライブコースでもある。

激しい雨が降り続いている。ときおり山を突き刺す稲光に首をすくめながら、車の窓越しに濁った川の流れを追いかけた。犬鳴川。福岡に住んでいると、その存在はともかく、名前だけは誰もが1度や2度は耳にしているはずだ。犬鳴峠、犬鳴ダム、犬鳴山と流域にはいくつかのメジャーなポイントがあるし、何より、犬鳴という名称そのものに、ある種の魅力や、ただならぬ雰囲気を感じとってしまう。

ある種の魅力、あるいはただならぬ雰囲気。胸に抱いた気持ちにそのまま導かれるようにして犬鳴川の支流・八木山川の上流へと遡った。

両端に木々が生い茂る、ゆるやかにS字を描くカーブ。川と併走する道路は、どこにでもあるありふれた風景だ。にもかかわらず、その一本道は、地図には決して描かれていない(もちろん手元の地図には、県道471号線とはっきり記されている)、何かとくべつな場所へと向かうとくべつなルートのように続いていた。窓をいっぱいに開け、冷たく透き通った空気を思いきり吸い込んでみる。

草木をたたきつける雨は、車内にも容赦なく降り込んだ。雨に濡れるという感覚が妙に心地よく、懐かしく感じられるのは、人間もまた自然の一部であることの証なのだろうか。

それにしても、この雨によって育てられた植物たちがあまりにも元気に生長を続けているおかげで、先ほどから川の流れを一向に確認することができない。微かな気配を感じさせながらも、なかなかその姿を表そうとしない八木山川は、本当にそこに存在しているのか、そんな気持ちにさえなる。

犬鳴川の渓流沿いにこぢんまりと広がる風光明媚な山里の温泉・脇田温泉。効能は皮膚病やリューマチなど。川魚や山菜料理などが自慢の宿が軒を連ねる。(若宮町)

しばらく登りつめると、上流にある力丸ダムに到着した。

野外スケート場の存在で知られていたかつての力丸ダムは、冬場になると福岡市や北九州市から若者がどっと詰めかける人気のスポットだった。が、施設が閉鎖された今、当時のにぎわいを湖面の奥深くに沈めたダムの周辺は、ひっそりとした空気の漂う、豊かな自然と静けさを取り戻している。

ダムは、どういう自然の作用によるものなのか、ちょうど抹茶のようにうす緑色によどんだ水をいっぱいにたたえていた。今まで見たこともないような奇妙な色合いだ。どんよりと重たい雲がすぐそばまで降りてきていて、水面は周囲の木々の色ととまるで同化している。それはダムと言うより、おとぎ話の気配を持つ湖であり、幻に支配されている池でもあった。今、水面から妙な生きものがひょっこりと顔を出したとしても、なんの不思議も感じないくらい、それは現実離れしていて、けれども美しい光景だった。

もちろん、ダムはいつもこうではない。この日は悪天候ゆえのとくべつな日。そしてさっき通った県道471号線はやはり、とくべつな場所へと向かうルートだったらしい。

そしてこの日に限って、犬鳴川が用意したとくべつな姿に、運よく遭遇できたということだ。

ちなみに、この神秘的な響きを持つ犬鳴という名前の由来は、こうだ。

昔、付近の山でとある猟師が猟をしていた。が、連れていた犬があまりにもうるさくほえるため、獲物が逃げてしまうと思った猟師は、この犬を鉄砲で撃ってしまった。そしてふと頭上を見上げると、5mほどの大蛇が姿を現している。犬が鳴いたのは危険を知らせるためだったと知った猟師は、その償いに僧侶となり、山に犬の塔を建立。いつしか犬鳴と呼ばれるようになった……。

なるほど、である。

いこいの里千石は、千石峡などの川の風景を楽しめる野趣あふれるスポット。(宮田町)

夏場はあちこちで川遊びを楽しむにぎやかな光景を目にすることができる。(若宮町)

遠賀川へと注ぐ河口付近。新幹線や九州自動車道が川を横切る。(直方市)

犬鳴ダム奥には自然を生かした公園も。(若宮町)

雨が小降りになった。現実の犬鳴川に戻ろうと思う。

直方市・宮田町・若宮町。3つの市町にまたがる犬鳴川は、宮田町で八木山川との2河川に別れ、それぞれ上流にダムを設けている。犬鳴川には犬鳴ダム、八木山川にあるのが力丸ダム。

どちらの川の流域も、周囲はのどかな田畑や山で囲まれているが、その流れは雲の動きさえ早く感じられるほど、おっとりとゆるやかだ。

犬鳴川の上流から中流域にかけては、なしやぶどう畑が広がる果樹園があり、数件の旅館が軒を連ねるこじんまりとした脇田温泉があり、いくつかの滝やお寺がある。風光明媚な風景と人々の生活に、川はぴったりと波長を合わせている。

一方の八木山川上流域は、ごつごつした岩場の多い、どちらかといえば男性的な雰囲気。より上流へと向かうにつれ、濃い緑に囲まれて流れは切れ切れになるが、力丸ダムの手前にある千石峡あたりで突然目に飛び込んでくる川は、かなり透明度が高く、流れにも力強い勢いがある。

そして先ほどのダムとともに、もうひとつ印象的だったのは、河口付近の風景。犬鳴川は遠賀川水系に属し、河口はちょうど新幹線の線路や高速道路が突き抜ける直方市にあたる。

向こう岸がかなり遠くに感じられるほど川幅は広く、堤防沿いには背の高い草がサワサワ音を立てている。風景を邪魔する高い建物がないおかげで、川を中心に周囲を広く見渡すことができた。

轟音を響かせて目の前を通り抜ける新幹線と、とぎれることなく走り去る高速道路の車。あえてその速度に反発するように、スロウな流れを展開する犬鳴川。草や木のざわめきはあくまで風まかせ。それぞれのちぐはぐな時間軸によって、河口は独特の空気を醸す風景として、目の前に広がっていた。

川の始まりも川の最終地点も、犬鳴川は、不思議な宇宙だ。

活発な活動を続ける犬鳴川みどりの会のメンバー。(宮田町)

犬鳴川河川公園は、モダンな造りでも注目されている。(宮田町)

外国からも河川公園の視察に訪れる。(韓国からの視察団)(宮田町)

水生生物調査も定期的に行なわれている。(宮田町)

さて、大きな河川にはたいてい、川の環境保全のために地域の住民がボランティアで組織した会やグループが存在する。犬鳴川も、ちょうど中流域にあたる宮田町が「犬鳴川みどりの会」というボランティア団体をつくって川を守っているが、この会は数年前に、全国でも珍しい一大プロジェクトを立ち上げ、みごとに成功を収めた。

町制70周年を記念して計画された、犬鳴川河川公園の建設である。公園は、ちょうど宮田町の中心に位置する宮田町役場の前を流れる犬鳴川堤防に、約850mにわたって広がっている。青々とした芝生が茂り、歩道の脇には井戸水を使った、もうひとつの小さなせせらぎが心地よい音を立てる。等間隔で植えられた桜の木の間にはベンチや東屋が配置され、犬鳴川を眺めながら散歩を楽しむたくさんの住民の姿を目にした。

「河川には、国と町の複雑な管理・管轄の問題があって、堤防沿いにこのような公園を設けているところは、全国でも少ないのではないでしょうか。犬鳴川河川公園は、住民の意見を随所に取り入れて、行政と町民が協力し合ってできた手造りの公園。管理も私たち住民の手で行っているんですよ」

みどりの会は、企画・広報・公園計画などの5つの部会に分かれ、システマティックに組織されている。会長の笹栗一義さんは、会の発足後、運営スタッフとともに各地を奔走し、他の河川公園を見学したり、意見交換を行いながら企画や建設に尽力した。

そして今、町のシンボルとなった犬鳴川河川公園では、みどりの会が主催して、毎月一回の定例会や定期作業、春の「犬鳴川まつり」、秋の「芋煮会」その他「生物調査会」と季節ごとにさまざまなイベントを開催。夏には宮田町観光協会が中心となって「花火大会」を行っている。

「運営もどうにか軌道に乗ってきました。うれしいことに、河川公園やみどりの会は、これまでの活動が評価されて、いろいろな賞をいただいたり、表彰を受けているんです」

まちづくり自治大臣表彰、「みどりの愛護」功労者建設大臣表彰、「緑の都市賞」読売新聞社賞、手づくり郷土賞……いくつものメダルを抱えた、犬鳴川河川公園とみどりの会だ。

「実は犬鳴川は、昭和30年代頃、”ぜんざい川”と呼ばれていた時期があるんです」  石炭産業が盛んだった頃の話だ。日本一人口の多い町として石炭景気に沸きかえっていた華やかな時代、川の水は石炭によって真っ黒に染まっていたという。今では想像もつかないが、生きものもほとんど棲めない瀕死の状態を、この川もまた経験していた。

豊かな国へと向かう発展の陰で犠牲になるのは、いつも川で、山で、海だ。それでもこうして、元の姿を取り戻せるだけのたくましい体力を備えていた犬鳴川に、あらためて自然の驚異を思う。

炭坑住宅が建ち並んでいる高台の一帯は、現在『2000年公園』として整備されていて、犬鳴川河川公園とともに町民のいこいの場となっている。広大な敷地には「虹の丘」「ふれあいの大地」「みのりの森」といった名前がつけられ、文字通り緑にあふれるエリアだ。

「夜の犬鳴川河川公園もとてもきれいですよ。ライトアップされて、とても幻想的な雰囲気になります」

パンフレットには、大きな星のような街灯が点々と川沿いに並ぶ公園の姿が紹介されていた。

神秘的な力丸ダムと、遠賀川へと広がる河口の風景。そして最後にもうひとつの、犬鳴川の不思議な宇宙に出会うために、雨上がりの町を、こんどはゆっくりと歩いてみる。

上の記事には似た記事があります

すべて表示

カテゴリ一覧