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干潮時には、河口から守江湾にかけて無数の生きものが生息する干潟が出現。

取材・文  丸山 砂和
撮  影  伊藤 義孝

大分県北東部・国東半島の南のつけ根に位置 する杵築市は、情緒あふれる城下町の町並み が美しい、県内の代表的な観光地だ。市を東西に流れる八坂川は、流路延長29.8km、流域面積 147.7km2。山香町と日出町の境目あたりに 源流を持ち、河口には、地域のシンボルである杵築城が雄々しい姿でそぴえ立つ。

確かに流域は緑が多く、自然の姿をそのまま残 しているところは印象的だが、一見、他の河川と変 わらず、特別どうということのない、ごく普通の川にしか見えない。が、実はこの川は、たくさんの 生きものたちの宝庫で、現在は全国レベルで注 目されている。そして地元の人たちは、そんな八坂川を、「おいしいものがいっぱいの川」だと誇る。

河口域

山香温泉

赤松橋

大分農業文化公園

立岩川河川公園

大左右の沈み橋

ハマボウ

海水に満たされた満潮時の河口

石畳がのびる勘定場の坂

杵築城

羽門の滝

 

全国的に貴重な存在となった干潟。

下流域では洪水を防ぐための改修工事が行われた。

干潮時は潮干狩りを楽しむ人でにぎわう。

ハクセンシオマネキ

「河口の干潟にちょっと入るとね、こーんなに大きいヤマトシジミが捕れるんですよ。アサリぐらいはあるかなぁ。そんなのって、見たことある?」

『八坂かっぱクラブ』の会長を務め、川の研究を続けている綿末しのぶさんは、親指と人差し指で丸を作りながら、それを目の前に差し出した。「このぐらい。いや、もっと大きいかな」

杵築市役所のロビーに、彼女の弾んだような声が響きわたっている。「そうそう、ウナギもいっぱいいるの!天然のウナギ。ホントにおいしいんだから」。話が進むにつれて、独特の大分訛りが語尾に混じり始めた。なんだかほのぼのとしていて、耳に心地いい。「モクズガニなんかはな、一回食べたらもう、北海道のカニなんて食べられんくらい」。「四万十川に生えているスジアオノリもとれるんよ。おみそ汁に入れるとこれがおいしくてな」。ヤマトシジミはこないだ、みんなで捕ってきれいさっぱり食べ尽くしたし、巨大なハマグリやアサリも、身がプリッとしていて…。

八坂川の生きものについて、話は尽きることがなかった。綿末さんはどれも「おいしく」て「最高の味」だと言い、ハハハとおおらかに笑う。

とても、しあわせな気持ちになった。地元の人が、こんなに目を輝かせて(しかも”おいしい”を連発しながら)そこに棲む貝や魚のことを次々と口にする川。日本にはあとどのくらい、残っているのだろう。

ハマグリ

ウミニナ類

ヤマトシジミ

メスとオスが対になったカブトガニ。

八坂川の生物については、その種類の多さは今や全国規模で知られていて、各分野の専門家による調査・研究の対象にもなっている。

中でも、特に注目されているのは、河口から守江湾に広がる干潟に棲息しているカブトガニだ。日本では絶滅の危機に瀕しているカブトガニは「生きた化石」と言われ、その生態は謎に包まれている。何しろ、2億年も前から姿を変えることなく、化石種と同じような体の形態を持つというのだ。考えてみればこれは、ほとんど奇跡ではないか。地球環境が激変しているにもかかわらず、2億年も進化していない生物。砂浜、干潟、エサが確保できる沖合、そして微妙な潮の流れ。これらの環境がその生育条件にぴったりと合っていない限り、カブトガニは生きられない。それゆえ、日本ではほとんどの地域で絶滅が確認されている。西日本にわずかに残る生息地の中でも、八坂川の河口付近はその個体数も他の地域に比べてかなりの数に上る。「7月から9月にかけての大潮の時には、河口近くの杵築大橋の上からでも、カブトガニが産卵に来ているのがわかりますよ」。

市役所の入り口には、2億年の奇跡が、水槽の中でユラユラと泳ぎ回っていた。綿末さんが指をさしながら、言う。「なんかホラ、この姿って、ユーモラスでかわいいでしょう?カブトガニって、交尾しないときでも、オスがメスのしっぽにしっかりくっついているんですよ。だからメスよりもオスの方が小さいの」。そんな、地球の神様みたいな生きものに向かって、ユーモラスとか、かわいいだなんて…。でもまぁ確かによく見ると、しっぽの生えた奇妙な姿も、メスとオスの興味深い関係も、確かにユニークではある。「生きた化石」に妙に親近感が湧いてしまった。

下流域ののどかな風景。
のんびりと生活を営む集落も見える。

八坂川の源流のひとつ・水の口湧水。

上流は棚田の風景が美しい。

途中の集落には沈み橋も。

緑に覆われた中流域。

ひと通り話を聞いたところで、さっそく八坂川に会いに行くことにする。流域は、ムッとするような緑色の匂いに満ちていた。汗だくで走り回っていた子どもの頃にいつも全身を包んでいた、あの、なつかしい匂いだ。強い日差しでいっせいに生長を始めた草木が、あちこちでこんもりと茂みを作って、川に覆い被さるように自らの姿を水面に映している。

河口のある杵築市内から上流域にあたる山香町へと遡る。川と、田畑と、木々と、鳥たちの親密な関係を示すように広がる、のどかな車窓の風景。その流れはどこまで行っても力強く、確実なものだ。心地よいしぶきをあげる滝もあった。芸術作品のような段々畑もあった。夕日に映える古い石橋もあった。小鳥たちが羽を休める大きな木々も存在していた。すべてが完璧だと思った。

約2時間足らずで、八坂川の水源である「水の口湧水」に到着した。湧水池は残酷なほど透明で、池の底からはポコッポコッとリズミカルに水が湧き出している。そばにはいくつもの蛇口が設置されていて、平日であるにもかかわらず、ひっきりなしに車が止まっては、ポリタンクを抱えた人が降りてきて、あふれる清水を汲んでは運ぶ。湧水の脇で、地元のおばちゃんたちがあれこれとお喋りしながら、いくつかの野菜を足元に広げて売っていた。すぐ下を流れる川の付近まで降りてみると、草むらの向こう側には大きな野いちごや青々と伸びたセリが一面に見える。風に揺れる草と、川のせせらぎ。どんな音楽よりも穏やかに、心にそよそよ届いてゆく、ふたつの音。それは時間の流れすら曖昧にするような、至福のメロディだ。

干潮時にシジミを捕る地元の人々。

川の生きものについて学ぶ観察会。
©写真提供/日高隆明

観察会には大人も子どもも参加している。
©写真提供/日高隆明

いつもさまざまな活動をこなす、観察会のメンバー。

さて、八坂川に棲んでいる生きものは、人間にとって「おいしい」ものだけではない。海水と真水が交わる下流を中心に、センベイアワモチ、オカミミガイ、シマヘナタリ、ヒラドカワザンショウガイなどの貝類や、ハクセンシオマネキ、チゴガニ、アカテガニ、マメコブシガニ、などのカニ類。魚やエビも、もちろん多数存在しているし、これらの中には干潟の稀少種も多い。

それにしてもなぜ、八坂川にはこれほどたくさんの生きものが棲息しているのだろう。

ひとつは、山との関係が挙げられる。八坂川の水源は杵築市の西、山香町と日出町の境に位置する鹿鳴越連山とされているが、豊かな山の栄養がたっぷりと川に流れ込んでいるのだ。そしてもうひとつは、流域に水質汚染の原因となる工場などがないこと。さらに、度重なる洪水の被害をなくすため、数年前には蛇行していた下流の一部をカットする改修工事が行われているが、その際の調査で、川の中の数カ所で、湧き水が出ていることも確認された。そして河口には、生きものたちの楽園でもある干潟が存在している。

がしかし、皮肉なことに、生きものにとって都合のいい川は、時として人間に大きな牙をむくこともある。洪水だ。八坂川の歴史を語るとき、そこには度重なる洪水と流域の人々の苦難があった。川は大雨による洪水で氾濫を繰り返し、そのたびに民家や田畑へ大きな被害を与える。特に、下流域の集落では、洪水はある意味”夏の風物詩”のようなものであり、だからこそ住民はその対策に知恵を絞り、工夫を重ねた。どの家も浸水に備えて畳を上げる台を準備しておく。洪水で避難する際は、タンスの引き出しをあらかじめ出しておく。電話線はできるだけ天井近くに設置する。流域では、川岸と家の間に田畑を作っていたり、川より高い位置に建てられた家が目立つ。人々はそうやって、川とうまく折り合いをつけて、長い間暮らしてきた。

いつも川に親しむ大久保さん親子。

観察会の終了後は、和気あいあいと食事を楽しむ。

八坂川には、地元の住民を中心に、川に親しむことを目的に組織されたいくつかの会がある。その中のひとつ、『であいねっとわーく・ともだち』が定期的に開催している川の観察会に同行した。毎回、専門家の先生を招いて説明を聞きながら、地域の人々で川を観察する会だ。大久保章子さんを中心に、この会は他にも、流域の清掃や、他県から見学に来た団体への川の案内なども行う。「観察会の後はよく、川で捕った貝とかウナギとかをみんなで食べるんですよ。それが楽しみでね」。

この日は野鳥、カニ、貝それぞれの専門の方が同行し、下流から中流域を歩いてみることにした。

生きものはあちこちにいた。そしてその種類の多さには本当に驚かされてしまった。いるいる。護岸にはほんの2ミリ程度のカワザンショウガイ類がびっしり。小さいけれど、よく見るとちゃんとうず巻きの形をして、石段にへばりついている。「ほら、これがカワニナです。そっちにいるのはイシマキガイ」。「ハサミアシが赤くてきれいでしょう。だからアカテガニって言うんですよ。あれはクロベンケイガニですね」「今日はダイサギやアオサギが多いなぁ。あ、オナガガモもいますね。見えますか?」。3人のセンセイ方の説明に、こっちを見たりあっちを振り返ったりと忙しい。干潮で水の引いた砂地を両手でサッサッと掘ると、すぐにヤマトシジミが見つかった。岩を濃い緑色に染めているのは、四万十川で採れるというスジアオノリ。もうとにかく、ありとあらゆる生きものがいるのだ。こんな川ははじめてだった。

カニの旨味がしみこんだ絶品!モクズガニご飯。

ウナギ漁をする。秋吉さんは、川のすべてを知り尽くしている。

観察会の後は、いつものように、流域に住む”川名人”のおじいちゃん・秋吉幸男さんの自宅に集まり、昼食会が開かれた。78才になる秋吉さんは現役を引退し、今は川の畔で悠々自適な生活を送っている。この日は、秋吉さんが前の日に川で捕ったモクズガニの炊き込みご飯をいただいた。バケツの中でゴソゴソ動いているカニのハサミアシをエイヤッと切り、お腹を開ける。甲羅の内側には、山吹色のカニミソがたっぷりだ。「作家のナントカさんが、このカニは上海ガニよりおいしいって言ったくらい。ほら、このミソ、すごいでしょ」。確かにスゴイ。大久保さんはといだお米の上に要領よく解体したカニを並べて炊飯器のスイッチを入れた。秋吉さんは会のメンバーたちと焼酎を飲みながら談笑している。「このおじいちゃんはね、子どもの頃からずっとここに住んでるから、川のことで知らないことはないんですよ。こうやっていつも川でいろんなものを捕ってきてくれるの」。

八坂川をめぐって、子どもからおじいちゃんまで、地域の人がこうして集まり、語り合うひととき。そこには年齢の壁も、もちろん仕事の壁も、何もない。

カニご飯ができあがった。「ほら、こんなふうに甲羅についたミソをご飯にしっかりまぶして」。お皿に豪快に盛りつけられたモクズガニご飯は、想像をはるかに越えた味だった。ほのかな磯の香りとカニの風味、そして濃厚なミソの味が一体となって、ご飯にからまって、口の中に広がる。上海ガニより、北海道のカニよりおいしいと胸を張る地元の人たち。確かにそうかも知れないなと思う。自分たちの大切な川で育ったカニだ。間違いなく世界一だ。

「ね、八坂川って、おいしいものがいっぱいなんですよ」。大久保さんが笑って、みんなが笑った。

誰もが間違いなく、この川を愛している。地元の人たちが集まっておだやかに過ごす日曜日は、どこまでも平和な時の流れに導かれてすぎていった。

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