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九州地方計画協会

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取材・文  春野洋治郎
撮  影  石川 清人

宮崎県は九州山地の東側に広がっていて、県内を流れる多くの川が、この脊梁の山々を源流として日向灘へそそいでいく。名貫川もその例にもれず、県のちょうどまん中あたり位 置する都農町を西から東へと横切る。

川上にあたる尾鈴の山々に降った雨は、豊かな緑にろ過され、轟音と真っ白な水しぶきをあげる勇壮な滝を成す。その尾鈴瀑布郡に宿る神々しい力は、まるで水の精を生み出すかのように、激しくもあり、厳かでもある。

あるがままの自然から生まれた名貫川の全長は14.9kmと短いが、川の途中まで柱状節理河岸段丘を造り上げ、その自然は美観と人々の暮らしを見事なまでに調和させている。

そして、清流と呼ばれることに満足することなく、ひと昔前の名貫川に近づけようと、流域の人々の熱い思いが大きな流れになろうとしている。

JR都農駅前に建つ牧水歌碑

矢研の滝

二段になっている次郎・四郎の滝

落差75mの美しい白滝

足場もいい石畳状の千畳敷の滝

ハイキングも楽しい遊歩道

宮崎県の日向灘沿いを走るJR日豊本線。沿線の都農駅に降り立つと、ふるさと日向を愛した国民的歌人・若山牧水の大きな歌碑が建っている。

ふるさとの 尾鈴の山の かなしさよ
秋もかすみの たなびきてをり

牧水はJR都農駅のある都農町のお隣の東郷町出身だが、都農の町に住む人にとっても、尾鈴の山々は朝な夕なに見上げるふるさとの山である。そのたおやかな尾鈴の山々に源を発し、都農の町を東西に貫き、日向灘へとそそぐ川は三本あり、北から心見川、都農川、名貫川と名付けられている。その中で、最も南を流れ、流域のほとんどが川南町との境になっている名貫川を上流から下流へとたどった。

名貫川の名前の由来は定かではないが、川沿いの県道を山手へ向かうと、視界に飛び込む山の緑がどんどん広がっていき、深閑とした森の精気みたいなものが伝わってくる。尾鈴キャンプ場の駐車場から森の中に足を踏み入れると、まさに緑のシャワーを浴びるという感じで、身も心も軽くなっていく。東郷町、都農町、木城町にまたがる尾鈴山地。ここは昔から良馬を産し、その中に必ず白馬が一頭いて尾鈴の神様の馬としてあがめられていた。その馬がいななけば首にかけた鈴が鳴り響くので、土地の人は神様を「お鈴様」、山を「尾鈴山」と呼ぶようになったとか。尾鈴の山々をめぐる楽しみは、もちろん山群の中の最高峰である尾鈴山(1,405.2m)の頂上をきわめることであろうが、その数30余とも言われる尾鈴山瀑布群(昭和19年「国の名勝」に指定)の滝めぐりのすばらしさは、他所ではちょっと体験できない。

滝は矢研の谷、甘茶谷、欅谷という3つの谷沿いにあり、中でも尾鈴キャンプ場から20分程歩くと、木立の中から現れる矢研の滝は圧巻である。落差73mを一気に駆け下りる清澄な水、しぶきは半透明の水の布をつくり、光と風がしぶきの中で舞っていく。神武天皇が東征の際、この滝の水で矢を研いだので「矢研の滝」と命名。滝の上流200m程の所には10m以上もある舟形の巨岩があり「天の岩舟」と呼ばれ、ニギハヤヒノミコトが高天原から乗ってきた舟との言い伝えが・・・。神話の国ヒムカならではの伝説が浪漫を添える。矢研の滝は、平成2年に日本の滝百選に選ばれ、春夏秋冬、尾鈴の山々の粧いとともに表情を変える。

立ち去りがたく、しばらく滝の雄姿に見入っていると、尾鈴一帯の植物について記された本の記憶がよみがえった。広い地球の中で、この尾鈴の山群にしか生えないキバナノツキヌキホトトギス。この珍妙な名前の花は、茎が葉を突き抜けていて、秋に黄色の花を咲かせる。また、ナガバサンショウソウというイラクサ科の植物も尾鈴山周辺に限られ、現在、種の絶滅が危惧されている。さらに、ピンクの鮮やかな花をつけるウラジロミツバツツジは、学名をロードデンドロン・オスズヤメンセと言い、尾鈴の名が付いた花。深い緑と豊かな水が、オンリーワンの花々を育てるのである。

流域住民の手でドングリの木を植樹

魚道を確保し、柱状節理が美しい中流域(轟地区)

荘厳な滝や山水画のように美しい滝などを眺め、マイナスイオンをたっぷり浴び、心も体もまさに洗われたような気分で、名貫川を上流の尾鈴キャンプ場から下っていく。人家が目につくようになるあたりに、九州電力の名貫川水力発電所(水路式)がある。このあたりは水量が豊かで、川には大きな岩が顔を出し流れも早い。また、県道沿いに名貫川へそそぐ水が小さな滝となって落ちている場所があり、その天然水を求めて地域の人たちがポリタンクやペットボトルを持って汲みにくる。もちろん、町内の水道にもここの水が使われており、都農の暮らしの中に生きている。

中流域には轟渕、エゴ渕、和田渕という渕があり、川魚の格好のすみかである。ウナギ、コイ、アユ、ニジマス、ヤマメといった魚種が主であるが、この清流ですら以前と比べると水量は半分程に減り魚影は薄くなったという。組合員80名程の名貫川淡水漁業組合では、次世代にかけがえのない自然を残そうということで、年に数回稚魚の放流を行っている。組合員の一人は「名貫川の水量が減ったのは、山の広葉樹を伐採して針葉樹を植林したので、山自体の保水力がなくなったからだと思うのです。ですから、100年の森構想と名付けて、尾鈴神社近くの山50ヘクタールにドングリの木を植樹し漁民の森をつくっているんです。」と語ってくれた。

名貫川は尾鈴の山ふところにある水源から河口までの短い距離を、わりと急激に下っていくので、川床や渕がえぐられていて、川沿いを走る道路から川面を望める場所が少ない。轟地区から立野地区にかけての中流域では渓谷を成し、地質は尾鈴酸性岩類といい、六角柱状の岩がいくつも連なった柱状節理を形成しており、清流が岩の柱の間を勢いよく走っていく。その川に少しでも親しんでもらおうと河川プールが数箇所設けてあり、歓声を上げてザンブと水へ飛び込む子どもたちでにぎわう。

また、轟地区あたりでは両岸とも河岸段丘を成し、階段状の田畑には稲やタバコをはじめトマトやキュウリが育つハウス、梅林などが広がっている。こげ茶色の土は、何を植えても育ちそうないい色合いだ。都農町では、安全・安心な野菜を作るために、土づくりから始める環境保全型農業に町をあげて取り組んでいる。目の前に広がる田畑のホクホクとした土を見ていると、まさに農の都である都農の大地の豊かさに思わず納得してしまう。

カッパ伝説がのこるカッパ塚

河原でのんびりも楽しい

河口近くを走るJR日豊本線

名貫川は中流域から河口にかけても清流を保ったまま、都農の田園地帯を流れていく。国道10号線とぶつかる所に名貫橋がかかっていて、川幅もいくぶん広くなってくる。

国道10号線は旧日向街道であり、名貫橋一帯は宿場町として栄え、街道に面した商家・赤木家は殿様が宿泊所にした本陣で、今も往時のおもかげを残している。都農は藩政期に高鍋藩に属し、高鍋藩の『本藩秘展』という記録には、

名貫川御隣家方御通行之節
(中略)
同六寸位満水之節
人足壱人賃弐壱四文 馬壱疋壱人掛り
荷壱駄弐人掛り 輿臺(台)壱ツ拾人掛り

とある。つまり、当時は江戸幕府のお達しで川に橋を架けることができなかったので、大井川の渡しのように人海戦術で人や物を運んでいた。上記資料によると、満水時には輿台(みこしなどを据える机のような台)を使っていたことがうかがえる。川に架かる橋が人と人を結び、文化と文化が出会い、新たな時代を築いていくものであることを教えられたような気がした。

さらに名貫川にまつわる歴史をひもといてみると、江戸時代に全国をくまなく旅した思想家であり、吉田松陰、高杉晋作、西郷隆盛はじめ幕末の志士たちに大きな影響を与えた高山彦九郎が、この地を訪れたことが『筑紫日記』に記されている。また、家族や社会との縁を絶ち生涯に八万四千句余を詠みすてた放浪の俳人・種田山頭火も、昭和五年秋に都農の町に入っている。名貫川のほとりで詠んだとされる

大石小石 かれがれの 水となり

という句は、秋口の水が少なくなった川の流れをスナップショットのように切り取って、わびしさよりも、どちらかというと田園地帯を流れていく川ののどかさと小気味良さを感じさせてくれる。歴史を風化させないようにと、今年3月名貫公民館前に山頭火の句碑が建てられた。

清流は短い旅を終え大海へ

緑をたっぷり深呼吸 尾鈴の山開き

都農の町は、国道10号線とJR日豊本線の間に広がっている。役場や駅がある繁華街から名貫川河口をめざすと、ブドウ園が目に飛び込んできた。近年人気を博している都農ワインの原料は、こうした地場の生産農家によって丹念に育てられている。また、海に近いせいか潮の香りがただよってくる。ところどころで“ウニ”の看板を目にする。かつて、名貫川河口の干潟にはゴロゴロと大きい石が転がっていて、石の下にはニナや地元でガゼと呼ぶウニがたくさんとれた。夕方とりにいけば、晩酌の肴にできたという。しかし、今ではウニがほとんどとれなくなり、大きい石も少なくなった。

名貫川が日向灘へそそぐ河口へと向かった。途中、道路横にカッパ塚という供養塔が建っていた。ここには徳泉寺という江戸中期に建てられたお寺があり、寺の和尚さんといたずらカッパに関する民話が語り継がれている。川のある地域にはこうしたカッパ伝説が残されている所が多いが、このカッパ塚にも自然への畏敬の念や、川で獲った魚の鎮魂という意味合いも込められているのであろうか。そして、いよいよ河口へ出た。全長15km足らずの名貫川だが、尾鈴の山々の滝と緑と水、そして、そこにひっそりと咲く希少植物が見せてくれた本来あるべき自然のすばらしさを感じることができた川の旅だった。

環境の美化や浄化は時代のキーワードであり、いろんな地域で取り組みが行われている。この名貫川が流れる都農町でも、そうした環境保護や次代へ残すための取り組みをあちこちで耳にした。先に書いた100年の森構想もその一つであり、尾鈴山および瀑布群一帯では春の「尾鈴山山開き登山」、夏には「滝めぐりin尾鈴」、そして秋は「尾鈴もみじ狩り」というイベントが、官民で組織した実行委員会によって開催されている。参加者は、すばらしい自然とふれあうとともに、自然を守ることの大切さを学ぶ。また、河口では「釣り大会」が開かれ、川遊びの楽しさを満喫できる。さらに、北を流れる都農川の中流域ではホタルの里づくり、下流の都農神社近くでは親水施設を使ったイベントを企画中と聞いた。川を中心とした水域は、山域や海域そして地域と密接に関わっている。それぞれの域に住む人々が力を合わせることで、尾鈴に源を発する川は、さらに清らかに美しく、うるおいに満ちたものになるにちがいない。

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