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九州地方計画協会

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取材・文  丸山 砂和
撮  影  諸岡 敬民

北九州市は、戦後の高度経済成長とともに、町全体が鉄の景気に沸きかえった。「鉄は産業の米」といわれた時代だ。

板櫃川は、直方市にほど近い八幡東区の奥部から八幡、そして小倉の町なかを県道に沿って流れ、小倉北区・日明の工業地帯へと注ぐ。流路延長9.7km、流域面 積25.5km2のこの川は、北九州市の産業発展の陰で深刻な環境汚染に苦しめられつつも、住民の助けを借りて甦り、今ではたくさんの生き物がすむ有数の清流として、力強く生きている。周囲には、河内貯水池や皿倉山などの見どころがあるが、板櫃川と人々とのよりよい関係を示すように川に点在する、公園や遊歩道などもまた、見逃せないスポットだ。

八幡や小倉の、気取りのない町を静かに縫って流れる板櫃川。透明でひんやりと冷たい水が、確かな冬の訪れを伝えた。

皿倉山山頂からは、北九州市内が一望。夜景のスポットとしても人気

日明港からは、下関行きの定期船が運行

河口付近の海岸。向こう側には工場の煙突がいくつも見える日明港からは、下関行きの定期船が運行

中流域では川のすぐ横に石畳が続き、市民の憩いの場に

北九州というのは、とても不思議なところだ。鉄の町としての繁栄と衰退によって、さまざまなものを生み、失い、身につけていった、そのせいだろうか。時代に翻弄されつつ逞しく生きる姿の陰に、すこしの諦めとやさしさをまとったような空気が漂っている。そして、とても親密で、しみじみとした心地よさを私たちに与えてくれる。地域性であれ何であれ、それを北九州の魅力などと安易な言葉で片づけてしまうつもりはない。けれども確かに、公園にも小さな路地の片隅にも、道路の脇を流れる川にも、ため息混じりのあたたかい風が微かにかよっていて、心をそっとなでてゆくのだ。春のはじまりの日差しのように。

そんなことを考えながら、板櫃川の河口付近の海岸にたたずんでいた。ここ、日明地区は、臨海工業地帯としての北九州の顔でもある。複雑なプラモデルのような工場がいくつもそびえ立ち、冬の空に向かって伸びる煙突からは、白い煙が絶え間なく吐き出されている。河口の少し手前の下流には俳人・杉田久女が20代のころ、2年間ほど暮らしたという旧居があるが、それ以外、目につくものはほとんどない。

巨大なトラックやトレーラーばかりが行き交う一帯は、産出することを目的に毎日がただただ機械的に過ぎる。下関行きの定期船が、水面に規則正しい波紋を広げながら、向こうの岸へとまた短い旅に出た。

河口付近には平松という漁港があり、イカ漁やアサリ漁などが行われているらしいが、立ち並ぶ工場にうずもれ、その姿を確認することはできない。

街なかを静かに流れる坂櫃川。透明な流れに青い空や木々が美しく映り込む

「坂櫃川を守る会」現会長、諸富京一さん

中流域では子どもたちが釣りを楽しんでいた

「昭和30年代から40年代にかけては、板櫃川に限らず、北九州のすべての川は、高度経済成長に伴って製鉄業が盛んになるにつれて汚染が進み、とても生き物がすめる状態ではありませんでした」

『板櫃川を守る会』の現会長である諸富京一さんに川のことを尋ねると、開口一番、そんな答えが返ってきた。

白いカッターシャツは1日で襟が真っ黒になる。多くの子どもたちがぜんそくを患う。工場から排出される煤煙が原因だ。空を染める七色の煙は、しかし、鉄の景気に沸く北九州の象徴だった。山に積もった煤煙は雨が降るたびに汚水となって川に流れ込み、水質は悪化の一途をたどる。戦前まではのどかな田園が広がっていたという板櫃川付近も、次第に魚や虫や鳥たちのすむことのできない都会となっていった。

このままでは町はダメになる。市民が危機感を募らせる中、『板櫃川を守る会』が発足したのは昭和44年のことだ。

「板櫃川を何とか魚のすめる川に戻そうというのが目的でした。八幡製鉄所をはじめとする企業の協力もあり、当時はとにかく川の清掃に力を入れていたようですね」

とはいえ、そのころの日本ではまだ、今のように環境保護への意識が徹底されていたわけではなく、知識すらほとんどない。川を浄化する手段として考えられたのは、川の清掃、そしてせっせと魚を放流し続けることだった。

「フナ5,000匹とか、ヒゴイ800匹、稚魚5,000匹というふうに、企業や地元団体からの寄贈が多く、事あるごとに川に魚を放流していました。ほら、この通りです」

諸富さんが自らまとめた『川を守る会の歩み』のページをめくると、会の発足から10年近くの間に繰り返された、清掃と放流の日々が記されている。

「でも、いくら放流しても魚はすぐに全滅してしまう。それはそうです。川自体の汚染は止まることなく続いていたのですから」

川は死んでしまったのだろうか。誰もがそんなふうに感じていた。

整備が進む佐敷城跡。瓦などの価値ある出土物が多いことでも知られる

畑や花壇として地域の人々に利用されている中流域の川辺

再起不能と思われていた板櫃川が徐々に回復の兆しを見せ始めたのは、昭和56年ころからではないかと諸富さんは振り返る。地道な清掃活動をはじめ専門家による水質調査や公害対策、それに伴う河川工事、市民への呼びかけ。行政を巻き込んだ会の活動は多岐にわたった。

「最初の数年間は水質にもほとんど変化が見られなかったものの、10年以上の活動で、板櫃川は少しずつ変わってゆきました。魚が増え、草が生え、水鳥や虫の声が聞こえるようになり、川の水はきれいになり始めて…。最悪の状態を知っているだけに、最初は信じられませんでした。会の活動は素晴らしいものだったと思っています。でも、この川が美しい流れを取り戻したのは、本当は、決して人間の力ではないんですね。自然の持つ驚異的な回復力が川を甦らせたわけで、私たちはそのためのきっかけづくりというか、ほんの少しの手伝いをしたに過ぎません」

川は決して死んではいなかった。病巣が徐々に取り除かれるごとに、わずかな体力を振り絞って、人々の願いに応えたのだ。

現在の板櫃川のことを聞いて驚いた。フナやカワニナ、ドンコ、シマドジョウ、カワムツ、ザリガニ。川には実にさまざまな魚がすんでいる。中にはたいへん珍しいとされるオヤニラミというスズキ科の魚もいるという。これらの生き物たちは、板櫃川沿いにある八幡東区の大蔵小学校でも飼われており、児童たちの学習に役立っている。ホタルも増え、6月ころになると、車の行き来する町のまん中で、美しい光の乱舞を楽しむこともできるそうだ。

現在の会の活動は、年に数回、川の清掃を行う程度だ。板櫃川沿いには、「川を美しく」という看板が、あちこちに立てられている。

大蔵小学校そばでは、坂櫃川は「なかよしの水辺」として整備されている

板櫃川は、八幡東区の奥、直方市に近い田代という地区にその源流を持つ。この付近には昔ながらの田園風景が広がっており、葉の落ちた柿の木が、ところどころで厳しい季節の訪れを告げていた。清らかで小さな流れは、ここから河内貯水池を経て、旧電車通りである県道と併走しながら八幡東区の町なかを抜け、小倉北区を通過して日明の河口へと注ぐ。

市の河川環境整備の一環として、板櫃川は現在、「水と緑と歴史を生かしたプロムナードづくり」というテーマでさまざまな河川整備が進められている。「アユすむ四季の散歩道」「アユとせせらぎの道づくり」「アユとホタルの里づくり」「自然探検ゾーン」など、川は至るところで市民の憩いの場になっており、周囲の人々になごやかな日常を与えてくれる。

川沿いにある大蔵小学校では、平成4年に板櫃川のワークショップを開催。子どもたち自身の手で設計した「なかよしの水辺」によって、川に水車や散歩道が設けられ、児童たちはいつでも川に親しむことができるようになった。

川沿いの小中学校や地域住民で組織する「かわばた会議」では、よりよい川を作るための活発な意見が交わされている。

小倉北区内にある一定の区域は「ラブリバー河川認定区間」として、魚道や河川敷の整備が進行中だ。

どこまで人間の手を加えていいものかという問題も確かに浮上しているらしいが、ともあれ、川と人とが一体となっていい環境を育んでいることは間違いない。

川は僕らの先生。板櫃川の河川学習に関する新聞記事に、そんな見出しがついていた。そうなのだ。大切なことを教えてくれるのはいつだって、川で、海で、森で、山である。人間が主導権を握ったとたん、健全な環境は崩壊する。悲しいけれど。

河内貯水池堰堤。大正8年に着工された石積み・コンクリート造りで、今も漏水がないしっかりとした造り。日本の近代土木遺産指定

堰堤の一部はしゃれたアーチ型に

貯水池の堰堤をのんびり歩いてみる。堰堤といえども、随所に洒落たデザインが施されている

河内貯水池をさらに上流へ。この一帯では地名にちなんで「田代川」という名前に

河内貯水池、皿倉山。北九州市を代表する二つの観光スポットは、どちらも板櫃川周辺に位置する。観光客にはもちろん、古くから地元の人々にも親しまれる存在だ。

桜の名所としても知られる河内貯水池は、池の周囲にサイクリングロードが整備されていて、若者のドライブルートとしても人気だ。けれども、エリアが広いせいかほとんど人の気配を感じることもなく、木々がざわざわと揺れる音も、にぎやかな鳥の声も、誰かの話し声も、すべて深い池に吸い込まれて、あたりはやわらかな静寂に包まれている。

池に架かる5つの個性的な橋も忘れてはならない。アーチ式の石積みの中河内橋や、”レンティキュラー・トラス形式”と呼ばれる、ゆるやかな2本のS字を組み合わせたようなデザインのたいへん珍しい南河内橋など、どれも価値のある存在だ。

さらに、大正8年に着工された河内堰堤は、高さ189mの前後面石積みの見事なコンクリート造りで、現在も漏水が見られないという高い技術水準を誇る。あまり知られてはいないが、中河内橋も南河内橋も河内堰堤も、日本の近代土木遺産に指定されている貴重な建造物である。

そして、北九州市内を一望に見渡せる皿倉山。新しくなったロープウェイに乗り、町の風景が足元に沈んでいく様子を見ていると、子どものころと同じように、胸がどきどきする。

山頂には、冬の始まりにふさわしい、冷たくとがった風が吹いていた。高速道路や、線路や、大小さまざまな建物が洞海湾の周りに散らばり、その向こう側には赤と白の煙突がぼんやりとかすむ。360度に広がる市内の風景も、どこか寒々しく、こごえているように見える。

北九州市では今、板櫃川の浄化と前後して、あらゆる川や山や緑が、かつての姿を取り戻しつつある。

生まれ変わった、と多くの人が言う。でも、彼らは生まれ変わったというより、自らの力で再生したのだ。自然には、膨大な時間をかけて培われた力が蓄えられている。人間のような、やわな生き物ではない。

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