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昭和17(1942)年8月13日、鹿児島県鹿児島市生まれ。昭和36年鹿児島県立鶴丸高等学校卒。昭和41年日本大学理工学部卒。現在、学校法人原田学園理事長。鹿児島情報高等学校校長。谷山地区河川クリーン推進協議会に団体として参加している。鹿児島県私立中学高等学校協会会長他、多くの団体の理事、委員を務める。59歳。

取材・文/西島 京子

昨年は10月3日に開催された

川に初めて入る生徒も少なくない

鹿児島情報高等学校横を流れる永田川を全校生徒で清掃する「永田川クリーン作戦」

実行委員の原田校長と豊島校長代理

鹿児島情報高等学校のある谷山地区は、鹿児島市の南部に位置し、昭和42年に鹿児島市に合併するまでは谷山市だった。

鹿児島情報高等学校の校舎は2級河川永田川に架かる清見橋のたもとにあり、平成11年に完成した円形のマルチメディアセンターが学校のシンボルのように際立つ。同年完成の8階建て本館は、最先端の設備を備えたマルチ教育システム室やマルチメディアホールなどがあり、まるで高級ホテルのような素晴らしさだ。

この学校の全校生徒が毎年10月の干潮時に校舎の目の前を流れる永田川の清掃を始めて今年で17年経つ。この清掃は「永田川クリーン作戦」と名付けられ、その活動が高く評価されて、今年5月に財団法人日本河川協会より第57回河川功労者の表彰を受けた。

きっかけは生徒たちの「先生、永田川をきれいにしてもいいか」という声だった。それはいいじゃないか、やるなら全員でやったらどうか、ということになり生徒会が中心になって全校生徒に呼び掛けたという。

永田川に捨てられていた自転車

永田川は私が子どものころは深くてきれいな川でした。豊かな自然の中で、子どもたちは川を遊び場にして育ったのです。私も飛び込みや釣りなどで毎日過ごしました。ところが大型工業団地等の開発で、取水のために水量が減ってドブ川になってしまったのです。とにかく汚い川でね。5歳のころから小学校を卒業するくらいまで、現在学校がある場所に住んでいましたから、私自身、永田川への愛着があるのです。だから川をきれいにできないかといつも思っていました。そこに生徒からの提案があったんです。最初はそんな大きなことをするつもりではなかったんですよ。とにかく汚れているからきれいにしようや、と」

昭和61年の第1回「永田川クリーン作戦」には当時の全校生徒およそ1,000人が参加した。その時には捨てられた自転車、単車が40数台も回収された。トラックのタイヤなどもかなり捨てられていたので、ゴミは大型トラック何台分にもなった。

「最初は草を刈る鎌やゴミ袋などを学校で購入していましたが、最近は清掃会社がゴミ袋を寄付してくれますし、鹿児島市役所も谷山支所からトラックを出してくれて無料でゴミを回収してくれるようになりました」。

この活動を始めてから、新聞やテレビにニュースとして取り上げられるようになり、谷山地区でも谷山地区河川クリーン協議会を組織して10年前から川の清掃活動をするようになった。鹿児島情報高等学校も参加しているが、谷山地区の「河川クリーン作戦」は夏休み中の休日に行われるので、同校の清掃作業は10月に独自に続けられている。

魚が生き生きと泳ぐ永田川

「永田川クリーン作戦」は今年も10月に開催される予定だが、昨年の第16回目には1,700人以上の生徒と教職員や、地元住民の方が参加した。JR指宿枕崎線の鉄橋から小松原橋までの600m、川幅100mの中で生徒が一斉に太鼓を合図にして清掃を始める姿は壮観だ。

「最初のころは川底のヘドロで生徒たちの靴が真っ黒になったんですよ。臭いし、汚れが落ちないものだから生徒たちが靴を捨ててしまうのです。これには我々もまいりました(笑)。今は靴も汚れなくなりましたし、野鳥や魚も増えました。清見橋から川を見下ろすと、魚の群れが絵を描いたように見えて感動します。投げ網漁をしている人の姿も増えました。昔は川岸が石垣だったからウナギもいて、よく捕まえたものです。ところが最近は危険だ、汚い、と言って親が子どもを川に近づけません。だから川に入るのは初めて、という子も多いようです。生徒の中には魚捕りに夢中になっている子もいますが、それでもいいと思っています」。

永田川は満潮時に海水が流れ込むこともあって、清流というイメージではないが、現在では川底が見えるほどの透明度を取り戻した。鹿児島市の河川調査でも、絶滅の危機が指摘されているメダカや、バラタナゴ属の魚類を永田川下流で確認している。取材当日も、優雅な白鷺や鴨の姿が見られ、小さな魚の群れがきらきらと光りながら移動していく様子もつぶさに観察できた。

「永田川が氾濫したことが1度だけあるんですよ。昭和26年の10月にルース台風という大きな台風が来ましてね。自宅の畳の上30cmまで水が来たんです。あれだけは鮮明に今でも覚えています。私はもう60歳になりますが、あれ1回だけですね。普段は大人しい川ですよ。1993年の8・6台風のときもこの川は氾濫しなかったんです」。

新校舎を建てるとき、生徒たちが川を見渡せるようにと設計したという。

「川魚と海の魚が一緒にいますし、ボラを投げ網で取っている姿が多く見かけられるようになりました。卒業した子どもたちが出会うと、よく永田川を清掃した話が出るそうですよ」。

原田校長は小さいころからピアノを習い、中学1年まで続けたという。今も趣味が多く、地元のテレビ取材を受けたときはマジックを披露したり、豊かな原田校長の趣味はユニークな人材を育てることにも役立っている。校内にはホームページの制作会社社長を務める高校3年生もいるという。

「また、面白いことを考えましてね、7月から学校周辺の空店鋪を借りて、高校生に店を経営させるんです。インターネットカフェを生徒たちだけで開いて、パソコンのシニア教室とか各種ソフトの制作販売をさせるんですよ」。

原田校長はボランティア活動にも積極的に取り組んでいる。

「寮生はロータリークラブ提唱のインターアクトクラブに全員参加していて、谷山電停からJR谷山駅までの両歩道を、雨の日と日曜を除いた毎朝6時30分から清掃しています。それが寮の伝統行事なんです。学校全体では青少年赤十字活動に参加。また無線科学部は毎年出かける離島に電器屋さんがないので、自分たちの技術で家電品の修理をしてあげようという活動を20年くらい続けています」。

その功績が認められて今年のソロプチミスト世界大会(アメリカ)で表彰を受けることになった。音楽部は慰問演奏に行くなど、いろいろなボランティアが展開されている。

「すべては子どもたちのためのものです」と原田校長は言う。

「こういったさまざまなボランティア活動を通じて、子どもたちはぐんぐん成長していきます。中でも『永田川クリーン作戦』は自然に触れながら、奉仕の意識を高めてくれますから、これから先もずっと続けていきたいですね」。

ピアノを弾き、テレビ出演ではマジックも披露したという原田校長のユニークな才能と発想も、子どもたちの心を掴んでいるようだ。そして、生徒の意見から生まれた永田川クリーン作戦は、心の教育に欠かせない重要な活動となり、確実に大きな効果をもたらしている。

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