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九州地方計画協会

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1949年熊本県熊本市川尻生まれ、52歳。高校を卒業後1年間川尻を離れ、19歳で帰郷。1970年川尻の町を元気にしたいと活動を開始。仲間とイベントなどを仕掛けた後解散。1983年に発足した「川尻を考える会」で活動を再開。以後、さまざまな活動を続けている。「加勢川流域懇談会」座長。「緑川の日」実行委員会事務局。「熊本県文化協会環境部会」世話人。地域づくり団体熊本県協議会コーディネーター。緑川の遊び人、緑川に千年棲む河童「加勢貫太郎」と数々の異名を持つ。H20有限会社むらた代表取締役専務。

取材・文/西島 京子

毎年2万人以上の参加者がある「緑川の日2000」の清掃作業風景

「川の体験学習」でホテイアオイに乗って遊ぶ子どもたち

中学生の目線にあわせた内容で、川の歴史や仕組みを説明した案内板は2カ所にあり、現在、3つ目の案内板を製作中だ。

地元の小学校でエビ釣り大会をするための竿づくりの指導風景

熊本市の南部に位置する川尻町は、その名のとおり川と深いつながりのある町だ。緑川、加勢川、無田川、天明新川などの川に囲まれ、特に川尻地区を流れる緑川水系の加勢川は、中世より川尻を貿易港として発展させた歴史を持つ。江戸時代には緑川上流の川べりに年貢米の集積地として倉庫が建ち並び、肥後五カ町に数えられた水上交通の要所・商業の拠点であった。当時の面影は、階段状に13段の石を積み上げた船着き場や土蔵の家並みなどに色濃く残されている。また、川尻は桶や刃物などの伝統産業が今もなお生き続ける町である。

そんな川尻の町を目指して、御船インターから車で緑川沿いを西にしばらく走り、国道3号線を北上する。熊本市の景観形成建造物等に指定された江戸時代からの造り酒屋「瑞鷹酒造」の前を過ぎると、村田さんが経営しているプロパンガス販売会社があった。

開口一番「僕は仕事はしていません。仕事は緑川の遊び人です」と自己紹介した村田さんは、こちらの挨拶もそこそこに、事務所横にあるプレハブの建物や、8年前から研究を始めたテナガエビの養殖に使っているタンクの説明を始めた。建物には「熊本工業大学土木工学科中島研究所」「川づくり計画研究会」「古木屋バンク」の看板が掛けてある。

「魚のお助けマン事業」で魚を手に喜ぶ子どもたち

精霊流し翌日の子どもたちの清掃風景

「川尻の地元の大工さんのために5年前から解体した古い家の廃材を集め提供して、木のリサイクルシステムを模索したのが『古木屋バンク』。川の土木工学や復元を調査研究する熊本工業大学の学生さんたちに場所を提供している『熊本工業大学土木工学科中島研究所』。それから、『川づくり計画研究会』では川をとりまく、市民や子どもたちを指導しながら、『魚のお助けマン事業』などを行っています。これは、治水工事で川を閉められ行き場をなくした魚を本流に戻す事業で、子どもたちのために故郷に美しい川を取り戻そうというのが目的です」と、情熱的に村田さんは語る。「古木屋バンク」には、400年前に加藤清正が使った石もあった。

村田さんはもともと川だけにこだわってきたわけではないが、かつては活気溢れる町だった川尻が衰退していく様子を見て、なんとかしたいと感じ続けてきた。そして20歳の頃、川尻の町を元気にするための活動を仲間たちと始めたが、情熱とは裏腹に、多くの失敗もあったという。

「昭和58年の頃、わずか5~6人でしたが『川尻を考える会』というのを作りました。それが昭和61年に発足した『熊本市南部地区市民の会』へつながったのです」

南部地区市民の会では、最初に町の中央を流れる無田川の清掃を行った。この企画に参加した住民は1200人と大成功をおさめた。その後も、加勢川ペーロン大会、船上ディスカッション、親子カヌー教室など、川の町にふさわしい企画が開催されてきた。

昨年の夏に行ったテナガエビの放流

城南中学の生徒を連れて川の実態を学ぶ

村田さんは「熊本市南部地区市民の会」の副会長だが、8年前から個人でテナガエビの復元研究を始め、今では数百万尾いるという。テナガエビは緑川流域など有明海沿岸に広く繁殖していたが、水質悪化などで生息数は年々減少している。

「このあたりではテナガエビは絶滅したといわれていましたから、なんとかテナガエビの棲める昔の川に戻せないかと考えたんです」。

そして昨年の10月、地元の熊本市城南中学3年生を前に村田さんは、総合学習の先生として、人工ふ化に成功したテナガエビを、学校のプールを利用して養殖しようと指導した。これは環境保全をテーマにした総合学習のひとつで、自然保護にも役立つ一石二鳥を狙った体験学習だ。成育したテナガエビは、5月には第2期河川工事が終了する無田川に放流される。

熊本市教育委員会の話によると、野生生物の飼育にプールを利用する例は今までにないという。村田さんは、この授業に入る前に、子どもたちに緑川流域で釣りを体験させるなどして、河川と野生生物の生態系を体で感じさせるように工夫してきた。

総合学習で、テナガエビをプールで飼育する城南中学の3年生

プロパンガス倉庫の壁に村田家の子どもたちが描いた緑川流域マップ

階段状に13段の石を積み上げた船着き場とJR鹿児島本線の鉄橋

「加勢川は『ふるさとの川整備事業』のモデル事業で110億円ほどかけて整備していますが、環境復元には僕らの考えていることと行政にズレがあるから、もっと話し合っていかなければならない。加勢川に関わって25年くらいになります。進ちょく率は95%です。

僕らの仕事として、地域住民に活動方法を指導するのも重要なことです。行政には個人で行かず会をつくってくださいと。

一番いい例は緑川かもしれませんね。全長76km、流域面積が1,100km2、流域は2市12町村からなり、住民数は48万人。ところがここからは国土交通省、ここからは県とかいうのがある。でも、そういうのは地域住民には関係ないのです」。

村田さんは有明海で海苔が育たなくなったことも、川の流域住民が他人ごとと思っているからだと言う。そのような流域住民が増えれば増える程、確実に川は汚れていくという事実がある。

「自分にできることはなんなのか、と思ってやり始めたことばかりです。今年はPTA会長を引き受けましたので、子どもたちの意識を少しでも変えることができるかもしれないと思っています。素人でもできる川復活のシステムづくりを目指しているんです。

子どもたちは、おっちゃんは何でそんなことしようと? と不思議そうにしていますが、きっと10年後、20年後には、今の自分たちの足跡を理解してくれると思います」。

水槽で飼育している魚や貝の観察結果から、川の浄化のために何が必要なのかを導きだし、珪藻類が繁殖する条件や、稚魚の生息域から、石垣を斜めに組んでやればいいということを理論づけることや、施工業者と勉強会などもする。そこで、加勢川づくりに関するスライド2,100枚を見せて、川の歴史を守るというのはどういうことかを話し合ったりもする。

「必要なのは『やる気』だけ。『できるかな』ではなく『するんです』(笑)」。

川尻町は全国でも町づくりの運動が活発で、優れた人材が多いと聞いてはいたが、村田さんの活動にかけるバイタリティと情熱には、頭が下がる思いがした。

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