無名碑
仲村守
「無名碑」と言う小説を学生の頃に読んだ事があります。曾野綾子さんの長編小説で、難しい漢字が多かったけど前編がとても印象深く、土木はシブくって格好いいと思ったきっかけの本です。その一節を紹介すると、{・・・容子は竜起に子供のように尋ねた。}「あなたが、あそこにダムを作るのね」・・・「名前は書かないのね。あなたの仕事は」「そうだよ、小説家とは違う」「書かないのがすてきだわ。名前は残らないほうがいいの」「僕の仕事は一生どんなにいい仕事をしても個人の名前は残らない」「でも、私たちの子供が覚えていてくれるでしょうね。私、子供に教えるつもりよ。このダムはね、お父さんが作ったのよって」「それで充分じゃないか」・・過酷な自然条件の中、ダム建設等に携わる土木技術者と、その妻娘の人生を描いた小説です。
この小説の話を、現場事務所の後輩職員にしたことがあります。名前は刻まれなくとも子供達に話せる優越感を自分も感じてきたことに加え、その達成感がたまらないことを伝えたかったからです。
数年後、伊良部大橋の建設に携わり「100 年の耐久性をどのように確保するか」、「島の子供達、さらにその子供たちのために」単身赴任のAPで晩酌しながら、毎晩様々な思いを巡らせていました。現場では、鋼管杭の打ち止め管理や打ち込み精度、エポキシ樹脂塗装鉄筋の保管や取り扱い、コンクリートの打設時の温度管理や締め固め、等々 将来の耐久性に影響を及ぼす施工品質は十分とは言えない状況でした。考えたのは、橋に関わった技術者たちの名前を刻むことでした。
同じ後輩職員が「主幹、オレに昔「無名碑」の話をしてくれたのに、どうして名を残すのか」と聞きます。「無名の碑」ではなく、見事に100 年の耐久性が確保できたとき、あるいは、この橋が100 年の耐久性を維持出来なくなった時には、施工に関わったみんなの名前が子々孫々まで語られるようにする。職人たちには鉄筋の結束一つ一つが、橋に魂を込めることだと感じさせ、技術者たちの士気を高めようと考えたのです。しかし、橋に名前を刻むことは難しく、実現できませんでした。
一方、橋の開通を心待ちにしている島の人たちに工事の様子を伝えようと、現場のかわら版の発行を提案し、後輩達が実現してくれました。現場の技術者たちの紹介と、現場の進捗や小学校の子供達の現場見学会の様子も複数回にわたって伝えられました。特に、父の日現場見学会は評判が良く、現場で施工に携わる技術職員や職人たちの子供が、お父さんのことをとてもかっこよく誇りに思ったことでしょう。さて、少しは橋の耐久性向上、品質向上の役には立てたでしょうか?
顕彰することで、技術者たちの士気、プロ意識、技術屋の気概や社会的責任などを気づかせ、自覚させることで、高品質で高耐久性を確保したいこと。加えて、土木技術者・土木職人等の魅力の向上、社会的な価値観、評価の確保、さらに土木施設の役割や重要性などへの理解への一助として、関係した技術者たちを世間に伝えたいものです。
各発注機関が、毎年優秀な企業及び技術者を表彰することは、土木技術者に対する社会のまなざしを向上させるでしょう。既に国直轄工事では、土木構造物に設計の管理技術者名、製作・施工の監理技術者名を記載した銘板を取り付けると聞きます。
100 年間の風雨に耐える施設のために、小説「無名碑」に描かれるような土木技術者が、土木の魅力と高い価値観、存在感に囲まれながら増えていくことを願いたいものです。