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細島験潮場ほそしまけんちょうじょう
尾上幸造
鶴羽浩
1.はじめに
土木学会選奨土木遺産の認定制度1)は、歴史的に価値の高い土木構造物の顕彰を通じて、その保存に資することを目的とし平成12 年度に創設されました。平成26 年度には全国から22 件の歴史的構造物が土木遺産として認定され、九州からは佐賀県の湯野田橋と宮崎県の細島験潮場の2件が認定されました。本稿では、宮崎県日向市に現存する細島験潮場(写真-1、写真-2)の概要とその歴史について、主に「潮峠2)」における記述にもとづいて紹介させていただきます。

2.験潮と験潮場
験潮とは海面の昇降(潮位)を計測することであり、基準面の決定だけでなく地殻変動の監視、津波や高潮の検出など、防災においても重要な役割を果たしています。験潮場は、波風の打ち寄せる海岸に設置する必要があり、風雨、波浪など厳しい条件に耐え得る堅牢なものでなくてはなりません。その原理は、図-1に示すように導水管を通じて建屋内の井戸に出入りする海面の昇降を計測するもので、波の影響を受けることなく潮位の正確な計測が可能です。なお、「験潮場」は国土地理院が管理しているものに対する名称であり、海上保安庁のものは「験潮所」、気象庁のものは「検潮所」のように表記が区別されています。現在、国土地理院直轄の験潮場は全国に25 カ所、九州に3 カ所あり、九州では当施設の他に仮屋験潮場(佐賀県東松浦郡)と阿久根験潮場(鹿児島県阿久根市)が稼働しています。

3.験潮儀
験潮場と験潮儀は、測量法における永久標識の一つです。験潮場内には、海水面の変化を測定する験潮儀が設置されています。験潮儀には、浮標(うき)の昇降の変化で潮位の変化を測る浮標式と海底の水圧の変化を測る水圧式があります。細島験潮場には、かつて英国製の浮標式験潮儀(Kelvin 型、写真-3)が設置され、昭和61年(1986 年)までは桑野家代々の人々が人力により毎日、測定結果をとりまとめ月に一回報告していました。現在では、G.S.A.T と呼ばれる験潮儀によって自動的に潮位が記録され、茨城県つくば市にある国土地理院へ送信されています。

4.細島の沿革
細島(図-2)は九州の東海岸沿いにあり、古くより東九州における有数の天然の良港として知られています。「聖蹟鉾島4)」によれば、神武天皇が日向の国から大和地方に新天地を求めて御東征される際、日向灘を北上中、順風待ちのため当地に寄港され、海の安全と地域の平和のためもっていた鉾(ほこ)を立てここを御鉾神社(みほこじんじゃ)とし、さらにこの土地を鉾島(ほこしま)と名付けられ、この鉾島がやがて細島となったと伝えられています。また、「天領と日向市5)」には、細島は元禄5 年(1692 年)に延岡藩主・有馬永純が越後国糸魚川に転封になったときに天領となり、江戸時代には延岡藩を除く南九州各藩が参勤交代に細島港を利用していたこと、細島には港口に津口番所、港の奥に西口番所という二つの番所があり、前者は外国船の漂着を監視するとともに、毎日港を出入りする船の検閲や漁船の調査をおこなうところであったこと、この津口番所には、高さ一丈二尺の石台の常夜灯台が設置され、この津口番所の跡に験潮場が設置されたことなどが記されています。験潮場が地元で「ご番所」と呼ばれるのは、このためです。

5.細島験潮場
日本における潮位測量は、明治5 年(1872 年)にオランダ人技士リンドウの指導で利根川河口の銚子に「量水標」を設けたのが始まりとされています。量水標は主要河川の河口に設けられ、目視によって干満潮位を観測していました。その後、明治21 年(1888 年)、陸軍省参謀本部に陸地測量部が設置され、国土の測量が開始されると同時に各測点が設けられました。験潮場は、土地の高さの基準を与え、その変化を測定するために設置されました。細島験潮場は、陸軍工兵大尉・唐沢忠備氏が位置を選定し、施工は大阪土木会社が984 円92 銭で担いました。明治25 年(1892 年)6 月15 日に、「陸軍省参謀本部陸地測量部細島験潮場」として竣工しています。しかし、建屋の海底基礎部分は、当初木材を使用していたため、海虫に侵食され、翌明治26 年(1893 年)1 月に崩壊しました。さらに同年2 月には石垣に間隙が生じ破損の危険が迫ったため、験潮の中断を余儀なくされています。改築工事は陸軍省参謀本部陸地測量部陸地測量手・柳瀬信誠氏が担当し、同年8 月に完了しました。施工は日知屋の石工・三樹庄蔵氏が担い、工事費は266 円56 銭でした。その際、石垣に山陰(東臼杵郡東郷町)の花崗岩が使用されたと推測されています。

6.細島験潮場の看守(桑野家の人々)
陸地測量部は、験潮場設置と同時に各験潮場に監守をおき、その監守は日々計測・巡視を遂行する必要があることから、地元の人を中心に任命しました。なお、「監守」という職名は、験潮場設置当初から昭和20 年まで用いられ、それ以降は「看守」となりました。開設当初、細島験潮場監守には細島町助役の河野通氏が任命されましたが、明治30 年(1897 年)8 月14 日に桑野卯吉氏が青森県岩崎験潮場から転勤を命じられて細島験潮場に着任し、その後は桑野家代々の人々が平成22 年(2010 年)6 月に至まで、看守を務めました。大正12 年(1923 年)の関東大震災時に生じた津波をはじめ、数々の歴史的な災害時の記録についても欠測なく報告されたそうです。「潮峠2)」のまえがきで、桑野卯吉氏の孫にあたる桑野功氏は次のように述べておられます。

『私は、験潮場看守の家に生まれ子供のときから海と験潮儀を見て育ちました。私の家では、何をさておいても験潮場の看守の仕事が最優先でした。一年三六五日休みなく、午前八時と午後四時の毎日二回の看守と毎月一日には前月の報告書の作成、送付が私の家の生活の中心であり、その時間を軸に回転していました。このことは、子供心に大きな影響を与えたと思います。家族全員での旅行は不可能です。正月元日の朝、他家ではお祝いのお膳についているとき、お屠蘇もいただかずに験潮場に行かねばなりません。また、毎月一日は報告のため元日は報告書作成です。自画紙と旬報について家族で手分けして報告書を午前中に作成し、書留で送付しなければなりません。月の一日が祝祭日、日曜日の時も同じです。(以下略)』

験潮場看守の仕事は、経験的な器材の操作から、細心・正確を期する気象の計測などがあり、作業手順がこと細かく規定されていました。とりわけ、自画紙に潮位の推移を記録するための鉛筆の芯の太さ・柔らかさや削ったあとの形状には苦心されたようです。また、台風や地震などの災害時には、身の危険をおかしてまでも験潮儀が問題なく作動しているか確認に行かなければなりませんでした。験潮場それ自体も、屋根、床、験潮儀とその架台、水路、電気まわり、外壁等の補修・改良工事が複数回にわたって実施されており、きわめて大切に扱われてきたことがうかがえます。

7.おわりに
世紀を超え、今なお現役の細島験潮場。その裏に隠されていた桑野家代々の人々の「験潮」への真摯で一途な想いと取組みに対して心から尊敬の意を表し、本稿の結びといたします。

【細島験潮場の土木遺産データ】
所在地:宮崎県日向市大字細島伊勢
形 式:煉瓦モルタル建造物(切妻屋根)
諸 元:占有面積:16.0㎡ 建物面積:6.47㎡
井 戸:径0.66m 深さ4.45m
導水管:径 0.15m 長さ 8.0m
観測基準面:5.000m 固定点の標高:2.7281m
管理者:国土交通省国土地理院
【細島験潮場の歴史】
明治25 年3 月 験潮場建設位置の選定
明治25 年6 月 細島験潮場竣工
明治26 年8 月 改築工事竣工
明治27 年7 月 験潮測定再開
明治30 年8 月 桑野卯吉氏が監守に就任
昭和19 年7 月 桑野豊氏が監守に就任
昭和62 年3 月 ケルビン式験潮儀からフース型験潮儀に変更

謝辞:
本稿を執筆するにあたり、参考文献2)を大いに参照させていただきました。また、国土地理院測地観測センターより資料の提供を受けました。記して謝意を表します。

参考文献:
1)土木学会:土木学会選奨土木遺産選考委員会ホームページ(http://committees.jsce.or.jp/doboku_isan/)
2014.11.6 確認
2)桑野功:『潮峠(うしおとうげ)細島験潮場の百年』、1992.6
3)国土交通省国土地理院:地理院地図(電子国土Web)(http://portal.cyberjapan.jp/site/mapuse4/index.html)
2014.11.20 確認
4)細島港湾地域振興会:『聖蹟鉾島』、1976
5)甲斐勝:『天領と日向市』、1976

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