一般社団法人

九州地方計画協会

  • 文字サイズ
  • 背景色

一般社団法人

九州地方計画協会

  •                                        
アメリカのウォーターフロント
事情視察に参加して

㈱東京建設コンサルタント
取締役九州支店長
堀 川 光 治

まえがき
(財)リバーフロント整備センター主催の「アメリカ・ウォーターフロント事情視察団」に参加して,昨年10月15日から28日までの14日間,ニューヨーク,シカゴ,セントルイス,サンアントニオ,ロサンゼルス,サンフランシスコの6都市を訪問する機会に恵まれた。
今回の視察は,東西は3時間の時差があるニューヨークからサンフランシスコまで,南北は雪のシカゴから残暑のサンアントニオまでの広範囲の視察で様々な体験をし,大変意義深い旅行でした。視察の細かい内容については「アメリカ・ウォーターフロント事情視察報告…1989年11月…(財)リバーフロント整備センター」を見て頂くこととし,ここでは主として見聞した概要と感想並びに各都市の紹介をしたいと思います。

1 成田からニューヨークヘ 15日(日)
16時30分成田空港VIPルーム南5号室に集合し,結団式を行い,西原理事長より激励を受け,UA800便に乗込み18時30分成田を飛立った。
出発後7,8時間飛んだであろうか,眼下に広大なアメリカ大陸の景色が見られ,カナディアンロッキーと思われる切立った山が続き,そして川や定規で引いたような一直線の道路が果てしなく延び,アメリカ大陸の広大さに圧倒された。
成田出発後12時間30分のフライトの後,現地時間18時にJ・F・ケネディ国際空港に到着した。この空港はマンハッタンから南東24kmの地区にあって,マンハッタンのワールド・トレード・センター内のビスターホテルまで約1時間を要した。

2 ニューヨーク 16日(月)~17日(火)
(1)ニューヨークのウォーターフロント
16日ニュー・ポート,オート・ポート,ポート・リバーティ,バッテリ・パーク・シティを訪問し,17日ニューヨーク都市計画局,ジャマイカ湾自然保護センター,ロッカウェイ・バリヤアイを訪問し,その間現地を見て回るという大変かけ足でハードなスケジュールでした。

ニューヨークのウォーターフロントを見ると,アメリカ建国200年の歴史の中で,広大な埠頭・倉庫・操車場等が荒廃し,その一方で人口増による住宅難,レクリエーションを求める市民,インテリジェント化したオフィスを求める企業等のニーズが国・州・市を動かし,それに地域住民・企業が連動して動き,公共の土地の水辺の開発,都市整備における水辺の活用,さらに水辺を持たない地域の水辺の掘り起こし等の開発がアメリカのウォーターフロントの姿でないかと思われた。しかし,
① ニューポートに見られるような大規模の開発が,なぜ民間のデベロッパーにより実施できるのか(総事業費1兆6千億円,住人3万人,通勤者3万人,10カ年計画の総合開発計画)。
② 開発計画の策定に当って,国・州・市の行政指導や,パブリック・ヒヤリングによる意見を取入れた計画がなぜスムーズに実現できるのか。
③ 動・植物の保護や水質改善等の環境対策およびオープン・スペースや公共アクセスの確保等がなぜ万全と言える程実施できるのか。
等いくつかの疑問点が残ったが,これらはアメリカが抱えている人種問題・貧富の差が大きい等の社会的背景,および極めて民主化されたアメリカの政治・行政が都市形態の変化や改革をスムーズに進展させているように考えられた。

(2)ハリー・B・ホフ女史宅を訪ねて
17日夜前ニューヨーク市都市計画局ウォーターフロント部長宅に招かれた。居間には飲み物,スナックのつまみ,細巻のスシまで用意してあった。靴をはいたまま居間に入ることに違和感を感じたが,大きな犬も居間に飼ってあったのでなんとなく納得した。アメリカの家庭は,お客さんに家の中を全部開放し,ベッドルーム・バス・トイレ・ランドリ・洋服ダンス・物置に至るまで全部見せる習慣には驚いた。約1時間位の滞在であったが,胸襟を開いて見せる精神にはとても感激した。
御招待のお返しとして,ワールド。トレード。センターの107階のレストランの夕食にお招きして歓談した。107階よりのマンハッタンの夜景は生憎の天候で時々雲海の間から姿をあらわす高層ビル群の夜景は絶景そのものでした。

(3)巨大都市ニューヨーク
そびえ立つマンハッタンの高層ビル群を見たとき,ある種の感動を覚え,如何にも世界一を見せつけられた感がした。巨大都市ニューヨークには美しさにおいて比類のないと言われているクライスラー・ビルやエンパイア・ステート・ビル等の超高層ビル群,世界のひのき舞台といわれるカーネギー・ホールやブロードウェイの劇場街,メトロポリタン美術館を始めとする数多くの美術館や博物館,あの映画で有名になったティファニー等の世界一流のデパートや専門店,そして世界を左右する核となっているウォール街等があり,魅力に満ちたスーパー・シティで,どこから何から見たらよいのか分らず,2,3日の滞在ではどうしようもないいらだちを感じさせた。
我々も16日夜3時間程の時間で,ロウァー・マンハッタンの夜景を皮切りに,ミッドタウンのロックフェラーセンター,セントラル・パーク,オペラ座,ブロードウェイ,エンパイア・ステート・ビル等を見て回った。ホテルヘの帰路,バスの前面の道路の両側に,ストリップ姿の若い女性数人が目に入り驚いた。バス運転手の特別な配慮でその道の女性がいるストリートを案内してくれたそうで,ニューヨークの夜の裏面を垣間見たようでした。
ニューヨーク滞在中インデイアン・サマー(秋から冬にかけ20℃以上)で暖かかったが,毎日霧が続き晴れた日は一日もなく,雲の中のマンハッタンしか見れなかった。また是非見たいと思っていたハーレムも危険だからと言って案内して貰えなかったのは残念でした。

3 シカゴ 18日(水)~19日(木)
(1)シカゴのウォーターフロント
ニューヨークから約2時間のフライトの後シカゴ・オヘア国際空港に到着した。寒風が吹き荒れる中を直ちに現地視察を行い,ミシガン湖のレイクフロントやシカゴ川の水辺施設を見て回った。翌日シカゴ圏衛生局を訪問し,シカゴ圏の開発計画,シカゴ川の水辺空間整備,ミシガン湖のレイクフロント整備について説明をうけた。とくに印象として残ったものを2,3あげてみる。
① 大規模な「TARP」計画
 これは合流式の下水道から洪水時ミシガン湖に流入している汚水処理(湖の汚染防止)と水路や下水管の逆流,溢水による浸水被害防止の2つの目的で,1976年着工し現在12億ドル余をかけ,約42%終っている。この計画は市街路の下45~107mに直径3~10mのトンネルを延長210kmにわたり掘り,253の立坑から雨水を集め,地下に設けられた超大型ポンプにより貯水池(15,700千m3)に送水し処理するもので,雨水といえども処理後でなければ川に流さない考え方には,私共には想像もできないものでした。
② 市民団体と共同作成のガイドライン
 シカゴ川に沿った一定規模以上の開発計画については,市民団体と共同で作成したガイドラインにより管理されている。例えば
 ●一般市民が川沿いにアクセスできるようにする。
 ●河川に水が流れ込まないよう1%以上の勾配をつけさせる。
 ●建物のデザインが良くないものは規制する。
 ●金網の垣根・柵等は設けさせない。
 ●川沿いには喫茶店・小売店を設ける。
等環境を考慮したキメ細いガイドラインが設けられ,一般市民の協力がえられている。
③ レイクフロントの整備と保護条例
 レイクフロントは延長45kmあって,そのうち39kmは公共用地として管理され,大小の公園が約500件もあるそうで,各種のレクリエーション施設も完備し,アクセスの高速道路も湖岸通りにあり,実に羨ましい整備となっている。一方管理についても行届いており,保護条例により,レイクフロント対象エリアを湖畔から150m~450mとし,開発行為に対し規制と指導を行っている。

(2)高層建築とミュージアムの街シカゴ
シカゴはインディアンの言葉で『玉ネギ』の意味だそうで,アダ名が2つあって『コンベンション・シティ』,『ウインデイ・シティ』前者は東西貿易の要所として繁栄した意味から,後者は一年中風が強いことから名付けられたそうです。

1871年10月大火があり,シカゴ名物の風にあおられて3日間燃え続け,市南西部をほとんど焼失した。現在のビルは大火のあとシカゴ派と呼ばれる優れた建築家により再建されたもので,世界で高さ5位までのうち3ビルがこの町に存在する。
  (世界で高さ5位までのビル)〇…シカゴ
  ①シアーズ・タワー       443.0m 110階
  2ワールド・トレード・センター 442.8  110
  3エンパイア・ステート・ビル  381.0  102
  ④スタンダード・石油ビル    346.0   80
  ⑤ジョン・ハンコック・センター 343.0  100
私は高さ世界一のシアーズ・タワーに登って見ることにした。ダウンタウンの西にあって,宿泊のパーマーハウス・ホテルより歩いて10分位の所でした。地下の切符売場から入場すると,タワーとシカゴを紹介するスライドを見せられ,103階の展望台へは超高速エレベーターで僅か1分でした。
展望台は360°の大パノラマでしたが,生憎の雪で雲の合間から時々ミシガン湖やビル群が見える程度で,摩天楼を堪能できませんでした。
シカゴはミュージアムの街で,主なものだけでも約10あるといわれています。その代表的なものがシカゴ美術館です。南ミシガン通りに面したこの美術館は,ビクトリア調の建築物で,世界コロンビア万国博覧会のため1891年建立されたものです。我々も約2時間位でしたが見学することができました。館内には14世紀のヨーロッパの絵画,彫刻から始まって現在に至るまでの芸術や日本の浮世絵も展示されていた。印象派の分り易い作品が多く,視察途中の心安まるひとときでした。
シカゴ滞在中は,風・雨・霰・雪と散々の天候でしたが,ミシガン湖に沿って何マイルも続く美しい公園と摩天楼を望む眺望は,目の底にいつまでも焼付いています。

4 セントルイス 20日(金)~21日(土)
(1)セントルイスのリバーフロント
雪の朝シカゴを発ち約1時間後晩秋のセントルイス・ランバート国際空港に到着した。日本料理店で昼食後セントルイス港湾公団を訪問し,ミシシッピー川の治水計画と水辺空間整備状況について説明をうけた。ミシシッピー川の治水計画については,時間の都合で十分な話が聞けなかったが水辺空間の利用については,翌日フリータイムを利用しリバーフロントで遊びを兼ねて終日過ごしたので,詳しく実態を知ることができた。セントルイスのリバーフロントはセントラル・リバーフロント計画とラクリーズランディングの再開発よりなっており,その主な内容は次のとおり。
① セントラル・リバーフロント
 ミシシッピー川の環境再生を目的に1935年策定されたもので,ジェファソン・ナショナル・エキスパンション・メモリアル公園とゲートウェイ・アーチの建設,およびこれらの建設により,多くの観光客が訪れるようになり,河岸環境整備の再度実施等の計画となっている。
② ラクリーズランディングの再開発
 1830年代より主に倉庫や工場として利用されてきたが,1975年には75%が空家となったため再開発計画が決定され,民間投資による多くのオフィス,住居,娯楽施設,商業施設が完成した。なお,開発に当っては開発指針が作成され,建物については既存の建物との統一・調和を図り,街路・敷石・照明等を統一し,景観を重視し,全体として整合性が保たれるような内容となっている。

(2)大西部への玄関口・セントルイス
ミシシッピー川の中流に位置する人口約45万の都市で,その名はフランス国王ルイ9世に由来し交通・貿易の重要な都市として発達し,ここを起点に多くの人が西部開拓の夢を抱いて旅立った所である。現在は自動車産業や航空宇宙産業の会社が数多くあり,リンドバークの小型飛行機「スピリット・オブ・セントルイス号」が飛立った所でもある。
ジェファソン・ナショナル・エキスパンション・メモリアル公園内に輝くゲートウェイ・アーチはステンレス・スチール製の高さ192mの記念碑で1965年完成したものである。カプセル式のトランスポーターに乗って頂上まで登ることができる。狭い展望台からはセントルイスのダウンタウンやミシシッピー川と広大な平野が一望でき素晴らしい眺めでした。リバーフロントからはミシシッピー川遊覧船が出ていたので,昼はミシシッピー川遊覧船で大河の見学を,夜は豪華遊覧船でディナーショーを楽しんだ。夫婦連れや恋人達がダンスに興じていた。

5 サンアントニオ 22日(日)~23日(月)
セントルイスより約2時間のフライトの後残暑のサンアントニオ国際空港に到着した。テキサス南西部に位置するサンアントニオは,フランス・メキシコ・テキサス共和国を経て,アメリカ合衆国となった歴史と諸文化を持った独特の雰囲気が感ぜられる町で,人口は約60万である。
この町には西部劇に出てくる「アラモの砦」やメキシカンモードあふれるリバー・ウォーク(パセオ・デル・リオ)などがある。
1836年ボウイ大佐率いるテキサス軍(当時テキサス共和国)188人がアラモ砦に立て籠り,メキシコ軍と戦い全員戦死した。その2ケ月後「アラモを忘れるな」の合言葉にメキシコ軍を追い出しテキサスはメキシコから分離した。テキサスがアメリカに加盟したのは9年後の1845年である。

サンアントニオ川は,1921年の大水害を契機として,川の屈曲を含む一帯を公園として利用する計画が打ち出され,治水計画としては1927年ダムが完成し,また,バイパスが1925年着手された。
これと並行してリバーウォークの建設が開始され1941年完成された。これは町中に掘り割を巡らし,川辺にはレストラン,ホテル等を配置し,人々の親しみの場として形成されているもので,遊覧船が行交い観光資源としても成功している。
遊覧船がホテルの対岸より発着していたので,私も遊覧船に乗りリバーウォークを見て回った。所要時間は約1時間でした。川沿いは豊かな緑の別天地で,水面とすれすれの歩道やレストラン,ホテルが立ち並び,のんびりと時を過す人で溢れ,また,川沿いの野外スタンドでグループ・サウンドの演奏に合わせ歌い踊っている光景が見られた。まさに,砂漠の中のオアシスといった感じでした(サンアントニオ周辺はテキサス砂漠地帯)。
約50年前(第二次世界大戦前)にできた施設で,とても日本では考えられない時代で,恐らく砂漠の中の都市であったから,この頃でもできたのではないかと納得した次第です。

6 ロスアンゼルス 24日(火)
(1)フリーウェイの街ロスアンゼルス
サンアントニオからダラス経由で約3時間半のフライトの後ロスアンゼルス国際空港に着く。ホテルはダウンタウンの中心部のボナベンチャ・ホテルでした。このホテルはダウンタウンでもひときわ目立つガラス張りの円筒形のホテルで,中心部は吹き抜けになっており,6階までレストラン,ショップなどの入った豪華なホテルでした。
ロスアンゼルスは,スペイン語で「天使の女王の村」と言われ,その広さは関東平野全体の広さがあり,電車・地下鉄はなく,公共の交通機関はバスのみしかなく,従って,フリーウェイの発達は世界一で,東西・南北網の目のように張りめぐらされ,車の移動を前提として作られた街ですから,車がなければロスの観光はギブアップです。

(2)カリフォルニアの沿岸管理
カリフォルニア州ロングビーチにある「沿岸管理委員会・南部沿岸支局」を訪ねて,沿岸管理の実情をお伺いするとともに,マリブ・ビーチ,サンタモニカ,マリナ・デル・レイの3地区を見て回った。
① 沿岸管理システム
1976年「カリフォルニア沿岸管理法」が制定され,沿岸域が有する資源・環境を公共の貴重な財産として保全するために,管理項目として次の5項目について規定し,開発許可の審査(毎月1,000件位の申請あり)を行い,快適なレクリエーションの空間を提供できるようにしている。
 ●自然生態環境の保護 ●公共空間の確保 ●公共アクセスの確保 ●眺望の確保 ●維持管理
② サンタモニカ・ビーチ
 今から100年以前より海水浴場としてにぎわっていた所で,海岸沿いには大小のホテル,レストラン,ライブハウスなどが建ちならび,海浜との色彩やデザインの調和がよくとれており,またオープンスペースもあり,実に羨しい風景でした。私達が訪問したときは初冬のせいか閑散としていた。
③ マリナ・デル・レイ
 マリーナと住宅・商業空間の複合開発で,レストラン,ホテルなどあって,人工港として世界最大のヨット・ハーバーで,停泊するヨットクルーザの数は約1万あるそうです。豪華なヨット,クルーザを見たとき,やっぱりアメリカは金持ちの国だなあと思いました。

7 サンフランシスコ 25日(水)~26日(木)
(1)水辺を生かした町づくり(レッドウッド・ショアーズ)
ロスアンゼルスより約1時間のフライトの後サンフランシスコ国際空港に到着した。空港はサンフランシスコのダウンタウンから南約20kmの地区にあり,レッドウッド・ショアーズはさらに南約20kmのサンフランシスコ湾西岸に位置する。
地震発生後8日目でしたが,地震による被害は大したことはないと聞いて安心しました。
レッドウッド・ショアーズの概要を説明すると,かつて塩田や塩田工場であった用地約4,000エーカー(約1,620ha)を埋立て,水辺を利用した分譲住宅,賃貸住宅,業務施設(オフィスビル,ホテル等),商業その他生活関連施設をつくり,人口約1万4千人の都市を建設するもので,1973年用地買収に着手し,2010年竣功の予定で事業主体はレッドウッド・ショアーズ社の単独開発によるそうである。よくもこのような大規模の開発計画が一企業単独でできるものだと感心しました。

(2)東洋のムードあふれるサンフランシスコ
宿泊のホテルは,ダウンタウンの中心ユニオン・スクエアの一角にあるハットン・ユニオン・ホテルでした。ユニオン・スクエアは高級のデパート,ブティック,ホテルなど沢山のコミュニケーションが集結している所で,渡辺はま子さんの歌で有名なチャイナタウンも直ぐ近くにある所です。
サンフランシスコは観光の名所で,我々も半日の市内観光に出かけた。白亜の美しい市庁舎のあるシビックセンターを通り,サンフランシスコ唯一の山であるツイン・ピークスに登り市内を一望した。ツイン・ピークスからはゴールデン・ゲート公園を通りゴールデン・ゲート・ブリッジを見学した。橋上から地震で転落のベイ・ブリッジが遥かかなたに見られ,また近年まで刑務所として使用されていたアルカトラス島が眼下に見られました。最後にサンフランシスコ港再開発として有名なフッシャーマンズ・ワークに立寄り,カニ料理を賞味したり,お土産を買ったりした。

8 アメリカの印象
アメリカを訪問し先ず驚くことは空港,道路,公園等の社会資本整備の充実していることである。フライトの都合でダラス空港に降りることになったが,成田空港(含二期)の約10倍の大きさだそうである。また住宅についてもマンハッタンの対岸のニュー・ポートやポート・リバーティのコンドミニアム(日本のマンション)も視察したが,質は2倍以上良くて価格は半分以下であった。
世界有数の経済力を持ちながら,貧しい社会資本と住宅に甘んじた生活をしている日本の現状と比較し,ほんとうの豊かさ,生活の快適さを求めなければならない時期にきていると痛感した。
紙面の都合で十分な報告ができませんでしたが,スライド・フィルムだけでも500枚程ありますので,興味をお持ちの方は御連絡下さい。

上の記事には似た記事があります

すべて表示

カテゴリ一覧