田畑が続く懐かしい田園風景は、今ではなかなか見ることのできない新鮮な風景でもある。
その流れと同様に、どこまでも素朴で清らかな佇まいを見せる緑川上流域。長崎から技術を持ち込んだというアーチ型の石橋群、山間の農村に娯楽をもたらした文楽など、独自の歴史や文化を持ち、数々の自然が魅力的なこのエリアは、観光スポットにも事欠くことはない。また、貧困の村を豊かな米どころへと変えた緑川の水は、今なお、地域の人々の心の支えであり、生活にうるおいを与えてくれる大切な存在でもある。
緑川の源流は、天主岳、三方岳、高岳など1、500m級の山々がそびえる九州中央山地付近。緑川ダムまで流れる水は、やわらかな日差しを集めながら、春のかけらを運んでゆく。
●99年に開通した鮎の瀬大橋。深さ140mのV字谷を渡る橋梁形態は町の新名所に。
●山都町の石橋群
山都町一帯には、江戸時代に造られたアーチ型の石橋が点在。国の重要文化財に指定されている霊台橋や通潤橋をはじめ、聖橋、金内橋、鹿生野橋など、当時の石匠たちの技が生きる数々の石橋を目にすることができる。
●まるで巨大な芸術作品のよう!『日本の棚田百選』に選ばれた山都町・管迫田の棚田。
●緑川流域には数々の滝があることで知られている。写真は紅葉に彩られた鵜の子滝。
●アーチの中間に道路が通っている内大臣橋は、山村の風景の中、ひときわ目を引く佇まいだ
●緑仙峡からさらに上流、緑川源流付近に広がる雄大な風景。手つかずの自然が素晴らしい。
(撮影 2004.11月)
●旧緑川小学校の校舎を利用した宿泊施設「清流館」は文字通り、緑川の清流のそばに位置する研修施設。大勢の子どもたちが山村体験に訪れる。
深い山々に囲まれ、穏やかに流れる緑川。あたりには文字通り、緑色をした風が吹いている。新しい季節に勢いを増す木々や草、そしてかすかな土の匂いが混じったあたたかい風が、心のなかのどんよりとした雲までさらっていった。まるで催眠術にかけられたように、意識の縁が次第に曖昧になっていく。誰がつけたのか知らないけれど、緑川には本当に”緑川”という名前がぴったりだ。そういえば川の名前というのは、どこで、どのようにして決められるのだろう。たいていの川は、その地域ごとに別の呼び名があるけれど、緑川はいくつの愛称を持っているだろう…。そんな他愛ないことをつらつら考えてしまうくらい、川面を静かに揺らす緑の風はつまり、”癒やし系”である。流域の町や村はどこも市町村合併で大忙しの様子。国道脇には新しい町の誕生を祝う看板が目立ち、完成したばかりの新庁舎が誇らしげな佇まいを見せる。けれども、この川にとっては、そんな世間の慌ただしさも、それこそどこ吹く風といった感じで、ただただ移りゆく季節の中に身を置くだけだ。
ダムを起点に東側、いわゆる上流域には、どこまで行ってものどかな田園地帯が広がっている。川とほぼ並走する国道218号線は周辺の町をつなぐ幹線道路であり、快適なドライブルートでもある。田んぼと畑ばかりが続く中、趣のある古い石橋に出会えたり、ゴツゴツとした奇岩がそびえる勇壮な自然の姿を目にしたり、不思議な形をした木や花を発見できるおかげで、田園風景に車を走らせていても、まったく退屈することはない。
●清流館前の広場(元の運動場)では、元気よく遊ぶ子どもたちの姿も。
●緑川上流域にある緑仙峡には、渓流釣りを楽しめるフィッシングパークがある。
●人形とは思えない絶妙な動きに心奪われる清和文楽。昭和54年には清和文楽人形芝居保存会が熊本県無形文化財の指定を受けた。
●人形芝居を盛り上げる演奏も、舞台には欠かせない要素のひとつ。
●イベントや公演日程の問い合わせは清和文楽館0967-82-3001まで。
緑川流域には、九州を代表する個性的な観光スポットが豊富に用意されている。日本の石の文化を象徴する見事な芸術作品として知られる石橋群。約150年前から旧清和村民に親しまれ、観光客にも人形芝居を披露している清和文楽。豊かな自然美を象徴する数々の滝や渓谷と、それらを身近に感じられるキャンプ場、自然公園、天文台。
中でも興味をひくのはやはり、旧清和村(現山都町)ならではの農村文化として伝わる清和文楽だろう。この人形芝居は江戸末期、村人たちが農作業の合間に浄瑠璃の技術を習得したのがそもそもの始まりだそうだ。その後、芝居は農民たちの娯楽として欠かせないものとなり、日々の生活への感謝や豊作の願いをこめて、神社の境内や田畑に設けられた舞台で上演された。平成4年に開館した清和文楽館では、現在でも、農業を営む十数人のメンバーで組織された文楽保存会による芝居を定期的に楽しむことができる。
魂を得た人形たちの動きや表情は、実に秀逸で美しい。コンピュータとかテクノロジーとか、そんなものとは無縁の時代ならではの豊かさを感じる、素晴らしい伝統芸能だ。
さて、源流にほど近いところまで緑川を遡ると、周囲は次第にダイナミックな自然を見せつける風景へと変わっていった。
勢いよく下流へと注ぐ水はところどころでゴツゴツとした巨岩にその流れを遮られ、大きな水しぶきを上げている。猿や鹿、いのししなども生息するというこの一帯は、まさに秘境というイメージがぴったり。人の手にかからないと、自然はここまで輝くものなのだ。
紅葉で知られる緑仙峡も、今はまだ、冬の名残の透き通るような空気に包まれたまま。時々森の間から聞こえてくるキュンキュンという小さな音は、何かの動物の鳴き声だろうか。淡い緑色の新芽をいっぱいつけて川縁を覆う木々は、緑の楽園を大急ぎで準備している。
●思わず足がすくんでしまう、通潤橋からの眺め。橋の上から見る放水も迫力満点だ!
●ボランティアで通潤橋の説明をする飯星さん。「子どもたちからお礼の手紙をいただくことがあるんですが、とてもうれしいですね」
●通潤橋の周囲の緑は、石橋と見事に調和している。
●橋のたもとに建つ布田保之助の像の前で、飯星さんの記念撮影を。
●橋のたもとに建つ布田保之助の像の前で、飯星さんの記念撮影を。
どこをどう見渡しても、平和な暮らししか見えてこない。そんな流域の印象とは裏腹に、「この地域は昔から、水に苦しめられてきたんです」と語るのは、山都町野尻に住む飯星時春さん。山都町にある、日本最大の水路橋・通潤橋で、見学に訪れた小学生たちに橋や町の歴史を解説するボランティアのお一人だ。橋の中央部から勢いよく水を放水しているシーンは、誰もが一度は目にしたことがあるのではないだろうか。
「四方を谷に囲まれた矢部(現山都町)は白糸台地と呼ばれ、昔から非常に水の便が悪かったんです。潅漑用水はもちろん、飲み水にも困る状態で、村は長いあいだ水不足による貧しさに苦しめられてきました」
窮地に追い込まれた村を何とか救う手だてはないか。そうして立ち上がったのが、村を治める惣庄屋の布田保之助だった。
「緑川の水を潅漑に利用しようと考えた布田さんは、ひとつの大きな橋を造って、その上に水路を通すことを思いついたんです」
けれども、橋は白糸台地より低い位置にしか架けられない。彼はあらん限りの知恵を絞り、技術を駆使して試行錯誤を重ね、この橋にいろいろな細工を加えた。その結果、一旦、橋まで降りた水を対岸に引き上げることに成功。そしてついに白糸台地に水を引けるようになったのだった。
「実際に架橋にたずさわったのは、当時、熊本県内に住んでいた優れたアーチ型石橋の技術を持つ石工でした。彼らは20mほどもある高さを支えるために、あの熊本城の石垣を参考に石組みを造り上げたそうです。布田さんの指導で大勢の農民たちも団結して作業を手伝ったおかげで、通潤橋の完成までにかかった期間はわずか1年8カ月。この橋はまさに、地域で一体となって生まれた私たちの財産ともいえる橋です」
通潤橋の完成により、白糸台地には見事な水田が生まれる。以来、一帯は豊かな米どころとして知られるようになり、人々の生活も安定した。「こうやって言葉で説明すると簡単ですが、布田さんの努力には並々ならぬものがあったと思いますよ。初めての通水の時、布田さんは白装束で短刀を持って現れたそうです。通水に失敗したら死ぬ覚悟でいたんですね」
今もなお、その恩恵を受けて暮らす地元の人々にとっての恩人であり、心の支えでもある布田保之助。地元のヒーローは今、橋のたもとで銅像となり、自らの偉業を誇らしげに見守っている。
●水しぶきを上げて流れ落ちる五老ヶ滝。涼やかな風景は夏のとっておきのスポット。
●緑川ダム周辺は、春になると色鮮やかなつつじが咲き乱れる。
●『畝野老寿会』のメンバーの方々。ダム清掃は元気なお年寄りたちの恒例行事。
●『畝野老寿会』会長の吉瀬さん(右)とメンバーのお一人である本田さん。
●緑川ダム周辺の公園も、会の清掃のおかげでいつも美しく保たれている。
健康的な自然環境のおかげか、苦しい生活を余儀なくされた先祖のたくましい遺伝子のせいか、通潤橋ボランティアの飯星時春さんをはじめ、上流域周辺に住むお年寄りはみなとても元気だ。農作業に励む人々、文楽を操る人々、地域の催しを企画する人々。過疎化が進んでいるとは言え、エネルギッシュなお年寄りが多い町は、やはり町自体も明るく、たくましく見える。
緑川ダム付近に住む高齢者の方々の集まりである『畝野老寿会』では、メンバーたちが毎月1回、ダム周辺の清掃を行っている。
「昭和46年にダムが建設されて以来、ずっと続けている会の恒例行事です。草刈りから空き缶拾い、トイレ掃除、花壇の花の植え替えなど、毎回二十数人のお年寄りたちが集まってワイワイ言いながら作業をしています。いやぁ、楽しいですよ。毎月みんなの元気な顔を見て、近況を語り合って」
現会長の吉瀬虎男さんはにこにこしながら、ずっしりとしたメダルを差し出した。昨年11月、会の活動を国土交通省から表彰されたのだそうだ。「今ではダムにゴミを捨てる人がめっきり少なくなりました。少しでも社会の役に立っていると思うと、私たちもとてもうれしいし、励みになります」
この会では他にも囲碁、グラウンドゴルフ、カラオケなどなど、定期的に多彩なイベントを行っているという。
「みんな川が好きでね。この川に守られて生きてきてますから、その恩返しですよ」
なるほど、ダム周辺には公園やキャンプ場など、さまざまなレジャー施設があるが、どこもゴミひとつない。
すがすがしい景色を眺めながら、吉瀬さんが本当に気持ちよさそうに言う。
「ここにいるだけでねぇ、なんというかこう、心が落ち着いてですね。気分がいいですねぇ」
春を目の前に、植物たちもなんだか浮き足立っている。
冬の時期には墨絵のような雪景色を見せてくれた周辺の山々も、もうじきさわやかな緑色へと変わり、湖面にその姿を映すのだろう。