昭和19年(1944)1月7日、大分県東国東郡安岐町で農家の長男として生まれる。農業を継ぐが、昭和49年(1974)に文具店を開業。昭和57年(1982)より10年間、安岐町の町会議員を務める。平成1年(1989)「安岐川を素足で歩く会」を発足。平成7年(1995)徳部建設の会長に就任し、現在に至る。有限会社とくべ会長、安岐町商工会副会長、他。58歳。
取材・文/西島 京子
●夢中になって鮎を追う子どもたち
●「川遊びのフェスティバル」「ルーラルコンサート」「安岐川どんど焼き」のポスター
●安岐川に集まった1,000人以上の人々が、川の恵みを心ゆくまで楽しんでいる
●子どもと大人が夢中になって競うイカダレース
●幼稚園児以下の部による「鮎つかみどり大会」では、子どもたちの歓声が響きわたる
大分県の安岐町は、国東半島の南東部に位置する風光明媚な町で、両子山(ふたごやま)から海岸に向かって放射状になだらかな山々が続いている。この地はかつての仏教霊場の中心地であり、また大分空港を交通の要として、最先端を行くハイテク関係の企業の立地が多いことでも知られている。
町の中央には、2級河川ではあるが堂々たる川幅を持ち、豊かな自然の恵みを感じさせる安岐川が流れている。この川で毎年8月16日に開催されているのが「川遊びフェスティバル」である。これは今年で第14回目を迎える大がかりなイベントで、安岐町役場近くにある中央大橋と沈み橋にはさまれた安岐川の河川敷で繰り広げられる。朝の6時30分からの受け付けに始まり、午後1時から始まる鮎つかみどり大会まで、1日がかりで大人も子どもも川に親しむ安岐町の大きな祭りとなっている。
午前7時からのつり大会後その成果を表彰し、10時からのイカダレース、11時に始まる輪投げ大会など、小さな子どもやを大きな少年たちをも飽きさせずに川に親しませるメニューだ。圧巻は鮎つかみどり大会で、安岐川の河原は1,000人以上の人々の熱気であふれかえる。
「幼稚園以下の子どもを対象にした鮎のつかみどりもあって、大歓声の中で毎年楽しんでもらっています。子どもも夢中になるけれど、親の方が熱中していたりするね」と笑うのが、このフェスティバルを主催する「安岐川を素足で歩く会」の会長、徳部伝造さんだ。参加者の中にはこの日のために故郷へ帰省してくる人々がいる。また、夏休みで祖父母のところに遊びに来ている子どもたちも、この日を待ちわびている。県外からの参加者が多いので、毎年同じ日にしないと苦情が出るほどだ。夜は盆踊りも開かれ、安岐町の人々には、まさにこの1日が「ふるさと祭り」となる。
●イベント会場となる中央大橋と沈み橋にはさまれた安岐川の河川敷
「徳部さんが「安岐川を素足で歩く会」を発足したのは14年前のことだ。この会の名前に込められているのは「子どもののころのようにはだしで安岐川に入りたい。そして、川のどこからでも入れるようになればいい」という願いだ。
14年前、安岐川には河川の堤防より高くぎっしりと葦が生えていた。川が見えないばかりか、夏になると酸欠状態に陥った鮎が川面に浮かぶようになった。「これではいけないと思ったんです。葦も川を浄化するから必要ではあるけれど、ある程度除去しないと魚が住めなくなる。人間の手で管理していかないと川が駄目になる」と。
そこで徳部さんは安岐川をきれいにしようと呼び掛けた。その思いに250人の人々が賛同し、草刈りには出られないが、と1人500円ずつ会費を出してくれた。それを資金にして会を発足させ、県に依頼して重機で葦を刈ってもらうことに成功した。年2回の作業でかなり葦は少なくなった。
「子どものころの安岐川はとてもきれいで、魚がいっぱいおったしな。どんこもいっぱいおったのに、かなり減っちょる。 鮎とかももの凄くおった。昭和38年に安岐川が氾濫して大水害になったんで、井堰がぜんぶコンクリートになってしまい、鮎が川を登れなくなった。だから、14年前に活動し始めたときに井堰に魚道を作ってもらうことにした。そしたらな、魚が登り下りするようになってな」と徳部さんは目を細める。
地域の婦人会の人たちも協力してくれて、川べりにコスモスを植えた。菜の花の種も蒔いた。
「安岐川は国東半島では一番大きな川だと思う。昔はハエもだいぶ見かけたな。本バエも水がきれいでないといない。よごれるとミズバエというのになってしまうんだそうです。建設会社をやっとるから土木の仕事は欲しいんじゃけど、川は自然を残してください、石を除去しないで置いていってくださいと県に頼んどるんです。川にとって石は財産です。川の水が石にあたって酸素を水の中に注入できる。それで魚が生きられるんですよ」。
安岐川の上流に行くと、そこは海から3、4kmほどしか離れていないのにもかかわらず、深い自然の渓谷が今も残されている。深い谷の上には小さな畑ができ、人家がある。のどかだが自然の厳しさも感じさせる見事な風景が広がる。この渓谷沿いに徳部さんたち会員で、自主的に散歩道を計画中だという。
「上流の自然の渓谷に残された、今はまったく人の通らない昔の里道を切り開いて、そこに散歩道『カワセミの道』を作ろうということになって、うちの会で草を切ってるんです。県にも一切手を付けないでくださいとお願いして、年3回集まって作業しています。ここにはカワセミがいるんですよ」
そのために3年前、建設会社の事務所横にプレハブの集会所まで建ててしまった。このスペースで会議を開き、作業の打ち上げをする。会の活動の時に着る青い法被もここに置かれている。
「7年くらい前にな、マリンパレスの飼育係の星野さんや別府大学の助教授らで安岐川の魚の生態系を調べてくれたんです。そしたら絶滅寸前の『アカザ』という魚がかなりおることがわかったんです。赤くて小さなナマズのような形で、とげに毒があって刺すと痛い魚です。今はマリンパレスでも飼育しておって、電話したらすぐに取りに来てくれる。乱獲されるといけないので報道しなかったんですがツガニもおって、川がきれいになってきたんじゃないかと思いますね。遠くから取りに来る人がおるんで何とかしなければと、県に今働きかけてはおるのですが」
川を守るためには何をするべきかと、昨年は四万十川に視察にも出かけた。そこで、自然が多く残されていることを実感し安岐川への思いも募ったという。
●地元の子どもたちによるコーラス隊と歌う ボーカルの長儀貴子さん
●会員たちが焼くおいしそうな鮎の塩焼き
会では4年前から「ルーラルコンサート」を開催している。「ルーラル」とは田舎らしいとか田舎的という意味で、「田舎らしい素敵な安岐町から情報発信していこう」というのを主旨としている。音楽家を招き、河川敷につくった舞台上でパネルディスカッションをしたあと、演奏家たちの美しい音楽を聴くというものだ。川を幻想的に浮かび上がらせるために、4基のかがり火を焚く。舞台の設営は会員たちの仕事だ。
「コンサートはチケットを売るのが大変なんです。3回目も実はどうしようかと迷ったんですが、続けることに価値があると信じてがんばりました。川辺で子どもたちに素晴らしい音楽を聴かせたいと、小学校のPTAも協力してくれますしね。地元の子どもたちもコーラス隊をつくって舞台で歌うんですわ」
昨年から地元の祭「からす市」の日に河川敷を会場とした「安岐川どんど焼き」も仕掛けている。ここでは餅を串に刺して焼き、訪れた人々にふるまう。イベントが増えるほど、裏方が大変になる。イベントのときに鮎めしや鮎塩焼きをつくるなど、会員の男性たちが大活躍する。当日の川の水量を可動井堰で調節するなど、難しい問題もいろいろある。徳部さんは後継者を育てるために、商工青年部を巻き込みながら活動している。
「皆が手伝ってくれるから、なんとかやれてるんです。『川遊びフェスティバル』には都会の子が多く集まるから、河川敷でドラム缶で湯を沸かして風呂体験をさせたらどうだろうなどと相談しているときの皆の顔が輝いている。ありがたいことです」
徳部さんは昨年、商工会で山芋掘りやシイタケ狩り、ミカン狩りなどを企画し、県外から訪れた人々の好評を得た。安岐町のグリーンツーリズム運動の一環として安岐町の良さを売り出すためだ。地域おこしグループ14団体をまとめる連絡協議会もつくった。「大分の空港道路と日出ジャンクションが3月30日につながり一層便利になります。安岐川の素晴らしい風景をぜひ楽しんでいただきたいですね」
安岐川のそばで育ち、安岐川とともに生きてきた徳部さんの裏方としての地道な努力は今後も続いていくだろう。そして、安岐町を訪れた人々は、徳部さんが愛する安岐川の自然の素晴らしさに感嘆の声をあげることだろう。